第15話 黒猫 

 結局のところ、斉藤の屋敷からは何も出てこなかった。

 犯行直後から人の出入りは無く、警察としてはお手上げ状態だ。

 当時から現在まで、家から運び出されたのは黒猫のエトワールだけ。

 そして数日後、予定通り出産を終えたエトワールが小猫と共に帰ってきたのだ。

 病院からの連絡によって、迎えに行ったのは執事の山中と藤田刑事だった。


「みいみい鳴くんですね、小猫って」


 伊藤が小猫を覗き込みながら囁くように言う。


「そうですね。私も初めてのことで……ほら、こんなに小さいのにちゃんと肉球があるなんて、感動しますよね」


 母猫となったエトワールは、自分専用のバスケットの中で子供と一緒に落ち着いている。

 伊藤の指先をカリカリと齧っている小猫たちは、見分けがつかないほどそっくりだ。


「こんなのが四つも入っていたんだ。さぞ苦しかったでしょうね」


 伊藤が当たり前のことを口にする。

 小夜子はフッとこみ上げる笑いを嚙み殺した。


「この子たちはここで育てるのですか?」


 伊藤の質問に小夜子が答えた。


「いいえ、みんな引き取り先は決まっているのです。一匹は坂本さんが引き取られますよ」


「坂本さんって植木屋さんの?」


「ええ、種付けをした猫のオーナーの権利なんです。一番最初に一匹選ぶことができるのが父猫オーナーというのがルールなんですよ」


「へぇ……そんなルールがあるんですね」


「今回は四匹でしたから、三匹は予約順にお渡しします。こんな状況ですから、ここに来ていただくのは難しいでしょう? ですから引き渡しも坂本さんにお願いする予定です」


「そうですか。ところで小猫一匹ってどのくらいのお値段なのですか?」


「サイベリアンの小猫は一般的には三十万前後らしいですが、この子は珍しいブラックなのでもう少しお高いようです。五十万くらいじゃないでしょうか」


「五十万……では三匹で百五十万ですか? そりゃ凄いな」


「そうですね。うちの場合は全額寄付しますから関係ないですけどね」


「寄付?」


「ええ、保護猫団体に寄付します。それはこの子のかかりつけ医の先生にお任せします」


「ああ、市場動物病院ですか。優しそうな先生でしたね」


「ええとても丁寧に診て下さる先生です」


「お母さんになったエトワールちゃんに触れても良いですか?」


「ええ、どうぞ」


 伊藤がエトワールに手を伸ばす。


「シャァァァァァ」


「痛てっ!」


「あらあら、出産後で気が立っているのでしょうか」


「あんなに大人しい子だったのに……母は強しってことですかね」


「どうかしら。小猫がいなくなったら少しは落ち着くかもしれませんが、授乳中はこんな感じかもしれないですね」


 全く気に留めていない小夜子の目を盗んで、伊藤がエトワールの腹を撫でた。

 爪の攻撃を避けるため、多少力を入れて首を抑えている。


「どうしました?」


「あっ……いえ。何でもありません」


 伊藤は素知らぬ顔で母猫から手を離した。

 家探しをした日からすでに一週間が経過している。

 何の手掛かりもないまま、時間だけが過ぎていき、三課の中でも焦りが生まれていた。

 藤田が中心になってウラをとった関係者の証言からも、何の痂疲も探し出せていない。

 今は斉藤の過去を洗い出すことに総力を挙げている状態だ。


 そして更に十日。

 毎日顔を出しては世間話をするだけの刑事達に、関係者たちはいらだちを隠せないでいた。

 

「今日も進展なしですか?」


 執事である山中の非難めいた声を受け流し、伊藤が愛想笑いを浮かべた。


「持ち出した経路さえ分かれば早いのですが」


「まだ我々は疑われているのですか?」


「そういうわけではありませんが、この家のどこかに隠されている可能性は否めませんから」


 その間にこの屋敷から出て行ったのは、産まれたばかりの小猫が四匹だ。

 引き取りに来た坂本にも尾行をつけたが、怪しい行動は一切なかった。

 引き取り先も同様で、お手上げ状態だ。

 出入り業者はもちろん、配達された商品や出されたゴミまで全て厳重にチェックしている。

 しかし見事なほど何も出てこない。

 

「これじゃまるで消えたみたいじゃないか」


 帰りのパトカーの中で溜息を吐く伊藤に藤田が言った。


「猫の出産は怪しいと思ったのに……ハズレでしたね」


「ああ、あの猫の腹に手術痕は無かったし、あの腹の弛み具合は自然分娩をした猫の特徴を全て備えていたよ」


「でも妊娠した猫に宝石を飲ませることもできたのではないですか?」


「それはもちろん考えたさ。獣医学の教授にも確認したよ。でも不可能なんだとさ。何でも出産前の母猫はほとんど何も喰わないらしい。それでなくても腹がパンパンなんだ。異物を飲む隙間なんてないだろうということだ」


「毛が長いから大して目立ってなかったけれど、腹パンだったんですね」


「人間みたいに顔まで太る訳じゃないからなぁ……どこに消えたんだろうか」


「俺はまだ屋敷の中って気がします。だって持ち出すのは不可能でしょう?」


「うん……そうなんだが……何かを見落としてるんだろうなぁ」


「なんなら庭も全部掘り返してみます?」


「庭かぁ……ビニール袋に入れて花壇にでも埋めてるってか? 誰がいつどうやって?」


「……」


「それに金庫は誰が開けた? 指紋も斎藤本人のしか出てないし、ジュエルボックスには小夜子夫人の指紋もあったが、それは斉藤も夫人も触ったことがあると証言しているし、第三者のものは無かった」


「金庫を開けられるのは斎藤本人のみで、中身のボックスは夫婦だけですか……お手上げですね。そう言えばあの金庫って警報機ついてないですよね」


「警報機?」


「最近売り出されているじゃないですか。長時間開錠したままだと警報機が鳴るやつが」


「ああ、それは最新機種だけだ。斉藤家の金庫は作り付けで屋敷の壁に埋め込まれているんだ。型は古いだろうぜ?」


 藤田の素朴な疑問に答えながら、伊藤は何かが引っかかるのを感じた。


「そうか……開けっ放しなら開錠の必要は無いんだ」


「でもその現場には常に斉藤がいたでしょう? 開けっ放しってことは考えにくいですよ」


「そうだよなぁ……それに、もしそうなら夕方宝石を確認する前に大騒ぎするよな……」


 伊藤は自分の頭の隅に浮かんだ疑問を拭えないまま、口では否定する。


「明日は真面目に花壇を掘ってみましょうか」


 冗談めかした後輩の言葉に、本当にそうするしかないかと考える伊藤だった。

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