第16話 オークション
進展がないまま時間だけが過ぎ、桜の便りも聞かなくなった四月も終盤に差し掛かった朝。
「伊藤さん! これ見て下さい!」
藤田が新聞を持って駆け寄ってきた。
「なんだ?」
伊藤が上着を椅子の背に掛けながら新聞を受け取った。
「ココですよ、ココ!」
伊藤は黙ったまま新聞記事を読んだ。
信じられない思いで何度も何度も読み返した。
出勤してきた三課の課長が声を掛ける。
「おはようさん……ん? どうした?」
藤田が捲し立てるように喋る。
「あの宝石がオークションで落札されたんです。あの大きさのピンクダイヤモンドとしては史上最高値ということでニュースになっているんですよ」
「オークションだと?」
課長が伊藤から新聞を奪い取る。
伊藤が呟くように言った。
「どういうことだ……しかもシンガポールのジュエルオークションだと?」
課長が顔を上げる。
「いつの間に海外に持ち出したんだ……」
「斉藤邸に行ってきます」
上着を掴んで走り出した伊藤を藤田が慌てて追った。
パトカーに乗り込みながら藤田が伊藤に言う。
「オークションって持ち込んですぐに売れるものなんですかね」
「オークションにもよるだろうが、詳しく調べる必要があるな……まあ事件が発生してもうすぐひと月だ。ここまで計画のうちだったのなら不可能じゃないだろう」
「語弊はありますが、鮮やかですね」
「ああ、犯した罪は窃盗だけだものな……しかし売買が成立したんだ。関係者の資産の動きには注視してくれ」
「はい。しかし海外資産までとなると時間がかかりますね。的を絞りますか」
「まずは小夜子夫人の友好関係に絞るか。まだ当主の保険金詐欺の線も消せない状態だ。慎重に頼む」
パトカーが斉藤邸に到着した。
いつも静かな屋敷なのに、今日はなんだか慌ただしい。
何より出迎えの執事山中が姿を見せない。
伊藤と藤田は遠慮なく屋敷に上がり込んだ。
寝室のドアが開け放たれて、中から複数人の声が聞こえる。
「何事ですか!」
伊藤が声を掛けると、振り向いたのは山中と美奈。
そこに千代の姿は無く、医師の山本と小夜子は刑事の来訪に気付いてもいない様子だ。
「ああ、刑事さん。今は取り込み中です、ちょっとそこで……待っていてくれませんか」
山中が指さしたソファーに薄手の毛布が無造作に丸まっていた。
事態を察した伊藤が声を出す。
「救急車を呼びましょう」
誰も返事をしない。
伊藤が美奈の顔を見ると、ゆっくりと首を横に振った。
バタバタと廊下を駆けてくる足音がして、数人の白衣を着た男たちが二人の刑事を押しのけた。
「父さん!」
どうやら山本医師の息子のようだ。
「ステントに気をつけろ。強心剤はすでに打った。心停止して約二十分だ」
真っ青な顔色のまま、淡々と状況を説明する山本。
「確認します」
息子であろう壮年の医師が、斉藤の脈をみて聴診器を使う。
胸ポケットからペンライトを取り出し瞳孔を確認してから、静かに口を開いた。
「四月二十五日午前九時四十五分、死亡を確認しました。ご臨終です」
重たいほどの沈黙が流れる。
誰も声を上げずにいるが、全員が拳を固く握りしめていた。
最初に動いたのは小夜子だった。
「山本先生、それに院長先生も。ありがとうございました。何度も入院を勧めて下さったのに、最後まで頑なに拒否した主人です。この部屋で逝けて本望だったと思います。美奈さん、千代さんにエトワールはもう良いからって伝えて。それから二人でお茶の準備をしてちょうだい。ご主人様の枕元にもお出ししたいから、お好きだった大倉のブルーローズでコピ・ルアックを淹れてほしいわ。皆様にも同じものをお願い」
「畏まりました」
美奈が退出し、山中がソファーに毛布を手に持った。
「刑事さんたちはこちらにお願いします」
山中の声に藤田が眉間に皺を寄せたが、伊藤が小さく首を振って制した。
「わかりました」
部屋を出た伊藤が藤田に耳打ちをして、開け放たれたドアの前で待機させる。
山中は何も言わなかった。
ふと振り返ると黒猫のエトワールが寝室に入っていくところだった。
「空気の読める猫ですね。どこにいたんだろう」
伊藤の独り言に反応するものはいなかった。
客間に通された伊藤が、窓を開けて煙草を吸っていると、白衣を着た男が三人入ってきた。
慌てて携帯灰皿に燃えさしの煙草を突っ込む。
「失礼しました」
伊藤の言葉に先ほど院長と呼ばれていた男が笑顔で頷いた。
「煙草は体に良くないですよ」
「池波署第三課の伊藤大吉と申します」
「私は山中充の息子で、信一郎と申します。駅前総合病院の院長を父から引き継いでいます」
「ああ……駅前の」
「ええ。刑事さんは例の? まだ見つからないのですか?」
「手掛かりも出ない状態ですよ。あの日からずっとお父様はこちらに?」
「そうですよ。着替えなども全てこちらで用意してくださっているので。私も指示があるまで待機だと言われてました」
「指示ということは、こうなることを予見しておられた?」
「正直良くもった方だと思います。父はあと数年もたせたいと頑張っていたようですが、血管がボロボロでしたからねぇ」
「そうですか……」
泣きはらした目で美奈がコーヒーを運んできた。
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