魔晶石と魔核③
それは目的地へ向けて馬を歩かせていた時のことだった。
「姉ちゃん。あそこに寝てる人がいるよ」
確かに誰かが俯せに倒れている。それも道のど真ん中にだ。
「行き倒れか? それとも――」罠か。
行き倒れの振りをした囮を、そうとは知らずに介抱に近づいたお人好しを隠れていた大勢の仲間が囲んで襲う。というのが野盗が使う常套手段の一つだ。こんな町の近くでそれを行うとはちょっと考えにくいが、用心するに越したことはない。
馬の歩みを緩め、ゆっくり近づく。
とそこへ、次の町まで客を運ぶ定期馬車がやって来ると二人を追い抜いていった。当然その先の道には男が倒れたままだ。
まさかそのまま轢きはしないだろうとは思うが、どうするのだろうと見守る。すると御者は直前まで気が付いていなかったようで、慌てた様子で馬の手綱を引くと馬車を停止させた。乗っていた客の一人が突然の急停止に腹を立てたのだろう、車内から顔を出して怒鳴っている。御者はそんな客に頭をぺこぺこと下げながら詫びると、今度は忌々し気な顔を倒れた男に向け、何の警戒もなしに近づいていく。
野盗が出てくるとすればこのタイミングなのだが、一向に誰も姿を現す様子はない。どうやらベッキーの杞憂に過ぎなかったようだ。
「こんなところで倒れてんじゃねぇっ」御者は男の側に立つなり盛大に蹴りを入れる。
しかし男はピクリともしない。ひょっとすると既に死んでいるのかもしれない。御者は車内から「さっさと馬車を出せ!」と怒鳴る先程の客の声にせっつかれるように男を道の端へ放り捨てると、ケッと唾を吐きかけ御者台に戻っていった。
二人は何ごともなかったかのように走り去る馬車を見送り、次いで道端に転がる男に視線を戻す。さて、面倒なことになったぞと内心ため息をつく。
というのも男が既に死んでいる場合、このまま放置すればやがてマナ汚染の影響でゾンビ化する。そしてゾンビに傷を負わされた者もまた感染してゾンビと化す。『ゾンビを一体見たら30体に増えると思え』とはこの世界の格言の一つだ。
そういう訳で、こういった行き倒れを町の近くで見つけた場合、町の衛兵に報告して然るべき処置をしてもらわなければならない決まりがある。本来ならば先程の御者がその決まりに則って報告義務を負うはずなのだが、当の本人は既に馬車と共に遥か遠くに走り去ってしまっていた。
こうなってしまうと、次に責任を負うのはベッキー達二人ということになる。誰も見ていない今ならば、先程の御者どうよう早々にこの場を立ち去れば、咎められることもない。近いうちに次の不運な誰かさんに発見してもらえるだろう。もちろんその前にゾンビ化していなければの話だが。
正直面倒くさい。いっそのこと自分たちも今のうちに立ち去ろうかと思いかけた時、「うぅ……」と男が微かな声が口から漏れた。
「――っ?」すわゾンビ化か、と身構えた二人だったが、どうも様子が違う。
「うグッ――」と今度はハッキリと口にし、自ら転がるように仰向けになった。ハァハァ……という荒い呼吸を繰り返し、脇腹を押さえるその様は明らかに生者のそれだった。おそらく今しがたまで気でも失っていたのだろう。
「しゃーない」気乗りはしないがといった体で馬を降りる「おおい、大丈夫か?」
「ううぅ……」男からの返事はない。相変わらず脇腹を押さえて呻いている。先程御者に蹴られた時に肋骨にヒビでも入ったか、折れたかしたのかもしれない。
「あれぇ? この人『紋付き』の人じゃない?」
「ん?」そう言われてみれば、男の顔立ちや来ているボロに見覚えがあった。ならばとそっと首の後ろを確認する。あった紋章だ。歴史書で見た、聖なる火の守護者たる女神アーシャの〝火〟を象った紋章がハッキリと刻印されていた。実物を見るのはこれが初めてだ。
しかしそうなってくるとまた違う意味で面倒なことになった。
町の中で見かけたように、治癒士達は今も憎悪の対象だ。そんな男を助けたとなれば、町の住民から後々どんな報復を受けるか分かったものじゃない。かといってこのまま見捨てるのも夢見が悪い。さてどうしようかと逡巡していると、
「やばい馬車の音だっ」
遠くから荷馬車が駆けてくる音が聞こえてきた。馬早飛脚かもしれない。
「おい、足もて足っ」とベッキーは慌ててマルティナにそう指示すると、幸い身を隠すのに最適な近くの岩の陰へと、男ごと転がり込むように身を隠した。
「……行っちゃったね」どうやら御者の目には留まっていなかったようだ。馬車は一切減速する様子もなく走り抜けていった。
ホッと胸をなでおろすマルティナの横で、ベッキーは「やっちまった〜っ」と頭を抱えた。
何も男まで一緒に隠れる必要はなかったのだ。自分たちだけ岩の陰に隠れ、そこで息を潜めていれば、上手く行けば早飛脚の御者に擦り付けて――、
「――いや、それは無理だな」とそこまで考えたところで自ら否定する。
そもそもこの男は『紋付き』なのだ。御者がそのことに気が付けば、十中八九見捨てられていたことだろう。
「あ〜……しゃ〜ない」と腰のポーチからポーションを取り出す。「応急処置くらいはしておくか」
観念したようにそう言うと、男が先程から抑えている脇腹にそれを振り掛けた。
するとどうだろう、脇腹の痛みが和らいだのか、男の表情がだんだんと穏やかになっていった。
「相変わらず姉ちゃんの作ったポーションは効き目抜群だねぇ」
「まぁな。独自配合でその効果は店の従来品と比べて1.5倍だからな。それでいて副作用は0.5倍。半分だっ」
「おお〜っ」と感心したようにパチパチと手を叩くマルティナ。
「き、君たちは……?」
その音で完全に目を覚ましたのだろう、治癒士の男が二人に顔を向ける。
「チッもう目を覚ましたか」
「今舌打ちしました?」
「気のせいだ」
「は、はー」目をパチクリとする治癒士。
「一応の応急処置はしてあるから、他にも痛むところがあるならこれを振り掛けろ」
「あ、はい――」腕や頭に振り掛けていく。「凄い効き目ですね。これはご自分で?」
「まぁな。んで最後にこっちを飲んどけ。体力回復薬だ」
「あ、はい」男は言われるがままにポーションの中身を呷った。
「これも凄いっ」男は感動している。
「何か違和感とかないか?」
「無いですね。むしろ体がぽかぽかしてきましたよ」これは本当にすごい効き目だとなおも感動する男。
「そ、そうか。一応言っとくが今回のことは他言無用だからな。絶対誰にも言うなよ?」
「は、はいっ。誰にも言いません。本当にありがとうございましたっ」しかも土下座までしてきた。
「き、気にすんな。ただの気まぐれだからな。んじゃ今度はヘマするなよ」
そう言い残すと、ベッキーはマルティナと共に足早に馬に跨ると走り去ったのだった。
※ ※
「姉ちゃん」
「なんだ?」
「最後の。あれ何飲ませたの?」
「何ってただの体力回復薬だが?」
「『ただの』じゃないでしょう? あの男は気付いてなかったっぽいけど、姉ちゃんの目、被検体を見てるときとおんなじ目になってたよ」
「そ、そうか? 極力普通にしてたつもりなんだが」
「それで結果はどうだったの?」
「見てた通りだな。本当は丸一日観察しないことにはハッキリとは言えんが、おそらく成功じゃないか」
「そっかぁ。んじゃ今度野盗見つけたら一匹捕獲しとくからそれで試そうよ」
「そうだな。頼んだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます