ムラトの理由 前半
2035年のある日、突然現れた未知の怪物によって、日本列島は未曾有の危機に直面していた。九州地方が最初の標的となり、その破壊力は計り知れないものだった。巨大な体躯と恐るべき力を持つ怪物は、都市を一瞬にして瓦礫の山に変え、人々は逃げ惑うばかりで成す術がなかった。福岡市は壊滅的な被害を受け、続く熊本や鹿児島でも同様の惨状が広がった。
怪物はその勢いを止めることなく、次々と近畿地方へと進撃を続けた。大阪、京都、神戸といった大都市も次々とその牙にかかり、無数の建物が崩れ落ち、多くの命が奪われた。交通網は寸断され、救援活動もままならない状況が続いた。人々は避難所に押し寄せたが、物資の供給が追いつかず、混乱が深まるばかりであった。
中部地方もまた、怪物の猛威にさらされた。名古屋市を中心に甚大な被害が広がり、中部圏の経済活動は完全に麻痺した。人々の心には恐怖と絶望が渦巻き、どこに逃げても安全な場所はないと思われた。
そして、怪物は中部地方から関東地方への侵攻を開始した。その報せが東京に届くと、政府はただちに非常事態を宣言し、自衛隊の総動員を決定した。最新鋭の武器と兵器を装備した自衛隊員たちは、怪物の進撃を食い止めるため、必死の防衛線を築いた。だが、その全ての努力は怪物の圧倒的な力の前には無力だった。重火器やミサイルも怪物の硬い皮膚には通用せず、自衛隊の兵士たちは次々と倒れていった。
多くの犠牲を払いながらも、政府は新たな対策を講じるため、科学者や専門家たちを集め、怪物の解析と対抗手段の研究を急がせた。しかし、時間は刻一刻と過ぎていき、怪物はゆっくりと確実に関東圏へと近づいていた。
ここ1か月の死者数は4200人、行方不明者数2300人、負傷者数は1万5千人を超え、事態はますます深刻化していた。政府は非常事態宣言を発令し、自衛隊の武装強化と怪物対策の研究が急務とされた。全国民が一致団結してこの脅威に立ち向かう決意を新たにしたが、現実は厳しく、犠牲者の数は増えるばかりだった。
その中で、政府の戦略会議が連日開かれ、各分野の専門家や自衛隊の高官たちが集まって議論を重ねた。怪物の巣穴とされる基地を爆撃する案が浮上したが、幕僚長はこの提案に対して一貫して反対の姿勢を崩さなかった。彼は、住民の安全を最優先に考え、基地への爆撃がもたらすリスクを重く見ていた。「住民の被害が危うい」という理由から、その意見を強く主張したのだ。
一方で、多くの自衛隊員や戦略会議の参加者たちは、基地を爆撃することで怪物に大打撃を与え、状況を好転させる可能性が高いと考えていた。彼らは、「住民を安全に避難させてから正確に目標地点を爆撃すれば、住民の被害は最小限に抑えられる」という理論を展開し、爆撃の実行を強く訴えた。さらに、巣穴を空爆することで怪物が大打撃を受け、その後に総攻撃をかけることで決定的な勝利を収められるという希望を持っていた。
その日の会議も白熱した議論が続き、私はその場に参加していた。会議室には緊張感が漂い、誰もが一刻も早く結論を出すことを求めていた。しかし、幕僚長は頑として「NO」の姿勢を崩さなかった。「我々は住民を守るために戦っているのだ」と、彼は強い決意をもって言葉を紡いだ。
「だが、怪物を倒さなければ、さらなる犠牲者が出るのではないか?」と、若い自衛官が反論する。「基地を爆撃すれば、我々が主導権を握ることができる。その後、総攻撃をかけて怪物を殲滅することができるのだ」と。
他の参加者たちも次々に意見を述べ、会議は紛糾を極めた。科学者たちは、怪物の巣穴の構造や怪物の弱点について最新のデータを報告し、その情報を元に作戦の具体案が練られた。しかし、どの案にもリスクが伴い、簡単に決断を下せる状況ではなかった。
「我々は冷静に、そして確実な方法を模索しなければならない」と、幕僚長は続けた。「感情に流されて行動してはならない。住民の安全を最優先に考え、慎重に対策を講じる必要があるのだ。」
その言葉に対し、参加者たちは一瞬沈黙した。重い空気の中で、私は思考を巡らせていた。確かに幕僚長の言うことも理解できる。しかし、時間は刻々と過ぎていき、怪物の脅威は日に日に増している。このままではさらなる被害が出るのは避けられない。
そして、結論を出せないまま会議は中断となり、俺は重い足取りで会議室を後にした。外に出ると、薄暗い空が広がっており、風が冷たく感じられた。駐屯地を出ようとする俺の前に、見慣れた二人の姿が立っていた。アリスとムラトだ。
そして、俺は重苦しい会議室を後にし、廊下に出た。長時間にわたる議論の疲れがどっと押し寄せる。冷たい空気が頬に触れ、一瞬気持ちが引き締まった。その時、アリスとムラトがまるで俺を待ち構えていたかのように廊下の先に立っていた。二人とも、この緊迫した状況下でも全くぶれない様子だった。
「お疲れ!空!」とアリスが明るい声で声をかけてきた。彼女の口元には微笑みが浮かび、その右手はまるで犬のように尻尾を振っているかのように動いている。アリスのこの無邪気な態度は、どんな状況でも変わらない。彼女の軽やかな態度に、少しだけ心が和らぐのを感じた。
「そろそろ命令する気になりました?依頼者さん」とムラトが静かに続けた。彼の無表情はいつものことだが、その眼差しには深い洞察力と強い決意が宿っていた。ムラトは常に冷静であり、どんな困難な状況でも感情を表に出さない。それが彼の強みであり、俺にとっても頼りになる存在だった。
俺はムラトに命令する気にはなれず、彼女に質問した。「ムラト。怪物はどうやって巣から出てくるんだ?」すると、ムラトは少し考え込んだ後、不確かな答えが返ってきた。「洞窟の奥の方から出てくることは間違いないよね」
「あーなるほどね」と俺は頷いた。洞窟から出てくるということは、怪物の巣穴はその奥深くにあるのだろう。どうしてそのような場所に巣を作っているのかはわからないが、怪物の巨大な体を考えると、広い空間が必要なのだろう。巣穴を守るために怪物が出てくるタイミングや経路を把握することが重要だと感じた。
俺はふと思い出した。ボスがわざわざ人間の目で見えるのは巣の穴を守るためだと教わったことがあった。確か、アリスが来たばかりの頃だった。あの時、上官が危険だからと言って教えてくれたが、その詳細は覚えていない。あの上官も今はもういないし、気にするだけ無駄な話だ。
アリスのことを考えると、彼女が怪我をせずに3日後に退院したことを思い出した。あの白い部屋で寝ていただけの彼女が、いつも元気で前向きな姿を見せてくれた。その時、俺との会話で彼女が最近誰かに見られているという噂を聞いたことがあると言っていた。俺はその噂の発信源を特定し、上官に報告するという彼女の決意を聞いていた。彼女がその後3日で退院したのは、彼女の強さと決断力の表れだった。
その後、俺は怪物の巣を爆撃しようと考えたが、幕僚長に止められた。彼の意見を尊重しつつも、俺はいつでも行動に移せるように準備をしていた。現在も命令待ち状態であり、何か進展があるのを待ち続けていた。
「疲れましたね。お腹空きました」と、機嫌悪そうなアリスとお腹をさするムラトが俺に話しかけてきた。
「空、腹減った!」とアリスがつぶやいた。
外食を決めるときに、ムラトが俺に提案した。「おっけ。じゃあ外食するか」と俺が返事をすると、ムラトが驚くような提案をしてきた。「あ、やっぱ私の家で食べに行きませんか?」
家で食べるだって?俺はなぜそこまで飯にこだわるか知らないし、興味もないが、ムラトの提案にのることにした。「ああ、いいよ」と俺は答え、ムラトとアリスと一緒に車に乗って出発した。
繁華街を出て、住宅街の中を走る車の中で、俺たちはムラトの家に向かっていた。車は静かに進み、街の景色が次第に変わっていく。高層ビルや煌めく看板から離れ、木々が立ち並ぶ閑静な通りへと入っていく。
車で30分ほど経った後、ムラトが指を指しながら「止まって」と合図する。車から出ると、異様な雰囲気を漂わせるボロアパートが目の前に広がっていた。塗装がはがれ、錆が目立ち、天井の電球も点滅している。壁が剥がれ、天井はヒビだらけで今にも壊れそうだ。玄関は扉の下端と上端を細い針金で吊るしてあるだけで、どこか不安定な印象を与えていた。
俺とアリスは顔をしかめながら、恐る恐る扉に近づく。ムラトは平然として金属を擦る音がするドアを開けてくれた。
「どうぞ、靴を脱いで中に入ってください」と、ムラトが俺たちに言った。誰でも当たり前のお客さんの接待をする彼の姿勢に、俺は感心した。
俺たちは靴を脱ぎ、中に入る。しかし、足元からギシギシと軋む音が聞こえる。部屋の中に目を向けると、キッチンやテーブル、椅子など、最低限の生活必需品が揃っている。しかし、部屋は汚れており、疑問を感じざるを得なかった。
「これ、本当に家なのか怪しくなってきたな」と俺が言った。
ムラトは謝るような表情で俺の言葉を受け止めた。「すみません、少し荒れていますが、このアパートが俺の住まいなんです。」
その言葉に、俺は驚きを隠せなかった。彼の立場や才能を考えると、こんなところに住んでいるとは思わなかった。しかし、ムラトの身に何かあったのか、と心配になった。
「大丈夫か?なんでこんなところに住んでるんだ?」と俺が訊ねると、ムラトは微笑みながら答えた。「いや、特に問題はないです。このアパートは安くて便利なので、私にはちょうどいいんです。」
「お前って一人暮らしなの?メシとかどうしてんの?」俺は素朴な疑問を口にすると、ムラトは淡々とした表情で答えた。「外食は週に二回するけど、毎日料理で済ませてるよ」。彼の言葉に、俺は少し驚きを感じた。こんな状態のアパートで料理をするなんて、想像もしていなかった。
ムラトはそう言って台所に向かい、冷蔵庫から水が入ったペットボトルを取り出した。そして、俺たちに水を差し出すと、俺たちはその水を受け取ってのどが渇いていたのか一気に飲み干してしまった。水を飲み終わると同時に、ムラトが俺たちに告げた。「まずは座ってくつろいでください」と。
俺はムラトの言葉に従ってリビングの椅子に座ることにした。床は封筒の紙切れが散乱し、周囲には飛び回るコバエがいた。壁には何枚かの絵が貼り付けてあり、テーブルの上には包帯と消毒薬が置かれていた。この環境は、まるで窮屈なアパートの中で生活しているような感覚を促していた。
コバエが飛び回るのを鬱陶しく感じた俺は、つい呟いてしまった。その後、アリスも俺の隣に座った。
ムラトは冷静なまなざしで俺たちを見ながら、何か考え事でもしているのかと思わせる表情を浮かべていた。そして俺とアリスはリラックスしながらムラトを見つめた。「ところで今日は何を作るの?」
アリスが問いかけると、ムラトは笑みを浮かべながら言う。
そして、俺とアリスはリラックスしながらムラトを見つめた。部屋の中に漂う異様な雰囲気を忘れ、彼の料理に興味津々だった。
ムラトは笑みを浮かべながら答えた。「野菜カレーにするつもりだよ」彼の言葉に、期待が高まる。
ムラトは台所に立ち、包丁を握る。アリスは興味津々な様子でムラトの料理を見つめ、その手際の良い包丁さばきに注目していた。野菜を丁寧に切り、鍋に水と切った野菜、そしてスパイスを躊躇なく入れていく。彼の料理の手際は見事であり、その様子を見ているだけで、口の中がすでにカレーの香りで満たされるような気がした。
「すごいね、ムラト。手際がいいよ」と俺が感心しながら言うと、彼はにこやかに頷いた。「ありがとう、空。料理は芸術だから、楽しんでやってるんだ」。彼の言葉から、料理への愛情と自信が感じられた。
俺たちはムラトの料理が完成するのを楽しみに待ちながら、彼の技術と情熱に敬意を払った。そして、彼の手によって生み出される野菜カレーの香りが、部屋中に広がっていくのを感じながら、心地よいひとときを過ごした。数十分が経過すると、ムラトが味見をしながら「うん、美味しい」と呟いた。その言葉に、俺たちはさらに期待が高まった。ムラトはそう言うと、皿にご飯を盛り付けてその上に野菜カレーをかけた。スパイスの香りが鼻をくすぐり、食欲をそそった。俺は生唾を飲み込んだ。その音が聞こえたのか、ムラトは笑みを浮かべ、俺とアリスの料理をテーブルに置いた。
ムラトの手による野菜カレーは、見た目も美しく、香りも豊かだった。彼の料理に対するこだわりと技術が感じられ、俺たちはただただ感心するばかりだった。
テーブルに並んだ料理を前に、俺たちはムラトに感謝の気持ちを伝えた。彼のハンブルなアパートでの料理体験は、普段の生活から一瞬抜け出したような特別な時間となった。
「いただきます!」俺たちは揃って声をかけ、スプーンを取って料理を頬張った。その瞬間、口の中に広がる味は、想像以上の美味しさだった。野菜の甘みとスパイスの効いたカレーが絶妙に組み合わさり、舌の上で踊るような感覚を味わった。
ムラトの料理は、ただの食事以上のものだった。それは彼の心意気と情熱が詰まった料理であり、俺たちにとって忘れられないひとときとなった。
俺たちは無我夢中で野菜カレーを食べ続けた。一口、また一口と、スプーンをつけては美味しさを味わい、会話も忘れてしまうほどに。野菜のみずみずしさとスパイスの絶妙なバランスが、口の中で舌をくすぐる。その瞬間、世界のすべてがカレーの味と香りに包まれ、俺たちはただただ幸福な気持ちに包まれていた。
そしてあっという間に食べ終わると、俺は満足そうな表情を浮かべた。ムラトの手による料理は、期待以上の美味しさだった。
そんな俺を見たムラトは、嬉しそうに微笑んだ。「美味しかった?」俺が頷くと、彼は更に笑みを浮かべた。その笑顔は、彼の料理への自信と愛情がたっぷりと込められているように感じられた。
「ムラト、本当にありがとう。最高の料理だったよ」と俺は感謝の言葉を伝えた。
正直に言えば、その野菜カレーは本当に旨かった。まるで本場のカレーを食べに行ったかのような満足感に包まれた。この味わいを、この場で楽しめることが本当に幸せだった。
「ほー、じゃあ少し出汁の効いたカレーを振舞ってあげるよ」と、ムラトはニヤニヤ微笑んで言った。彼の言葉に、俺たちは興味津々で彼を見つめた。
しかし、その瞬間、何かが起こった。ムラトが皿ごとカレーを切り裂くと、机が真っ二つになり、その衝撃で皿と机が粉々になった。アリスは顔を真っ青にして、口をパクパクさせている。その姿に俺も驚愕したが、それ以上に驚いたのは次の瞬間だった。
鋭く反り返った剣を手に持って、ムラトは微笑みながらアリスを見つめた。その姿はまるで異世界から現れたようで、俺たちは一瞬息を飲んだ。
しかし、ムラトは微笑みながら剣を振り回し続け、その姿はまるで剣士のようだった。彼の眼差しには何かが宿っているようで、俺たちは戸惑いながらも彼を見つめ続けた。
「今度インド人を舐めたら、貴方を神の生贄にしますから」と、アリスがムラトに言うと、彼女は猛スピードで土下座した。その姿に、俺たちは驚きと戸惑いを隠せなかった。
ムラトはその言葉に微笑みながら剣を鞘に仕舞い、アリスを命拾いした。彼の行動には、冗談であることがわかったが、それでも俺たちは不思議な気持ちになった。彼のジョークのセンスや独特の行動に、理解し難さを感じつつも、何か不思議な魅力を感じた。
その場に居合わせた俺たちは、どう反応すればいいのかわからなかった。笑えばいいのか、返せばいいのか、それともただ黙っているべきなのか。でも、ムラトの表情からは明らかに冗談でもあれば本気であることが伝わってきた。
結論として、アビリティーインデックス2位と123位のゲノム少女の間には、戦闘力を行使するという面での差しか埋まらないということが明らかになった。この差は、ある程度の恥ずかしさを含むものだ。もし戦闘が行われるとすれば、人間を舐めているアリスは神の生贄となり、殺神によって制裁を受けることになるだろう。そして、ロリコンはその行為の代償として死を迎えることになるだろう。
このような結論は、ただ単に戦闘能力や殺人衝動によるものではなく、人間の本質や倫理観にも触れるものだ。アリスの命乞いという行為は、彼女の本能的な恐れや弱さを表している。一方、殺人衝動を持つ者たちは、その欲求を満たすことで自身の力を示そうとする。そして、それらの行為は、倫理的な価値観や社会的な規範に反するものであり、それによって罰せられるべきだと考えられる。
この議論から、人間としての尊厳や正義の概念が浮かび上がる。俺たちは、個々の能力や行動だけでなく、他者への配慮や道徳的な判断も重要だということを理解しなければならないということ。
午後3時半になると、天気は曇り空となり、何もすることがないような静かな午後が訪れた。ムラトはテレビの番組を無言で見ている様子で、アリスは他人の家で勝手に箪笥を物色している。そんな二人を放置して、俺は窓辺に立って外の景色を眺めた。
曇り空ではあるものの、雲の切れ間からは光が差し込んでおり、まるで天気が快晴であるかのような明るさが広がっていた。雨が降りそうな気配はなく、散歩するには最適な日和だった。
窓から見える街の景色は静かで穏やかであり、人々がのんびりとした時間を過ごしているようだった。遠くには高い塔や青々とした木々がそびえ立ち、空には鳥が飛び交っている。風がそよそよと吹き、心地よい涼しさが身に染みる。
そんな穏やかな光景を眺めながら、俺は心が落ち着き、リラックスした気持ちになっていた。この静かな午後を大切に過ごすために、今日は特別な何かをする必要はないと感じた。ただただ、この瞬間を静かに味わいたいと思った。
「お?!これは?!」宝を発見したかのような反応をするアリスは、箪笥から取り出したのは白いレースがあしらわれた下着だった。その光景に俺は驚きを隠せなかったが、一方でムラトはテレビを見ながらニヤニヤしている。
アリスはその下着を持って俺に近づいてくると、俺の目の前に突きつけた。「空!お宝だ!」彼女の声には興奮が込められており、その様子に俺も少し笑ってしまったが、同時に止めに入った。
しかし、俺がムラトの方を見ると、彼はまだテレビを見ながら微笑んでいるばかりで、アリスの様子には全く反応していなかった。俺は彼に助けを求めるが、「ちょっと待って、今いいところだから」と言われてしまった。
アリスは喜び勇んで、「わーい!お宝だー!空!これ貰って良い?」と俺に許可を求める。しかし、俺は即座に断った。「ダメに決まってるだろ!」と、彼女に言った。
その間、ムラトはまだテレビを見ながら微笑んでおり、「何のお宝ですか?」と答える。アリスは彼にその白いレースの下着を見せながら、「ムラト!これだよ!」と言った。
ムラトは微笑みながら、「面白いね」とだけ言って、俺の嫌な予感を確信させるような表情を見せた。
「ちょアリス、それ戻せって」俺が叱ると、ムラトは素早い動きでアリスを拘束し、首を絞めるキャメルクラッチの技を決めて彼女をベッドに連行した。
その一部始終を目の当たりにして、俺は驚きと困惑を隠せなかった。ムラトの行動は予想外であり、アリスも戸惑いの表情を浮かべていた。彼女は必死にムラトの腕を振り払おうとしていたが、その抵抗はむなしく、彼女は容易くベッドに連れ去られた。
俺はその光景に手を出すべきか、それとも止めるべきか、迷いながらも立ち尽くしていた。だが、ムラトの行動を見ていると、それがただの冗談や茶番ではないことを感じ取った。彼の表情は冷徹であり、彼の行動は真剣そのものだった。
アリスの状況を見て、俺は慌ててムラトに向かって言った。「ムラト。何をしているんだよ」しかし、彼は無言でアリスを拘束したまま、俺の方を向くこともなく、ただ静かに微笑んでいた。
そしてムラトはキャメルクラッチのまま、やっと俺に向かって言った。「見ての通り、犯人を確保しました。犯人は黒だったようですね」と。その言葉に、俺は少し戸惑いながらもムラトの言うとおりにアリスを見つめた。
「いや、白……んーまぁーそうかな」と、俺は迷いながらも言った。しかし、ムラトはそれを聞き入れず、アリスの首を段々と締め始めた。アリスは苦しそうに手を叩きながら、「ギブ!」と必死に叫んでいた。
その光景を見て、俺は身動きが取れなくなってしまった。ムラトの行動に戸惑いながらも、何かをすることができずにいた。アリスの苦しそうな様子に心が痛み、彼女を助けたいという衝動が湧き上がるが、その一方でムラトの様子にも警戒しなければならなかった。
しかし、突然ムラトがアリスを解放し、彼女はぜぇぜぇと荒い息を吐きながらベッドに倒れた。彼女の姿を見て、俺は安堵の息をついた。
ムラトはアリスを睨み付けながら言う。「今のは20パーセントです。100パーセントなら貴方は一瞬で死んでたでしょうね」「海外の人って怖いね~あたしなら普通に死んでたよ~」「いや、怒らせるお前が悪いだろ」俺はアリスに言うがアリスは知らんぷりしてそっぽを向く。ムラトはテレビを見ながら言う。「さて、お宝も回収したしそろそろお祈りをしないと」「お祈りって?」俺が質問すると、ムラトは説明する。「シヴァ神のお祈りです。まず、供え物をして仲間だと認知させ、もしいざというとき、血液を捧げたらシヴァ神のご加護を賜るという儀式です」ムラトは棚からバナナとリンゴとヤム芋の蒸し焼きを持ってきてそれをお供えして、目を瞑りながら手を合わせて呟く。俺とアリスの二人は呆然として見つめる。ムラトはカーテンの方に向いて唱えるが、ムラトの言葉は全部現地語で何を言ってるのか分からない。アラビア語だとすぐ理解したが、日本語に変換しようにも早口すぎて全く聞き取れなかった。すると、アリスは俺に言う。「ね~、シヴァ神って何なの?ゲームとかアニメとかでも見た事ないんだけど」「ヒンドゥー教の最高神です。この世界で最も偉大な神の一柱で別名はブラフマーと言います」俺は感心して言う。「ほお~博識だなムラト。でも、その神に何を願ったんだ?」すると、ムラトは苦笑いしながら言う。
「何時でもこの人達を抹殺できるようにお願いしました」「お祈りじゃねえのかよ」俺はムラトにツッコむ。やはり、ムラトの考えてることはよく分からない、いつか神の生贄にされそうだけど今でも抹殺されるんじゃないかと俺たちは冷や冷やしながらムラトを見つめた。
ムラトは静かに立ち上がり、儀式を終えた。彼の表情は穏やかで、まるで何事もなかったかのようだった。俺とアリスはただ呆然とその様子を見つめていた。ムラトの行動は一貫して冷静であり、その冷静さが逆に恐怖を煽っていた。
「これで終わりです」とムラトは静かに言い、供え物を片付け始めた。アリスはまだ息を整えながらベッドに座っていたが、徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。
「ムラト、あの、さっきのは本当に必要だったのか?」俺は恐る恐る問いかけた。ムラトは手を止めて俺の方を見つめ、微笑みながら答えた。「必要でした。あなたたちが神のご加護を得るためには、真剣さを示す必要があったのです」
その言葉に、俺はさらに戸惑いを覚えた。ムラトの真剣な表情と穏やかな口調には、嘘や冗談が一切含まれていなかった。その一方で、アリスはやや不機嫌そうにムラトを睨んでいたが、再び箪笥を物色し始めた。
「ところで、次は何をするんだ?」俺はムラトに問いかけた。ムラトは考え込むように少しの間黙ってから、「と言われましても、私は特に何もすることがありません」と静かに答えた。俺はその言葉に少し困惑しながらも、何か提案をしようと考えた。しかし、アリスが先に口を開いた。
「じゃあさ、みんなでゲームでもしない?」アリスは箪笥を物色している手を止めて提案した。
「ゲーム?」ムラトは少し首をかしげた。「どんなゲームですか?」
「カードゲームとか、ボードゲームとか。何か持ってない?」アリスが尋ねると、ムラトは少し考え込んだ後、部屋の片隅にある古い木箱を引っ張り出してきた。
「これはどうでしょう?」ムラトが取り出したのは、年代物のトランプセットと、数種類のボードゲームだった。どれも古びていたが、手入れが行き届いていることがわかる。
「おお、いいね!じゃあ、まずはトランプから始めようか」俺はトランプを手に取り、デッキをシャッフルし始めた。アリスとムラトもテーブルの周りに座り、ゲームを始める準備を整えた。
最初はシンプルなゲーム、ババ抜きから始めた。俺たちはそれぞれのカードを慎重に引き、ババを避けるために神経を集中させた。アリスは特に真剣な表情でカードを選び、ムラトも無言でゲームに集中していた。
最初はシンプルなゲーム、ババ抜きから始めた。トランプの束を手に取り、俺は慎重にシャッフルを始めた。カードが一枚一枚混ざり合う音が部屋に響く。アリスとムラトはそれぞれの席に座り、ゲームの準備を整えている。アリスは興奮気味に笑顔を浮かべていて、ムラトはいつもの冷静な表情を崩さずに俺の手元を見つめていた。
「準備はいいか?」俺が尋ねると、アリスは大きく頷いた。「もちろん!負けないわよ!」ムラトも静かに頷き、言葉を交わさずにカードが配られるのを待っていた。
カードを配り終えると、それぞれの手札を確認する。ババ抜きのルールは簡単だが、緊張感が漂う。ババを引かないように慎重にカードを選ぶ必要がある。アリスは少し考え込みながらカードを選び、ムラトも同じく無言でカードを引いていく。俺たちの間には、カードの動き以外の音はほとんど聞こえなかった。
最初の数ターンは静かに進んだが、徐々に緊張感が増していった。アリスが一枚のカードを引くたびに、彼女の表情が微妙に変わる。ムラトは依然として冷静だが、その視線には鋭さが感じられる。俺は既に出揃っているので関係ないが、お互い真剣になってることが目つきで伝わった。突然、アリスがムラトに煽るように誘い込んだ。
「ムラト、そんなに真剣な顔してどうしたの?」アリスはニヤリと笑って挑発するように言った。ムラトは少し眉をひそめたが、冷静なまま相手の二枚のカードを見つめた。同じカードを揃えばムラトの勝ち、カードが揃わなければアリスの勝ちとなるが全くカードを引かないムラトは、静かに相手の手札を見たり、アリスの顔色を探るような仕草をする。彼女の落ち着いた態度に対して、アリスは不安定な笑顔を見せるが、それでも挑発をやめなかった。
「ムラトー。この右のカードがジョーカーだよー。引かない方がいいよー」アリスは興奮気味に誘導する。ムラトはアリスの挑発に微笑みながら応じた。「そうですか……でも日本人特有の噓つきにはもう少し油断したほうがいいですね」ムラトは冷静な口調で答え、アリスの挑発に応じない様子を見せた。
「何言ってんのよー、右のカードがジョーカーだよ?絶対に引かない方がいいってー。早く左のカード引いてよー」ムラトはアリスの言葉に微笑みながらも、自らの手札を静かに整理し続けた。彼女の表情は変わらず冷静で、アリスの挑発に対しても動じることはなかった。アリスはやや焦りを感じ始め、目を細めてムラトの手札を窺いながら、自分の手札を隠そうとした。
俺は二人のやり取りを静かに見つめていた。ムラトの冷静な態度に感心しながらも、アリスの緊張感も感じ取れた。このババ抜きのゲームが、ただの遊び以上の何かを表しているような気がした。それぞれが自分の立場を守り、勝利を目指している。
「アリス。日本人特有の噓つきは、詐欺師がお客に対してまず、最初の半額以下の商品を提案すればお客は得をしたと錯覚する。しかし、詐欺師はお客が得をした最初の半額以下の商品は、その後料金をさらにさらに追加する。これを繰り返せば、定価の価格以上を稼いだことになる。つまり、騙されない人間でも被害に遭う可能性があるという意味です」とムラトが静かに説明すると、アリスは唇を噛んで黙り込んだ。彼女の顔には戸惑いと焦りが交じり合っていた。
ムラトは静かにカードを選び、次々と手札を整理していく。彼の動作は迅速で、一枚のカードを引いた後も表情には何の変化も見られない。アリスはムラトの様子に焦りを募らせ、緊張感が高まっていく中、最後に残ったカードを引いた。
「じゃあ、カードの整理は終わりだな」とムラトが静かに言うと、躊躇うことなく右のカードを引いた。アリスの手札にはジョーカーが残っており、ムラトは冷静に勝利を収めた。
「負けちゃった……」アリスはため息をついて、落胆した表情を浮かべた。一方で、ムラトは満足げに微笑んでいた。
「ムラト、さすがだね。冷静さを失わずに勝利を収めた」と俺が称賛すると、ムラトは控えめに頷いた。「ありがとう、でもアリスの心理戦もとても上手かったです。あの急かすような心理は、人間の判断能力を著しく低下させる恐ろしい武器です」
「ムラト、やっぱり君はすごいわ!」アリスはムラトに感心しながら言った。ムラトは謙虚な笑顔でアリスに頭を下げ、「ありがとうございます、アリスさん。ただ、このゲームでは冷静さが重要です。感情に流されないこと、言葉の言動に気を付けることが勝利の鍵だと思います」と答えた。
俺たちはババ抜きのゲームを楽しんだ後、時計を確認すると既に夜8時を指していた。時が経つのも忘れるほどにゲームに熱中していたことに、俺たちは驚きとともに笑い合った。アリスが立ち上がり、「そろそろお風呂入りたいから、空。先に入ってくるね~。あ、ムラトも一緒だよ~」
アリスが立ち上がり、「そろそろお風呂入りたいから、空。先に入ってくるね~。あ、ムラトも一緒だよ~」と言った。その言葉に、俺は少し驚きながらも笑みを浮かべた。
「アリス、それは無理だよ。ムラトもびっくりするから」と俺は冗談めかして言った。
ムラトはそのやり取りを静かに見守っていたが、彼女は入りたい衝動が顔で分かったけどやはり冷静な表情を崩さなかった。「そうですか。まぁ、私も丁度入るところだったので」と静かに返事をした。
アリスはその答えに納得し、「わかった。じゃあ一緒に入ろ~。空は不審者だから来ちゃだめだよ!」と強く宣告した。
「アリス…言葉の変化球を投げてくるな…」と俺は苦笑いを浮かべながら言った。アリスは舌を出して笑い、ムラトも少しだけ微笑んだ。
「わかったよ、アリス。俺はここで待ってるから、二人でゆっくりしてきな」と俺は諦めの表情で言った。
「ありがと、空!じゃあ、ムラト行こう!」アリスはムラトの手を引いて浴室へ向かおうとした。空はその間リビングで作業をした。
部屋の空気は重く、薄暗いランプの光が一つだけ机の上を照らしている。神薙空は書類の山に囲まれ、眉間にしわを寄せながらパソコンの画面に集中していた。ベータ144の拠点制圧案を作成するという任務は、想像以上に複雑で困難だった。
机の上には、ノヴァシティの地図や組織の配置図が広がっている。空はそれらを何度も見比べながら、効率的な攻撃ルートを考えたが、どれもリスクが高すぎるように思えた。頭を掻きむしりながら、再度資料に目を通す。
「もっと簡単な方法があるはずだ…」空は独り言をつぶやいたが、答えはすぐには見つからなかった。ベータ144の拠点は複数の防御層で守られており、直接的な攻撃は無謀だった。
机に広げたノートには、空の手書きのメモがびっしりと書き込まれている。各防御層の特徴や弱点、侵入経路の可能性など、あらゆる情報が詰まっていたが、それでも全体像を掴むのは難しかった。
ベータ144は特殊な遺伝子組み換え技術によって生み出された生物で、その名前の由来は彼らがベータレベル(音調)の遺伝子改変を受け、144の異なる遺伝子セットで構成されていることにある。彼らの設立理由は、科学的な研究と実験によって新たな生物を創造することであり、医療、農業、環境などの分野での進歩を目指している。先進的な遺伝子編集技術によって、ベータ144は通常の生物とは異なる特徴と能力を持ち、身体的な特徴や外見、知覚能力、生理的な機能、さらには特殊な能力やパワーを持つ。
ふと、アリスとムラトのことが頭をよぎる。彼らが風呂に入っている間に、この難題を解決しなければならないと焦りが募る。だが、焦りは冷静な判断を妨げるだけだった。
「冷静になれ、空…」深呼吸をして、自分に言い聞かせる。ベータ144の拠点は、単なる物理的な障壁だけでなく、心理的な罠も仕掛けられている可能性が高い。彼は再度、ノートに目を向け、潜在的な心理的罠について考え始めた。
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空は資料に没頭していると、時間の感覚が次第に薄れていく。気づけば、机の上にはコーヒーの空き缶がいくつも転がっていた。それでも、彼は諦めることなく資料と格闘していた。
「ここで諦めたら、何も変わらない…」自分に言い聞かせ、再びノートにペンを走らせる。彼の目は少し赤く、疲労の色が濃くなってきているが、彼の意思はまだ折れていなかった。
空は、ノヴァシティの地図を広げながら、潜入経路をシミュレーションしてみた。主要な防御層を回避するルートを考えつつ、効果的な妨害策を模索する。敵の注意を引きつけるためのフェイク攻撃や、電子戦による混乱作戦など、あらゆる戦術が彼の頭の中で交錯する。
「このルートなら、なんとか…」一つの案が頭に浮かんだが、そのデメリットもすぐに明らかになった。もし、敵がこのルートを察知した場合、彼らの反撃に対抗する術がない。
空は頭を抱えながら、再度資料に目を通した。ベータ144の能力は計り知れず、彼らの反撃を受けるリスクを最小限に抑えるためには、もっと詳細な作戦が必要だった。
彼はさらにいくつかの作戦を考案したが、どの案も決定的な解決策にはならなかった。例えば、主要な防御層を回避するルートを考えたが、そのルートには見張りが多すぎて通ることが不可能だった。また、電子戦による混乱作戦も試みたが、ベータ144の高度な技術に対抗するのは難しかった。
「もっと別の視点から考えなければ…」空は焦りを感じつつも、自分を落ち着かせるために深呼吸を繰り返した。これまでの案は全て現状の問題を解決するためのものだったが、もっと根本的な解決策が必要だと感じていた。
「あと少しで何か見えるはずだ…」空は自分に言い聞かせながら、最後の修正を加える。彼の目は集中力を失わず、手元の資料に釘付けになっていたが、まだ全体のプランは完成していなかった。
彼は再び、机の上に広げられたノートに目を通し、新たなアイデアを模索し始めた。しかし、頭の中は疲労と焦りで混乱していた。何度も何度も同じ情報を見返し、異なる視点から考えようと試みるが、どれも決定的な解決策にはならなかった。
「どうすればいい…」空は頭を抱えたまま、途方に暮れていた。途方に暮れていた。ベータ144の数は想像よりも多く、その能力も未知数だった。彼らの特殊な遺伝子改変技術によって、生み出された生物は一筋縄ではいかない。通常の攻撃や侵入作戦が通用しない可能性が高かった。
「どうすればいい…」空は深いため息をつき、資料に再び目を通した。ベータ144の拠点は、科学者たちによる長年の研究と実験の成果であり、その守りは非常に堅固だ。彼らは物理的な防御だけでなく、心理的な罠や高度な技術を駆使している。
「電子戦による妨害はどうだ?」と空は自問する。だが、すぐにその案は頭の中で却下された。ベータ144の技術は非常に高度であり、普通の電子戦では対抗できない。かえってこちらが逆に操作されるリスクがある。
次に、空は偽の攻撃を仕掛けて敵を混乱させる作戦を考えた。フェイク攻撃を複数箇所で同時に仕掛けることで、ベータ144の注意を分散させる。しかし、この作戦にも大きなリスクが伴う。敵がその意図を察知した場合、本攻撃が始まる前にこちらの戦力が壊滅する可能性があった。
「どうしてもリスクは避けられない…」空は再びノートに目を落とし、他の作戦を考えた。ベータ144の防御を突破するためには、彼らの弱点を突くしかない。しかし、その弱点を見つけるのは容易ではなかった。
彼はベータ144の特性をもう一度考え直す。特殊な遺伝子改変技術により、彼らは多様な能力を持っている。だが、その能力が彼らの弱点にもなり得るのではないかと考えた。例えば、音波に対する感受性が高いのであれば、特定の周波数を利用した攻撃が効果的かもしれない。
「音波攻撃…これなら可能性があるかもしれない。」空は新たな希望を見出し、音波に関する資料を探し始めた。特定の周波数がベータ144にどのような影響を与えるのかを調べるために、過去のデータを丹念に洗い直した。
しかし、音波攻撃も完璧な解決策ではなかった。特定の周波数を使った攻撃は、タイミングや精度が重要であり、一度でもミスをすれば失敗に終わるリスクがあった。それでも、他に有効な手段が見つからない中、空はこの作戦に賭けるしかないと考えた。
時間はどんどん過ぎていく。空は一つ一つの資料に目を通し、メモを取りながら作戦を練り続けた。ムラトとアリスが風呂から上がる頃には、空の机の上はさらに多くのメモと資料で埋め尽くされていた。
「もう少しだ…」空は自分に言い聞かせ、最後の調整に取り掛かった。ベータ144の防御を突破するための音波攻撃の詳細を詰める作業は、容易ではなかったが、彼の集中力はまだ切れていなかった。
突然、空の視界がぼやける。疲労が限界に達していることを自覚しながらも、彼は手を止めることができなかった。アリスとムラトが戻ってくる前に、何とか一つの案を完成させる必要があったからだ。
空はノートに最後のメモを書き込みながら、深い思考に沈んでいた。彼の頭の中で、様々な可能性が交錯する中、ついに一つの案が浮かび上がった。それは、音波攻撃とフェイク攻撃を組み合わせた複合作戦だった。
「これなら…」空は新たな案に希望を見出し、さらに詳細を詰める作業に取り掛かった。
空は新たな案に希望を見出し、さらに詳細を詰める作業に取り掛かった。しかし、彼の頭の中には別のアイデアが浮かび上がってきた。それは、ベータ144の特性を利用したもので、彼らが特定の餌を食べると毒になるというものだった。
「ベータ144の食性を利用する…」空は呟きながら、資料を探し始めた。ベータ144は特殊な遺伝子改変によって生み出された生物であり、その食性にも独特な特徴がある。彼らは特定の栄養素を必要とし、それを摂取することでその能力を発揮することができる。逆に言えば、その栄養素に毒を仕込めば、彼らの活動を封じることが可能になるかもしれない。
空は、この案の有効性をシミュレーションするために、詳細なデータを収集し始めた。まずは、ベータ144の食性に関する情報を集め、その特定の餌に含まれる栄養素を分析した。次に、その栄養素に毒を混ぜる方法について検討した。
「特定の毒素を混入させる…例えば、遺伝子改変によって彼らの体内で特定の反応を引き起こす物質を使う。」空はメモを取りながら、自分の考えを整理していった。ベータ144は非常に高度な生物であるため、一般的な毒物では効果がない可能性がある。だが、特定の化学反応を引き起こすことで、彼らの活動を封じることができるかもしれない。
この作戦の最大の利点は、直接的な戦闘を避けられることだった。ベータ144との正面衝突は避けたい。彼らの能力は未知数であり、通常の戦術では対抗できない可能性が高い。この餌を利用した作戦は、ベータ144を無力化するための最も有効な手段となるだろう。
空はさらに詳細なシミュレーションを行い、様々なパターンを試してみた。ベータ144がどのように反応するか、その効果がどのくらい持続するか、そしてそれに対するリスクなどを考慮しながら、最善の方法を模索した。
「この作戦なら、リスクは最小限に抑えられる。」空は自分のシミュレーション結果を見ながら、満足そうに頷いた。この方法はデメリットも少なく、成功する確率が非常に高かった。ただし、この計画を実行するためには、専門の知識を持つ人物の協力が必要だった。
空はこの新たな案を元に、必要な専門家をリストアップし始めた。遺伝子改変や毒物の専門知識を持つ科学者が必要であり、その協力を得るためには適切な交渉が必要だった。だが、空はこの作戦が成功する可能性が高いと確信し、そのための努力を惜しまなかった。
「何とかなる…必ず成功させる。」空は自分に言い聞かせ、リストに載せた専門家たちへのアプローチ方法を考え始めた。彼は一刻も早く行動に移す必要があると感じ、次のステップを踏み出す準備を整えた。
一方、ムラトとアリスは浴室でお湯に浸かりながら、リラックスした時間を過ごしていた。浴室は広く、蒸気が立ち込める中、二人は対面して座っていた。
「空って、あんなに一生懸命私のために全力を尽くしてしてるなんて、本当にすごいよね」とアリスが湯船に肩まで浸かりながら言った。彼女の目には誇らしげな光が宿っていた。「上司のレナに説得して私を生物庁に入社させたときも、あの熱意には感動したなぁ」
ムラトは興味なさそうに目を閉じ、湯船の縁に頭をもたせかけていた。「ふーん、そうなんだ」と適当に返事をする。その態度に、アリスは少し眉をひそめた。
「う、うん。空がベータ144の研究チームに入ってから、みんなが彼のことを尊敬し始めたのよ。あの時も、彼はどれだけかっこよかったか」と、アリスは少し声を弾ませた。「彼の決断力と行動力は本物よ。あなたも見習うべきよ、ムラト」
ムラトは半眼を開け、アリスを一瞥した。「そんなに空のことが好きなら、彼のことをもっと話せば?」と皮肉交じりに言った。「俺には関係ない話だし、正直どうでもいい」
アリスは溜息をつきながら、肩をすくめた。「ねぇムラト、もう少し関心を持ってくれてもいいじゃない。空は私たちの仲間だし、彼の努力を認めるべきよ」
「認めるとか認めないとか、そういう問題じゃない」とムラトは冷たく言い放った。「俺は俺のやり方で動く。それだけだ」
アリスは少し黙り込み、湯船の水面を見つめた。彼女の中で、空に対する思いとムラトの無関心さが対比される。空は彼女にとって特別な存在であり、彼の努力と熱意は彼女にとって大きな影響を与えていた。
「空がベータ144のプロジェクトに入ったとき、彼はその難しさに直面しても決して諦めなかった。彼の姿を見て、私も自分の力を信じて前に進もうと思えたのよ」と、アリスは静かに語り始めた。「彼はただの仲間じゃない。彼は私たちの希望なのよ」
ムラトは再び目を閉じ、無関心を装ったままだった。「希望ね…そう思うのは勝手だけど、俺には関係ない話だ」
アリスの思いが伝わらないように見えた。
「ムラト、なんでそんなに否定的なの?」アリスは少し苛立ちを抑えながら問いかけた。「空のことを少しでも理解しようとする気はないの?」
ムラトは目を閉じたまま、少しの沈黙を挟んでから答えた。「正直に言うと、ゲノム少女がどうとか、全然興味ないんだよ」
「でも、それだけじゃないでしょ?もっと理由があるんじゃない?」アリスは食い下がった。「どうしてそんなに無関心なのか、ちゃんと教えてくれない?」
「嫌だ」
「教えてよー」
「断る」
「お願い、本当に聞きたいの」
ムラトは嫌々ながらも目を開け、アリスを見つめた。「――本当に聞きたいのか?聞いてもいいことなんてないぞ」
「聞きたいわ。話して」
ムラトは大きなため息をつき、少し考えた後、重い口を開いた。「俺がこうなったのは、昔のことが原因なんだ。道端で出会った優しい眼鏡爺さんに、組織に入ったら好きなものをあげると言われて、ヴェルトロスに入った。それが俺の人生を狂わせた理由だ」
アリスは驚いた表情でムラトを見つめた。「ヴェルトロス…その組織が関係してるの?」
「ああ、あの爺さんは本当に最悪だった。俺を利用して、能力を測るために遺伝子濃度検査をさせたんだ。そして、俺がアビリティーインデックス2位だって判明した」
「2位…えすごい。でも、それがどうしてそんなに影響を?」
ムラトは苦笑いを浮かべた。「それを知った俺は、他のゲノム少女に対して圧をかけ始めた。爺さんの目的を全く知らずに、海外のゲノム少女を次々と狩りまくったんだ。2年間、それを繰り返した」
「信じられない…そんなことが…」
「そうだ、信じられないだろうな。でも、それが現実だ。でもある日、日本のゲノム少女を狩れって命令を出されてすぐ日本に渡って東京のゲノム少女を片っ端から狩り始めた。すると途中、東京の渋谷交差点で、ゲノム少女のアビリティーインデックス1位のエリザベスと名乗る奴に出会った。彼女に、俺が騙されているって言われたんだ」
「エリザベス・シルフィー…」アリスはその名前を口にした瞬間、背筋が凍るような感覚を覚えた。「あの冷酷無比なエリザベスが?」
「ああ、彼女だ。最初は冗談かと思ったけど、1位だって言われると説得力があった。信じる前、私は何度も根拠ない反論をした。するとエリザベスは呆れたのか、彼女に言われたんだ。『馬鹿すぎて言葉に出ない』って」
アリスは言葉を失った。ムラトがそんな過去を背負っているとは想像もしていなかった。
「エリザベスの言葉のせいで物凄いショック受けたけど、そのおかげでやっと狩りを辞めた。でもその後、日本中のゲノム少女を抹殺したと嘘の報告をすると用済みなのか、指定した隠れ家に入ると急にヴェルトロス会員5人に襲われそうになった。一番裏切られた瞬間で唯一苦戦した場所だけど、なんとか倒した。5人の精鋭を倒してとりあえず一段落したけどまぁ、まだ私のことを探してるから全てが終わったわけじゃない」
アリスはムラトの話を聞きながら、彼の心の痛みを感じ取った。「そんなことがあったなんて…ごめんね、ムラト。私、何も知らなかった」
「知らなくて当然だ。だから俺は組織の名残のせいでゲノム少女のことにも興味が持てない正確になってるんだ。過去のことが俺の中でまだ消化しきれていない」
「ムラト…」アリスは静かに彼の名前を呼び、彼の手を取った。「あなたの痛みを理解したい。でも、空はあなたにとって新しい希望になるかもしれないわ」
ムラトはアリスの手を見つめ、少しの間黙っていた。「まあ、そうかもな。でも、俺にはまだその気持ちを持てるほどの余裕はない」
アリスはムラトの手を握りしめ、心から彼の気持ちを理解しようとした。「いつか、その気持ちが変わる日が来ることを願ってるわ」
ムラトは無言で頷き、再び目を閉じた。彼の中で何かが少しずつ変わり始めているように感じたが、それを認めるにはまだ時間が必要だった。
突然、アリスがムラトに抱きついてきた。ムラトは一瞬驚いて硬直したが、アリスの温かさを感じながら彼女の頭を撫でた。彼の頭の中が真っ白になり、少し嬉しい気持ちも湧いてきたが、恥ずかしさが先に立った。
「アリス、手を離せよ…」ムラトは照れくさそうに彼女の手を引き離そうとしたが、アリスはさらに強く抱きしめてきた。
「暖か~い」
「子供かよ…」ムラトは軽くツッコミを入れたが、その言葉にはどこか優しさが含まれていた。彼は初めてこんなにも慰められる経験をしていた。アリスの温もりに包まれながら、彼の心は少しずつほぐれていくように感じた。
ムラトはふと過去の記憶を辿り始めた。道端で出会った謎の優しい眼鏡爺さん。彼がヴェルトロスに入ったのは、その爺さんの言葉に引き寄せられたからだった。組織に入ったら好きなものをあげると言われたけど実際は褒めまくったり、倒した分だけ報酬を増やすとか言われて、夢見るような期待を抱いて入った。しかし、組織に入った途端、優しい爺さんの仮面は剥がれ、ムラトの人生は狂い始めた。遺伝子濃度検査でアビリティーインデックス2位と判明した彼は、ゲノム少女に対して、アビリティーインデックス2位だからお前らが勝てるわけないと自信満々に言ったり、必死に命乞いする者も居たけど容赦なく倒したりした。彼の中で何かおかしいに感じたが、その命令に従うしかなかった。
ムラトは無慈悲に命令を遂行し、海外のゲノム少女を次々と倒していった。2年間、それを繰り返す中で、彼の心は次第に壊れていった。自分の中に残っていた人間性が徐々に失われていくのを感じたが、それでも止めることはできなかった。
東京の渋谷交差点でエリザベス・シルフィーと名乗る少女に出会った時は、なかなか紳士的だった。酷い言葉を言われる前、エリザベスはヴェルトロスの否定を投げかける言葉に苛ついて一度だけ決闘を始めた。でもお互い1位と2位が争ってもどちらかが負けるという試合になり、結局辞めることにした。そして色々あって反論して、エリザベスが呆れると彼女の言葉がムラトに突き刺さり、「お前の思考が悪い」と冷たく言われた時、彼の心は揺さぶられた。ゲノム少女を倒すことに疑問を抱き、ついに狩りを辞めた瞬間が蘇った。
――ムラトが懐かしさとともにその記憶を辿っていると、アリスが突然、彼の胸に顔を擦り始めた。ムラトは苛立ちを感じ、アリスを体を強く締めつけた。
「ギブ!ギブ!」アリスは驚いてバタついた。
ムラトは彼女をしっかりと見つめ、「すまん。お前やっぱ嫌いだ」と一言言った。
アリスは少し驚いたが、ムラトの言葉に特有の優しさを感じ取った。「そんなこと言わないで、ムラト。私はただ、あなたを支えたいだけなの」
ムラトは少しの間、黙ってアリスを見つめていた。彼の中で何かが変わり始めているのを感じながらも、その変化を認めるにはまだ時間が必要だった。
「お前、本当に変態だな。今すぐにでも神の生贄に捧げるか」
「え!?ムラト酷いよ!?――いたたた!段々と強く締め付けないで!」
「無理」
アリスはムラトの腕の中で必死にもがいていたが、彼の力強い抱擁から逃れることはできなかった。彼の顔には怒りが浮かんでいるが、少し笑みが零れると嬉しい感情の色が残っていた。
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