豊臣の子

四谷軒

序章 豊臣完子(とよとみさだこ)の嫁入り

01 プロローグ

 露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速なにわのことも 夢のまた夢

 ――豊臣秀吉





 ……夢を見ていた。


 その女はしとねにいた。

 その女を、自分が組み敷いている姿が見えた。

 姿が見えた、などという他人ごとのような言葉は、自分が自分でないような感覚の中で、そう、夢の中に揺蕩たゆたうようにしている自分を感じる。

 そういえば、組み敷いている女は当然の如く裸で、その艶かしい体をびくびくとさせて、震えている。

 それは、自分がこの女の中で動いているからか。

 動いているらしいが、先ほどより自覚がまるでない。

 これは、本当におのれの体なのか。

 そのうち、女がその腕をどけて、顔を見せた。

 美女だ。

 これ以上ないほどの。

 そう、自分はこの美女を知っている。

 たしか、この国最高の美女だ。

 母親もまた傾国傾城の美女として知られる。

 そう……母親の兄はたしかこの国の覇者だった。

 ただしその覇者は道半ばにして倒れ、は……。

「うっ」

 吐き気がする。

 怖気おぞけがする。

 寒気がする。

 そうだ。

 自分は何てことを。

 そう……何てことを。

 のこの国の覇王の、その寵愛を受けた美姫を抱くとは。

「な、何てことを」

 思わず口をついて出た。

 このことがばれたら、極刑に処される。

 いや、自分だけではない。

 妻妾、子女までもその罪は及ぶだろう。

 そんなことはわかっている。

 わかっているが、この女を抱くのを、組み敷くのを、突き伏せてその中におのれを放つのを止められない。

 それに、この女の所作は何だ。

 まるで、おのれをその中にいざなうがごとく、招き入れるがごとく、蠢いている。

 これでは、この女から誘惑されているようではないか。

 しかし、それはちがう。

 ちがうのだ。

 なぜなら。

「……泣いているのか」

 口をついて出た言葉に、女はうなずく。

 本意ではない、肉欲によるものではない、そういっているような、うなずきだった。

 ではなぜ。

 ──暗転。

 「ようやった」という声が響いた。

 何をやったのか。ようやったのか。

 喘ぐように動く口から、つい、女の名が漏れた。

「茶々……さま……」

 茶々。

 あるいは淀殿。

 彼女の母は市──織田信長の妹である。

 つまりはこの国の覇者、豊臣秀吉に寵愛された、美姫であった。


 ……夢を見ていた。

 ……夢を。

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