女神を自称する女⑥
「ふ〜」
既に冷めかけていた珈琲を一気に飲み干し一息つく。
「落ち着いたかや?」
「ああ。もう大丈夫」実際は彼女の顔を見るのがまだ気恥ずかしいが、そこは何事もなかったように誤魔化しておく。
しかしまいった。せっかく夢想していた容姿の人物――実際は神様だけど――に出会ったというのに、そこに『理想を具現化した』という修飾語が付くだけで、恋心どころか、ああも黒歴史を抉られたような気分に陥るとは思いもしなかった。
しかもいつの間に結ったのか、そのきれいな黒髪は一本の三つ編みになっていて、これまた狙ったかのように左肩から胸元にかけて伸びていた。
「似合うかや?」絶対わざとだろう。ニヤニヤした口調で訊いてくる。
その髪型や、その仕草に不覚にもグッと来てしまった僕は、「似合いすぎてて逆にあざとい」と誤魔化すように憎まれ口を叩いておく。
そんなことお見通しとばかりに「カカカッ」とさも楽しそうに笑うとマグカップに口をつける彼女。
「おや?」しかし既に空になっていたのだろう。彼女は無言で目線とマグカップを真っ直ぐ僕に送ってくる
「はいはい」
僕はマグカップを受け取ると、自分の分と合わせて珈琲を入れ直した。
「ところでさ、さっきの話で気になってることがあるんだけど」
「なんじゃ?」
「キミは――いや、神様? は……」あれ、そういえば名前聞いたっけ?
「アーシャじゃ」
「え?」
「わっちの名前じゃよ。まだ名乗っていなかったおらんかったのう。敬称はいらんから気軽にアーシャと呼んでおくれ」
「そういえば。僕は山脇誠士郎だ。改めてよろしくアーシャ」
軽く握手を交わして話を戻す。
「アーシャは向こうの世界で切り離した意識の一部以外を封印されたんだったよね?」
「……そうじゃ」
「それがどうして今こうして僕の目の前にいるんだい?」
「それは……」
「それは?」
「わっちにも分からん」
「やっぱりかいっ」何となく予想はしてたけどね。
「最後になんとなく覚えておるのは、〝穴〟じゃ」
「穴?」
「そうじゃ。なんとも不可思議な気配を漂わせる穴でな。それが目の前で開いたと思った瞬間、気がつくと意思と力の一部だけの状態でこの部屋に漂っておったのじゃ」そこで一口珈琲に口をつけるアーシャ「今にして思えば、あれはお主等が云うところの『異世界への門』だったのかもしれんな」
「異世界への門かぁ……話を聞く限りその線が濃厚だろうね。でもあれ、そうなると――」
「な、なんじゃ。なにか分かったのかやっ」
「ああ、いや、今のアーシャって三分割された状態なんだなって思ってさ」
「うむ。確かにその通りじゃな……?」
「そうなると、向こうの世界で封印が解かれた場合にさ、こっちに来ている今のアーシャはどうなるんだろう?」
「――!?」
きっとそのことに思い至っていなかったんだろう。アーシャは僕の言葉に目を大きく見開き、手をワタワタさせながら慌てだした。
「ど、どうしようっ? どうしたらよいのじゃ誠士郎!」
「僕に聞かれても分からないよ」
その言葉にシュンとなるアーシャ。可哀そうだけど実際何も分からいのも確かな話だ。そもそも前例がない。というか神話の世界じゃあるまいし、ある訳がない。
神様が現れたってだけでも驚きなのに、しかもそれが異世界のとくれば、いくらファンタジー好きで、実際に小説も書いている僕ですら驚きを通り越して困惑するしかない。
「まぁ、どのみち向こうの世界の封印が解けないことにはどうしようもないんだろうし、それまで何か出来そうなことを考えるしかないんじゃないかな? 幸い――と言っていいのか判らないけど、
「ほんとかやっ?」その言葉に表情を輝かせるアーシャ。次いでテーブルに手を付き身を乗り出すと、「パンも毎食出るのかのっ?」と舌なめずりをした。
「毎食ってわけにはいかないけど、朝食には必ずようにするよ」と言うと、
「約束じゃからな!」よほど今朝のパンが気に入ったらしいのか、しっかり約束させられた。
「しかしそうなると、わっちもお主になにかしないと不公平じゃな」
「別に見返りを求める気はないし、その必要はないんじゃないかな?」
「いやいや。これでも聖なる火を守護する歴とした女神じゃからそうもいかん――おおっ、そうじゃ!」そこでポンと拳で掌を叩く仕草をすると、アーシャはこう言った。
「お主、小説のネタに困っておったよな? ならば居候する代わりに向こうの世界の話をしてやろう」
「おお! それは助かる」何せ本物の異世界の話なんだから、筆が進むのも請け合いだろう。
「それではしばらく厄介になるぞ誠士郎!」
こうして僕と女神アーシャの奇妙な同居生活が始まったのだった。
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