第10話 魔王


 道中は今までと同じで、ただ暗闇が続くだけだった。何かあるかもと結界を張りながら進んでいるが、今のところ何事もなく、順調といっていいのかわからないが、とりあえず進めている。


 ここからは二人の助言も期待できないのだから、何があっても対処できるようにしなくては。


 ダンテはムイと順番を変わり、最後尾を歩いていた。今は自力で歩いているが、二人のスピードが少し遅かった。

 疲れているのだろうか、口数も少ない。いつもならなんでもないことをあれこれしゃべっているのに。


 あたしは二人に合わせて少しゆっくり歩いた。



「……こんなにいつまでも暗いと、外がどうなってるかもわからないわね」


「そうですね」


「……もしかして何日も経ってる可能性もあるわよね。時間の感覚がないから」


「そうですね」



 …………。


 静かだ。

 それがこんなにも居心地の悪いものだったとは。



「ムイ、大丈夫? なんだか静かね」


 あたしは何か話さないと落ち着かなくて、前を向いたまま話を続けた。


「……」


「ムイ?」


「あ、大丈夫!」


「……そう? 疲れてたら休むから言ってね」


「……」


 なんだか返事が遅いな。


「うん。まだ疲れてないよ。そうだ、ダンテ、何か歌ってよ」


「……そうだな」


「えっ? 大丈夫? いつ魔王に出くわすか……」


「まだ大丈夫ですよ」



 そう言うと、ダンテが歌を歌い始めた。

 でも何か、うまく言えないけど今まで何かと違うような気がした。

 二人も、きっと不安なのだろう。


 本当のことを言うと、あたしはいつ魔王のもとへ辿り着くのか不安でしかたなかった。


 少し前にムイが『もうちょっとしゆっくりしていく?』と言っていたのを思い出した。

 あの時はまたバカなこと言ってるなと思ったけど、今はその気持ちがよくわかる。


 一刻も早く着かなくてはいけないはずなのに、まだそこに行きたくないと思ってしまっている自分がいる。この時間がゆっくり進めばいいのに、と。


 その思いが足取りにも表れているのだろうか。二人のためにペースを落としているつもりだったが、もしかしたらそれは言い訳で、自分が不安なだけなのかもしれない。




 さっきダンテは、どうしてまだ大丈夫だと言ったのだろう。ここの情報はもうないはずだ。師匠は生きてここを出たのだから、魔王には会っていないはず。会うギリギリまで進んで引き返したのだろうか……。



「……ねえ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」


「はい。なんですか?」


 最後尾のダンテが答える。


「あなたたちの師匠って、どこまで進んでいたの?」


「……」


「結構ギリギリまで魔王に接近してたの?」


「……ええっと……そうですね……」


 何とも歯切れの悪い返事。あたしは振り返ろうと思ったが、先の道が広くなっていることに気が付き、足を止めた。




 息を止め、全神経を尖らせる。


 何の気配も感じない……。


 二人に話しかけようと口を開くが、緊張で声が出てこなかった。


 しっかりしろ。今までこのために生きてきたんだから。もうすぐで、願いが叶うんだから。



 あたしは深呼吸し、後ろを振り返った。

 あたしは二人を見つめ、頷く。二人も頷き返すが、顔が強張っている。



 あたしは自分ができる最強の結界を張り、剣を抜く。

 そしてあたしたちは、そこに足を踏み入れた。






 そこは今までと同じような場所だった。白い床、広さも同じくらいだが、唯一違うのは、扉がなかった。




「おお、ようやく来たカ」


「!?」



 どこからか、こもった声が聞こえた。

 どこだ。何の気配もない。姿も見えない。


「魔王……?」


 あたしは暗闇を見渡しながら呟いた。


「見ていたヨ。よく、ここまでたどり着いたネ。キミたちを見るのは楽しかっタ」


 魔王の声はとても穏やかだった。まるで老婆が話をしているかのような、少しかすれた高い声。


 だが声を聞くだけで全身に鳥肌がたち、血の気が引いていくのを感じた。


「ずっと、見ていた……?」


 あたしはなんと口を開いたが、恐怖で声が震えていた。


「アア、暗闇はすべてワタシだからネ。どこにいても、すべて見えるヨ」


 それを聞いてあたしはゾッとした。

 暗闇がすべて魔王……。誰かに見られている気配を感じた時があったが、あれは魔王が見ていたのか。


「見るのが楽しくテ、ちょっと道を長くしたリ、試練の難易度を上げてみたりした。なるべく長く見ていたくテ」


「……何よ、それ……」


 この空間自体が魔王だと言うのなら、確かにそれも可能なのかもしれない。すべてが魔王の意思次第で決まる場所なのだ。



「それにしてモ、五感をすべて残したまマ、ここまでたどり着いたニンゲンは久しぶりダ」


 魔王と目が合ったわけでもないのに、あたしはその言葉が自分に向けられているのだと感じた。五感を残したままというのは、どういう意味だ……。


「さテ、キミたちは、ワタシを倒しに来たんだネ」


「……そうよ」


 あたしは剣を持つ手に力を入れる。一瞬の隙も見せてはいけない。少しの変化も見逃すな。



「そうカ。ようやく……ようやく死ねル」



 ……死ねる……? 

 あたしは自分の耳を疑った。


「死ねるって、言ったの? ようやく、死ねるって……?」


 どういう意味だ。


「そのままの意味だヨ。ずっと死にたかったんだガ、タイミングがなくてネ。死にたいと思うのと同時に、多くの人間を殺したくて仕方ないんダ。だけど、今とても落ち着いていル。キミたちを見ていたら、穏やかな気持ちになっタ。今なら、ワタシは死ねル」


「…………」



 これは、何。

 あたしは混乱した。思わずダンテとムイを見るが、二人はまだ真剣な顔で暗闇を見つめていて、あたしとは目が合わなかった。



 予想外の展開に、どうすればいいのかわからない。戦いに来たはずなのに、今だに攻撃も受けていない。

 魔王の話を信じることなんて、できるわけがない。こんなのはデタラメだ。あたしたちを陥れるための罠なんだ。



 なのに、嘘を言っているように聞こえない。顔も見えないのに、この瞬間をずっと待ち焦がれていた魔王の顔が浮かぶようだった。

 それはこの世のものとは思えない化物なんかじゃなく、どこにでもいるような、年老いた女性の顔を想像している自分がいた。



 本当だとしたら、こんなに都合の良い話はない。こちらが何もしなくとも、勝手に死んでくれるのだから。

 だが本当だという確証はどこにもなかった。



「あなたは、いつでも死ぬことができたということ?」


 あたしは慎重に、言葉を選びながら質問した。


「ある程度の力を手に入れれば、死ねるヨ。外の時間で言うと、実は40年くらい前からならいつでも死ねたんだヨ」


「なっ!?」


 驚きのあまり思わず声がでた。ふざけるなと叫びたかったのを唇を噛み必死に堪える。ここで歯向かっては駄目だ。なるべく情報を手に入れなければ。


 あたしは息を吐き、質問を続けた。


「力というのは、どうやって手に入れてるの?」


「ニンゲンを殺しテ、力を得ル。正確には魂を奪う、ということだガ。ワタシがここに引きこもってからハ、魔物たちに人間の魂を取ってきてもらっていル」


「どうして、ここにこもっているの?」


「外に出るト、ニンゲンを殺したくてしょうがなくなるんダ。ワタシはニンゲンの感情に敏感デ、ニンゲンの近くにいると暴走してしまウ。だから、ここにいるんダ。それでも殺したい衝動はナカナカおさまらなくてネ。それで魔物を作って変わりに動いてもらっていル」


 魔物は魔王の一部ということか。


「どうして、今まで死ななかったの?」


「いつでもいいと思えば思うほド、いつがいいのかわからなくなっタ。何かきっかけがほしかった。でもここには誰も来なイから、なんの変化もなイ。いつか誰か来てくれると信じていたガ、こんなところ、誰も来てくれなイ。それで、この空間を作ったんダ。ここに魔王へと続く道があると思わせテ、ニンゲンを呼び寄せタ。試練を与えて、ニンゲンがどうやってここまでたどり着くカ、それを見てタ。もう死んでもいいと思える何かが見つかるかもしれないト、そう願っテ」


 魔王は悲しそうに、寂しそうに語った。


 だがその感情を、あたしは一切理解できなかった。

 むしろ、体の奥の方から沸々と怒りがこみ上げてきた。



 死にたいなら、なぜさっさと死んでくれない。おまえのせいで、どれだけの命が奪われたと思っているんだ。

 おまえがここに隠れていても、魔物は絶えず命を奪っている。夫も息子も、おまえさえいなければ、死なずに済んだかもしれないのに。

 おまえのせいで……。



 言いたいことはたくさんあったが、あたしはぐっと堪えた。



「……どうして、今なら死ねるの。あたしたちは何をすれば、あなたに死んでもらえるの」


 先ほどとは違い、あたしの声は恐怖ではなく怒りで震えていた。



 少しの間をおいて、魔王が答えた。




「そこの二人が、ワタシと一緒に死んでくれたラ」

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