第29話 姉のようだった母親の代理人【月乃side】

算了サンラ!(もういい!)」


 大陸語の叫び。


 そちらを見れば、永 飛龍(ヨン・フェイロン)が立ち上がっていた。


我来做ウォライゾォ。(俺がやる)」


 壁際に並んでいた弟子一同と、上座の師範代らしき連中が言い返しているが、全く理解できず。


 むろん、飛龍フェイロンが言っていることも分からない。


 アウターをその場に落とし、前に歩み出てきた後で、手足を動かしている。


 少なくとも、握手のつもりではなさそうだ。


 ……ここまで、俺のために翻訳してくれる人はいない。


「よせ、飛龍フェイロン! お前が戦えば――」

「親父は黙っていろと、言ったはず! こいつは、あの女の弟子だ! ならば、俺が叩く!」


 その剣幕に、永 俊熙(ヨン・ジュンシー)は口を閉じる。


 道場が静まり返った。


 向かい合った飛龍フェイロンは、ゆっくりと構える。


「貴様も構えろ……。さもないと」


 ――死ぬぞ?


 瞬く間に、飛龍フェイロンが近くにいた。


 柔拳のため、そのまま押し込むようにショルダーアタック。


 ダンスのように合わせて、側面へ回り込む歩法でかわす。


 相手は拳をねじり込む必要がなく、触れるだけ。

 そこから、けいを浸透させるのだ。


 厄介なのが、相手に密着して見ないままでの連撃だ。

 素直に後ろへ下がると、前へ踏み込み、突きから肘。


 全てを躱しきるのは不可能で、ぶつかってきた箇所はこちらもぶつけて相殺。


 本来は、相手の腕をどかしつつ、確実に仕留めるまで動くのだが……。


 俺を牽制けんせいしつつ、後ろへ摺り足。


 意外にも、飛龍フェイロンから下がった。


 ざわつく、ギャラリー。


 一撃必殺の拳法としては、下がることは負けたに等しいのだろう。



 ◇



(すごい……)


 時翼ときつばさ月乃つきのは、上座の隅で座ったまま、室矢むろや重遠しげとおの戦いぶりを見ていた。


 アイススケートをしているかの如く、鮮やか。


 相手が動いているタイミングで崩すか、途中で止める。

 それは、床に接している足を邪魔することで、発勁はっけいをする前の崩し。


 死にたいとなれば、重遠の両手で払うように投げられるだけ。


(確かに、これなら密着して浸透させる武術にも対抗できるね?)


 月乃は、素直に感心した。


 同時に、戦っている飛龍フェイロンの修練にも。


(高校生で、あれだけの技術と判断……。これが、その道だけに邁進している人間の実力か)


 打撃技は、相手の間合いに入ることを意味する。

 少しでも読み間違えるか、対応しきれなければ、まともに食らうのだ。


 ならば、大陸を代表する勢力の次期宗家についていく重遠は、いったい何だ?


 飛龍フェイロンはどんどんスピードと威力が上がっていき、もはや月乃では何回か死んでいるレベル。


(重遠に、ボクの母親と稽古をできるはずがない……。お互いの年齢を考えれば……)


 殺し合いと化した組手が、続いている。

 工事現場で基礎工事をやっているような衝突音。


 直線に手足の円運動による体捌きの飛龍フェイロンに対して、重遠は両足を滑らせてのいなしだ。


(ベル女の交流会では、ボクも重遠と戦った。でも、これほどの技術は……)


 あの時に、わざと隠していた。


 だとしても、次期宗家候補と対等に戦える腕は、おかしすぎる。


 月乃は消去法で、結論を出す。


(やっぱり、お母さんが教えたんだ……。でも、どうやって?)


 まだ幼い自分を置いたまま、先に死んだ母親。

 それも、志願する形で。


 板村いたむら迦具夜かぐやが親切なお姉さんではなく自分の母親だと知ったのは、かなり後の話だ。


 ベルス女学校にいた母親と同年代で、一緒に過ごしたりょう愛澄あすみは、何も語らず。


 なぜ、自分に母親だと打ち明けなかったのか?

 なぜ、死地へ行ったのか?


 真実を知らない月乃にとっては、まさに愛憎の対象だ。


 いずれは、愛澄なり、重遠なりに尋ねようとは思うが――


 摺り足で後ろへ下がった飛龍フェイロンのオーラで、正気に戻った。


 見れば、先ほどまでと迫力が段違いだ。


 そのプレッシャーで、服越しに身を削られているよう。


(くっ……)


 何とかこうべめぐらせば、他の人間も必死に耐えていた。


 道場内の格子や壁がビシビシと鳴り、板張りの床が凹む。


 その張本人である飛龍フェイロンは、ダンッと片足を踏み、揺れるように構えた。


「感謝するぞ、室矢! 貴様のおかげで、俺はあの女への決着をつけられる!」


 殺す気だ。


 そう思った月乃は、声を出そうとする。


 けれど、飛龍フェイロンの話が続く。


「最期に……言っておきたいことはあるか?」


 自然体のまま、両手を下ろしている重遠は、静かに述べる。


「お前は……似ている。千陣せんじんに、よく似ているんだ」


 やはり、月乃には意味が分からない。


 けれど、飛龍フェイロンも同じ。


「そうか……。では、いくぞ!」


 放出していたオーラが止み、それを内側に秘めた弾丸が放たれた。


 間合いで繰り出された拳に対して、正面から向き合った重遠が差し出した手の甲が逸らしつつも、彼の外側へ滑っていく。


 すかさず、飛龍フェイロンのショルダーアタック。


 重遠は素直に後ろへ吹き飛び、相手が攻撃する直線上から逃れた。


 相変わらず、アイススケートのような歩法。


 その動きから飛龍フェイロンの足の動きを阻害するように踏み込みつつ、ほぼ密着した状態での振り上げ。


 カウンターでぶつけようとした飛龍フェイロンの腕に巻きつくように支えとして、軽やかに宙を舞う。


 その着地点に突進した飛龍フェイロンに対して、床へ転がるような動きで触れられることを避け、跳ねるように起き上がる重遠。


 お互いの両腕が違う生き物のように動き、目まぐるしくポジションを変えながら、相手を見たまま離れた。


 どちらも、肩を上下させる。


 戦っている2人に、誰も言葉を発しない。

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