師匠③
ベッキーたち双子は、ここ『ルシア大陸』の北。東西に長く連なる山脈をを越えた先にあるヤクー村で生を受けた。
両親は共に冒険者で、ランクは二人とも鉄等級だった。日々の稼ぎは、家族四人で暮らすには少々心もとないものではあったものの、慎ましくも笑いの絶えない家庭環境で二人は育った。
「父さん、父さん。また冒険のお話聴かせてっ」
「ベアトリスはほんとうに冒険の話が好きだな」
ベッキー――ベアトリスは好奇心旺盛で、よく父親にその日にあった冒険談をせがんでは、喜びや興奮を全身で表す
「具合はどう? ご飯食べられそう」
「大丈夫だよ母さん。今日は調子いいから……」
かたや妹のマルティナは病弱な子で、両親がクエストで不在の際はよくベアトリスや、近所のおばちゃんに面倒を見てもらっていた。
「ジュリアっ、ジュリアはいるか!」
それはベアトリスが珍しく風邪をこじらせ高熱で臥せっていた日のことだった。
その看病をしていた母親の下に、青年団の男が血相を変えてやって来た。その声にこれは只事ではないと感じたジュリアは、急いで扉を開けた。
「どうしたのカルロっ、あなた血だらけじゃないっ」
ジュリアの目が驚愕に見開かれる。男の服は所々に真新しい血が付着していた。
「これは俺の血じゃない。それより早く来てくれっ。アドルフォさんが――」
「っ!?」
ジュリアはその名を聞くやいなや、カルロが言い終わる前に家を飛び出していた。慌ててその後を追いかけるカルロ。
村の入口には人が集まり、遠目にも皆が混乱しているのが分かった。
全身の血が一気に引くような感覚を覚えながら叫ぶ。「アドルフォっ」
その声にいち早く反応した村長が「おお、ジュリア。
その声が聞こえているのかいないのか、反応すること無く人垣の中心へと駆け込む。
そこには全身血まみれの男が一人倒れていた。
ジュリアは今度こそ貧血を起こしたようにふらついた。そこをカルロに支えられながら男の傍に膝をつく。
「アドルフォっ」もう一度男の名を呼ぶ。
何に襲われればこうなるのだろうか。アドルフォは鎖帷子の上に鋼鉄製の
これはもう助からない――誰の目にもそう映った。
「ポーションはっ、ポーションは無いのっ?」
それはジュリア目にも同じであったが、それでも愛する夫を助けたい一心で村人に訴えかけた。
しかし誰も彼もが申し訳無さそうに目を逸らすばかりで、誰も動こうとはしない。いや、動けなかった。実際にこの村にはポーションが残っていいないのだ。持っていた分は既に使用してしまった後で、それでもなおこの酷い有り様なのだ。仮にこれから
夫の手を取ってなおも名を呼びかけ続けるジュリア。その双眸からは滂沱の涙が流れ出している。それを見守るしかない村人の中からも嗚咽が上がっていた。
その呼びかけに反応したのか、ジュリアが握るアドルフォの左指がピクリと動いた。
「アドルフォっ」もう一度呼びかける。
するとどうだろう。うっすらとではあるがアドルフォが目を開けた。
「じ、ジュリア……」微かにではあるが、絞り出すように妻の名を呼ぶ。目の焦点があっていない。見えていないのだ。
「ここよ! ここに居るわ!」
「す……ま、ない」スッとアドルフォの手から力が抜け落ちる。
「アドルフォ? アドルフォォォォっ! 嫌ァァァ!」
ジュリアはアドルフォの亡骸に取り縋って泣いた。未だ溢れ出る血に服が汚れるのも構わずに、その体をギュッと抱きしめ涙の限り泣いた。
「お父さん……?」
その声に誰もがハッとなる。声のする方を向けば、そこには一人の幼い少女が素足のまま呆然と立っていた。
カルロは慌てて少女の目からアドルフォを隠すように立つ。「見ちゃ駄目だっ、マルティナ」
しかしその幼い瞳は見てしまった。血の海に沈む父の姿を。聞いてしまった。母の心からの慟哭を。
それは幼い心に深い傷を残すには十分な体験だった。
「――――っ!」声にならない叫び声を上げると、まるで糸の切れた人形のようにその場で崩折れた。
「マルティナっ」カルロがその体を咄嗟に受け止める。少女の閉じられた瞼からは、一筋の涙が零れ落ちていた。
アドルフォの弔いは、その日の内にしめやかに営まれた。
『送り火の儀』遺体を火葬にし、その魂が迷わず天に召されるよう〝聖なる火〟の守護者たる女神アーシャに願い奉る――この村に伝わる古い風習だ。
これはマナ汚染によるゾンビ化を防ぐ意味も含まれていた。ゾンビ化を防ぐ手段は大まかに二通りあり、それが火葬である。もう一つの方法は首を撥ねることだが、アドルフォの遺体にそんな真似ができる者など、この村に一人としていはしなかった。
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