Secret End

 夕霧美雨。

 中学一年生。

 両親健全、弟が一人。

 収入は少ないながらも親の愛情を弟と分かち合って真っすぐに育つ。

 成績はそこそこだが将来の夢は看護師さん。一生懸命勉強して、たくさんの人を助けるのが目標。

 反抗期の弟と喧嘩中で、学校では友だちにいつも愚痴を聞いてもらいながらも、なんだかんだで平穏な日々を過ごしている。


 それが、まだ平穏だったころの彼女の日常。


 夕霧美雨。

 二十五歳。

 両親はすでに死亡。彼らを殺害した弟は、重度の精神病と判断され、隔離病棟に入院中。

 数々の困難に直面し、すでに心の傷は数えられない。

 将来の夢であった看護師として働いてはいるものの、助けた命より救えなかった命の方が何倍も多い。


 そして今も。

 唯一の肉親だった弟が、目の前で逝った。

 いや、自分が殺したと言っても過言ではない。

 そう思っても、もはや自分を責める気力すら彼女には残っていなかった。


 どうして、こんなことになってしまったのだろう。


「そりゃ、あんたが私に、もう自分の手には負えないから、精神病の弟を殺してくれって頼んだからだろ?」


 彼女の——美雨の心を読んだかのように、背後で場違いなほど陽気な声が聞こえた。

 振り向くと、少女が白いベッドの上でゴロゴロと寝返りを打っていた。

 さらさらとした黒い髪を背中まで伸ばし、同じ色の長袖のシャツに、健康的な足を余すところなく見せるジーンズ生地のショートパンツ。

 そんな風貌の少女の声は、粗暴な喋り方でなければ、年相応―見た目にしてだいたい十二歳くらいの、可愛らしいもの。


「さすがの私もバーチャルの世界で人を殺したのは初めてだったよ」


 ケタケタと笑いながら、少女は物騒なことを言う。

 その言葉に違和感を覚えないのは、美雨が少女の正体を知っているから。

 少女が、殺し屋だと知っているから。

 少女が、弟を殺したことを知っているから。

 最初に対面した時は驚いたものだ。

 殺し屋と言えば、屈強な、目つきの鋭い男をイメージしたものだったのだが、現れたのはこんな年端もいかない女の子。


「私だってこの道十年のベテランだけどさ……このタイプはなぁ。いやでも楽しかったわ」


 少女はベッドの上で満足そうに、ベッドの上でバンザイのポーズを取る。

 それから寝返りを打って、真っ直ぐに美雨の視線を捉える。

 貫かれそうな漆黒の瞳が、なかなか彼女を逃がしてはくれない。

 責められていると、そう思った。


「別に責めちゃいねーよ。むしろ私は感謝している。違法VRシステムで殺しなんて、仲間に自慢できるぜ」


 ニィっと口角を上げて、美雨に笑いかける。

 そんな彼女の可愛らしい笑みに救われたような気持ちになって、そんな気持ちになってしまった自分に、また嫌悪感が襲う。

 美雨が勤務する病院ではVR——ヴァーチャル・リアリティのシステムを医療機器として採用していた。

 仮想現実にフルダイブできるヘッドギア型の機器。

 それを医師、患者がそれぞれ装着することで、例えば対人恐怖症の患者に対してより容易にコミュニケーションを図ることができるという研究結果が出たのだ。

 リアリティのレベルを調節することにより、現実よりもより近い距離で、彼らの気持ちを知り、適切な対処をすることができる。

 錯乱して、自傷をしてしまった場合でも、その傷は現実に影響することはない。

 しかし、中には違法なものも存在する。

 脳、さらには五感に直接作用する違法VRシステム。

 仮想空間で感じた、負った痛みをよりリアルに体感でき、仮想空間での死がそのまま現実世界での死に直結する。

 元々はアクションゲームなどを緊張感あふれるものにするために一部のエンジニアたちが裏で改造を施したモノらしいが、その改造データを、なぜか美雨の弟が持っていたのだ。


 一人の恋人も、友だちすら家に連れてきたことなんてなかった弟。

 勉強も運動も、ずば抜けてできるわけではなかった弟。

 VRゲームが唯一の居場所だった弟。

 現実を受け入れられず、両親を殺害してしまった弟

 唯一の友だちだったらしい同級生を殺してしまった弟。

 錯乱して、心を壊してしまった弟。


 姉の病院に連れてこられ、VRによる治療を何度試みても、 に構うばかりで、一度としてには言葉を発してくれなかった弟。


 そんな弟を、姉である美雨は見ていられなかった。

 これ以上、弟を弟として認めることができなかった。

 だから殺してもらうことにした。

 違法データをダウンロードし、VRシステムを改造して。

 エゴだということを自覚しながら、仮想現実で殺し屋を演じる弟を、現実世界で殺し屋をする少女に、殺してもらうように頼んだのだった。


「ごめんね、優雨」


 相棒の、愛する女性の名前がなぜ‘美雨’だったのか、彼女には分からない。

 狂ってしまった優雨の中に、まだ姉である自分が残っていたのか。

 情報屋の美雨を演じながら思ったのは、このまま彼を現実世界に呼び戻すことはできないかということだった。

 無理を押して、報酬を倍にして、彼女は殺し屋の少女に頼んだ。

 優雨があの中で殺される直前、最後のチャンスと思い、少女を狙撃したのも美雨だった。


「危うく即死だったからな~。契約破棄かと思っちまったよ。気持ちは分かるが、あそこまで行ってちゃ、どのみちおにーさんは助からなかったんだぜ」


 呑気にそんなことを言う少女。

 他人の気持ちが分かるとのたまう殺し屋を、美雨は初めて見た。


「いくつかキーワードをこぼしていたつもりだったんだ。ほんの数回だったけど、あいつがんだが……。やっぱりダメだったな。完全に壊れちまってた」


 悪びれることなくヘラヘラと笑いながら、少女は言った。

 頭には来たけれど、連れ戻そうと努力をしてくれたことは知っているので、その怒りもすぐに収まってしまった。


「……」


 目の前のベッドには、ヘッドギアを装着した、もう動かない優雨の躯。

 とても十八歳とは思えない、痩せっぽっちの、小さい身体。

 仮想現実では優れた殺し屋。

 現実世界ではちっぽけな、何者でもない男の子。


「殺し屋になるようなやつらはな……」


 少女はうつ伏せになりながら、低い声で呟く。

 枕に顔を埋めているため、その表情を見ることはできない。


「殺し屋とか、日陰者になるやつらはな。思春期を過ぎて、青春を通り越して、子どもを辞めて大人になっても、‘自分’を見つけてもらえなかったかわいそうなやつらなんだ」


 ——孤独なやつらなんだ。

 少女の声が沈む。

 年齢から見ればまだ先の話のはずなのに、その声のトーンがやけに現実味を帯びていた。


「だから自分を痛めつけて、堕として、陥れて、自分はここにいるんだ、生きているんだと実感しようとしたり、同じような奴らで集まってバカなことをしたりする。それが間違ったことだって分かっていてもやめられない。罪悪感に苛まれてやめたいと思っても、やめられないところまでキテることが多い」


 仮想現実で殺し屋を続けていた優雨。

 時には死角からターゲットを狙撃し、時には鉄傘を振り回して戦う弟。

 あんな積極的に動く弟を、少なくとも現実世界では一度も見たことがなかった美雨ではあったけれど。

 果たしてあれは、優雨が望んでやっていたことだったのだろうか。

 何かに追われるように、何かの義務を黙々と果たしているかのような弟の表情が、美雨の頭には浮かんでいた。


「それが本人を救うならまだ良いんだけどさ。そこで自分を見つけることができたなら、と自覚して、受け入れることができたならな。倫理とか道徳とか小難しいことを抜きにすれば、そいつにとっての居場所ができたわけだから、まぁ良いわけだ。けど、本当に重症なのは——」


 ——そこでも孤独なやつ。


 ——徹底的に自分を、他人を拒否するやつ。


 枕から顔を上げる少女。

 その先にいるのは、美雨の背後に眠る優雨。

 その視線と、少女の独特な言葉運びに戸惑う美雨。


「自分の殻に閉じこもって、その割には自分をなかなか認めようとしないやつさ。……言葉遊びは嫌いかな、おねーさん? ははっ。だけど、そういうやつは、どこまで行っても孤独。それこそ、死ぬまで孤独なんだよ」


 少女は笑みを消して、それから枕にぼふんと顔を埋める。

 足をばたつかせる可愛らしい仕草も、彼女の口から出てくる難解な言葉とはミスマッチ過ぎて、美雨は軽く眩暈を起こしそうだった。


「死ぬまで……孤独」


 美雨は少女の言葉を反芻する。

 確か、優雨の最期の言葉も、『これでようやく僕は、‘孤独’になれる』だったか。

 弟は、優雨は、死んだ後も孤独だったのだろうか。

 そんなに寂しい一生だったのだろうか。


「そういえば、あいつ、『雨の音を聞くと落ち着く』なんて、気障ったらしく言ってたっけな」

「えっ」


 突然話題が変わって、美雨は思わず声を出してしまう。


「なんで雨だったのかって思ったんだ」


 今までが少女の一人語りみたいなものだったから、美雨が反応したことに嬉しそうに顔を上げて、少女は口を開いた。

 雨だった理由。

 言葉通り、聞いていると落ち着くからではダメなのだろうかと美雨は思う。


「こういうところはさ~、同じ女の子としてロマンティックに考えようぜ~」


 声を弾ませて、両手を胸の前で組んで体をくねらせる少女。

 たった今肉親を亡くしたばかりの彼女に、とてもそんなことを考えられる余裕は無い。


「最後、あいつは美しい雨に包まれて死んだんだ。? こりゃきっとあんたのことに違いないよ。ずっと孤独だったあいつが最後の最期で、あんたに包まれながら、寂しさを感じることなく逝ったんだ! くぅ~、いい話だね。涙が止まらないよ」

「……」


 過剰なはしゃぎようで、涙など一滴も流すことなく少女はまくし立てた。

 美雨は真に受けることはなかったが、不思議な気分ではあった。

 なぜか自分が慰められているような、不思議な感覚だった。


「いや、な。あいつならいい殺し屋になるんじゃないかって、私の第六感が言ってたんだよ。殺さないで、お持ち帰りでもすればよかったって、ほんのちょっとだけ思ったんだ。そうすりゃ——」


 ——こいつだって孤独じゃなくなっていたかもしれないしな。


 なんて、今さら過ぎることを言う少女に、美雨はどういう表情をして良いか分からない。


「ありがとう、ございました……」


 けれど、少女に対する礼は言わなければならないと、美雨は思った。

 自分の殻から一歩踏み出し、少女の殻に一歩踏み込んで。

 彼女の殻の中に一度だけ立って、礼を言わなければならないと。

 それはやりすぎた行為かもしれなかったけれど。


「こちらこそ。これでしばらくは生きていられる」


 少女は笑って、それから勢いよくベッドから起き、立ち上がる。

 彼女に与えた報酬は、同じくらいの子どもに与えるお年玉の何百倍なのか数えるのも嫌になるほど。

 スニーカーを履いて、彼女はドアノブに手をかける。


「じゃ、元気でな、おねーさん。おにーさんが死んじまって、めでたくあんたは家族のいない一人ぼっちで可愛そうなおねーさんになっちまったわけだけど……」


 言いかけて、少女は振り向く。

 切なくも、優しい笑顔。


 ——あんたは一人じゃないんだ。


 結局、最後まで名前を聞くことができなかった殺し屋の少女は言って、ドアを開けた向こう側に消えてしまった。

 このドアが開くことは、もうきっと無いだろう。

 でも、彼女の最後の言葉は、ほんの少しだけ、美雨の胸に届いたようだった。


 閉めきったカーテンを開ける。

 さっきまで静かに降っていた雨はとうとう止んだようだった。

 美しい雨も止んで。

 優しい雨も消えて。

 全てを包み込むような大きな青空が、どこまでも広がっているだけだった。




                                           Fin.

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雨の日の殺し屋―Rainy Killer― 黒崎蓮 @kurosaki_0

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