第13話 暗殺者が動き出すそうです。

 王都にて。

 寝室にある大きなソファに座っていたイリシュは、苛立たしげに貧乏ゆすりをしていた。


「遅いわね……まだ連絡がないのかしら」


 するとコンコンと入口のドアがノックされる。

「入りなさい」と言うのとほぼ同時に姿を見せたのは、イリシュの従者の男だった。

 イリシュは男を密偵として扱っていた。


 男は「見つけました!」とイリシュに言う。

 その報告にイリシュは目を見開いた。


「本当!? ルナは? 私のルナはどこにいるの?」

「辺境都市ブリンデルです」

「何ですって!?」


 イリシュはぎょっと目を剥く。


「ブリンデルって言ったら、あの役立たずの義息リヒトがいるところじゃない」


「どうやらルナ様も同行しているみたいで」


「うぐぐぐ……てっきり人さらいにでも遭ったのかと思ってたのに」


 ギリギリギリ、と静かな部屋に歯ぎしりの音が響く。


「そもそも、なんであの男が生きてるのよ! ベヒーモスがいる森に入ったんじゃないの? 警告文が書かれた看板はちゃんと処理したんでしょうね!?」


「はい。しかし肝心のベヒーモスが手練れの冒険者に処理されてしまったようで」


「あー! どいつもこいつも使えないわね!」


 ダンッと近くのテーブルをイリシュは叩く。

 室内にしばし重たい沈黙が流れた。


 失敗した。

 本来の計画では、王都を出た義息リヒトはブリンデルで不慮の死を遂げるはずだったのだ。

 イリシュが魔族国家から裏ルートで手に入れたベヒーモスを放ち、亡きものにするはずだった。


 しかし予想外だったのは、ベヒーモスが想像以上に凶暴だったことだ。

 十数名の男たちを襲ったベヒーモスはコントロールが効かず、最終的に森に逃げ出した。


 次に予想外だったのは、ベヒーモスがあっけなく倒されてしまったということだ。

 手練れの冒険者に一撃で屠られたという。

 魔族国家の中でもかなり上位に位置すると聞いていた魔物なだけに、落胆は隠しきれない。


 だが何があったのか、その危険な森には義息だけでなく娘のルナまでもが足を踏み入れていたらしい。

 その話を聞いた時は心臓が止まるかと思ったが、ルナが無事なのは不幸中の幸いと言えるのだろう。


 今、ルナはあの役に立たないスキル持ちと同棲しているという。

 兄妹とは言え義理。それも同じ屋根の下。

 いつ間違いが起きても不思議ではない。

 ルナがキズモノになる前に、なんとかしなくては。


 イリシュはしばらく考えた後、やがてピタリと動きを止めた。


「……暗殺者を雇いましょう」

「本気ですか? 奥様」

「もちろん本気よ。今すぐ手配して」


 イリシュの息子のアレンが正式に家督を継ぐと共に、ルナをどこかの名家へ嫁がせる。

 そうすることで、自分の立場を盤石なものにするのが狙いだった。

 だからこそ、リヒトには早く消えてもらう必要がある。


「しかし奥様、闇の者は契約違反を許さない連中です。用心暗殺に失敗し、報酬を渋った挙げ句一家もろとも滅ぼされたという話も聞きます。リスクが高いのでは?」


「構わないわよ! あの馬鹿な義息を処分し、ルナを王都に連れて帰れるならなんでも! あぁ、私の可愛いルナ。きっと今頃無理やり連れられて、働かされているのね」


「ルナさまは自らの意思で馬車に忍び込んでいたとの報告がありますが」

「そんなのデマよ!」


 イリシュはハァハァと息を荒げさせる。


「……それでその問題のバカ義息はどこにいるの?」

「王都でギルドを通した傭兵業を行っているようですね。今は銀等級になっているのだとか」

「ふぅん? 大して武芸に秀でている訳でもないのに冒険者気取り? 良いわ、すぐにそんな日常もぶち壊してあげる」


 そしてイリシュはニヤリと笑った。


「闇ギルドに連絡を入れなさい」


 ◯


 辺境都市ブリンデルに来て二ヶ月が経とうとしていた。


「こんにちは、マリーさん」

「こんにちは、リヒトさん。依頼報酬の受取りですか」

「ええ、お願いします。言われていた素材はこの通り」

「確かに、確認しました。依頼主に連絡を入れておきます」


 マリーさんはスチャッとメガネのズレを直す。


「お二人もずいぶんこの街に馴染んで来ましたね」

「お陰様で」


 当初は色々あったものの、ここでの暮らしもだいぶ馴染んでいる。

 カデリアさんの口利きやルナの活躍もあって、僕たちの等級は瞬く間に銀まで上がった。

 当初は強面ばかりに見えたギルドの冒険者たちとも、すっかり顔なじみだ。


「正直ここまであなたたちが馴染むとは思っていませんでした。大抵の冒険者は、駆け出しの内に命を落としてしまうか、すぐに辞めてしまいますから」

「僕はここ以外行き場もなかったので」


 マリーさんは笑みを浮かべる。


「お二人がご無事で良かったです」

「お陰様で、何とか」


「ところで今日、妹のルナさんは?」

「ああ、ルナなら僕の背中にへばりついています」


 僕は背中を向ける。

 マリーさんはぎょっと表情を変えた。


「うううう……兄様の温もりぃ、匂いぃ、汗ぇ、うううう……」


「おい見ろよ、あの妹またへばりついてるぜ」

「まるで寄生虫だ」

「やっぱやべぇ兄妹だな……」


 ギルドからヒソヒソと声が上がる。

 もはやこの光景にもすっかり慣れてしまった。


 するとその時、近くのカウンターがコンコンとノックされた。

 誰かと見ると、カデリアさんが立っていた。


「カデリアさん、どうしたんですか?」

「どうしたって、今日は剣の稽古をつける約束だったでしょ? 家に行っても居ないから様子見に来たのよ」

「もうそんな時間か」


 カデリアさんはルナに目を向ける。


「こんにちは、ルナちゃん」

「あ、兄様のストーカーさん」

「誰がストーカーよ!」

「おい、カデリアだ……」

「最近リヒトの家に押しかけてるって噂の」

「婚期が迫って焦ってるのか」


 カデリアさんが声を荒げると同時に、またギルドからヒソヒソと声が上がる。


「もう、あなたのせいで変な噂が立ってるでしょうが!」

「嫌ならさっさと兄様を諦めてください」

「それとこれとは話が別よ! リヒトは逃さないわ! 絶対にね!」


「おい、修羅場ってるぞ……」

「あのブラコン妹を納得させるのは無理だろ」

「カデリアも必死だな」


「あああ! もういいから行くわよ! あなたたちのせいですっかりギルドも居心地が悪くなったものだわ!」


 騒いでいるとハッとしたようにマリーさんが「そう言えば皆さん」と声を掛けてくる。


「最近闇ギルドが暗躍しているそうなのでお気をつけください」

「闇ギルド?」


 僕が首を傾げると彼女は頷いた。


「裏稼業のギルドです。殺し、人さらい、盗み、表では禁じられている仕事を何でも請け負う組織があるそうです」

「それなら私も聞いたことがあるわ」


 カデリアさんも話に加わる。


「最近有名よね。この間も国の要人が一人死んだって」

「はい。相当な手練れで構成されていると噂になっています。特に最近は暗黒騎士と言われる、黒い鎧を来た暗殺者の目撃談がよく上がっています」

「暗黒騎士ねぇ。そんな目立つ奴がいるなら、すぐに気づきそうなものだけれど」


 物騒な話だなと思う。

 黒い鎧を来ても捕まっていないのは、夜に行動しているからだろうか。

 マリーさんは本気で心配してくれているようだった。


「皆さんも、もし遭遇したら戦わずに逃げてください」

「もし出会ったとしてもルナが守ってあげるからね、兄様」


 ルナがギュッと僕の腕を組んできた。

 僕はそっと微笑みかける。


「まぁ、僕が暗殺される理由はないから大丈夫だよ」


 するとルナは少し意地悪い顔でカデリアさんに目を向けた。


「カデリアおばさまは一人でがんばってくださいね? 自称ギルド二位なんでしょ?」

「自称じゃない! っていうか誰がおばさまよ! 私はまだ25歳よ! 訂正なさい! 訂正なさいよぉ!!」


 逃げ惑うルナを追いかけてカデリアさんが出ていく。

 その背中を追って僕もギルドの入口へと向かった。


「リヒトさん」


 マリーさんが呼び止めてくる。


「最近、あなたの評判も聞いていますよ。とても強くなったと。どうか頑張ってくださいね」

「ありがとうございます。そう言ってもらえるととても嬉しいです」


 僕はマリーさんに笑みを浮かべると、外へと向かった。

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