第9話 最後の扉


「ねえ、なんで、ムイがダンテをおんぶしてるのかしら?」


 あたしはニッコリ笑って二人に問いかけたが、あきらかに声のトーンが怒りに満ちているので、ムイは化物でも見たかのように固まった。


「カーラさん、これはその……」


 おぶさっているダンテが口を開くが、あたしの目を見ようとしない。


「少し、疲れてしまって……」


「!? やっぱりさっきの液体!? 体が痛いの!? 何か反動があるの!?」


「いえいえ! たいしたことはないです! 少し胸のあたりが熱くて……。それだけですよ!」


 ムイがうんうんと頷く。



 本当にそれだけだろうか。


 あたしは二人をじーっと見るが、二人はそれ以上何も言ってくれなかった。きっと、他の理由があるに違いない。だけど……。



「二人とも、荷物貸して」


 あたしは二人の荷物を預かり、歩き出した。

 できることをしよう。少しでも、二人に恩返ししなきゃ。

 このまま魔王を倒せたって、後悔が残るだけだ。








「あ」


 少し先の道幅が広くなっている。きっと扉がある場所だ。


「……ここは、幻覚を見せるのよね?」


 道中、二人に聞いた情報だ。ここに足を踏み入れた瞬間、その人にとって辛い幻を見せられるそうだ。


「幻覚を見せている核のような物が存在します。それを切れば、幻覚も消えます」


「よーし。頑張るぞー!」


 ムイはダンテを降ろし、気合をいれる。


 そしてあたしたちは、光に包まれた。








 眩しくて思わず目をつむった。白い光で何も見えない。いつもならとっくに扉が見えるのに。


『……ラ』


 ……何?



『……はよう』


 誰かの声が聞こえる……。懐かしい声が……。



『カーラ。おはよう』



 その声にビクッとして目を開けると、いつの間にか光がおさまっていて、あの白い空間にいた。そして扉の前には……。


 扉の前には……。



『カーラ』


『マーマー』



 息子を抱き、あたしに微笑みかける夫がいた。








 思わず飛びつきそうになるのを必死に堪え、胸のリングを握りしめた。幻覚だ、幻覚だと自分に言い聞かせる。


『カーラ。久しぶりだね』

『ママのとこ、いくー』

『ちょっと待っててね』


 

 間違いなく、夫と息子だ。


 緑の短髪に、深緑の瞳、丸い眼鏡をかけていて、息子を抱くその手にはシルバーの指輪が光る。少しどんくさそうな、だけど優しい雰囲気の彼は、いつもあたしに笑いかけてくれる。


 息子は深緑の髪に茶色の瞳、お気に入りの青い服を着ている。夫の腕の中で、こちらに来ようと両手を伸ばしている。



 なんて残酷な幻覚だろう。

 こんなふうに笑う二人はもうどこにもいないのに。あたしがそうであってほしいと望んだものを見せているだけなのだ。


 手を伸ばせば、ずっと欲しかったものが手に入る。あたしは引き寄せられるように、息子の手を掴みに行こうとした。



 だがそのとき、カチャっと腰の剣が音をたて、あたしは踏みとどまった。


 伸ばした手を引っ込め、剣を触る。

 冷たく無機質な剣が、あたしの頭を冷やしていった。



 あたしは深呼吸し、頭を切り替える。


 核を見つけなければ。 

 あたしはあたりを見渡すが、それらしい物はない。あそこの二人が持っているのかもしれないけど。


 あたしは目をつむり、核の気配を探った。すると、黒く光る何かが『そこ』にあるのがわかった。


 あたしはゆっくり目を開ける。位置を確かめ、また目をつむり、核を感じる。何度も何度も確かめる。だけど、何度確かめてもそれは『そこ』にあった。




 核は、息子の体の中、心臓にあった。





 あたしは息子を切らないといけないんだ。




 夫が息子を降ろして、あたしの所へ行っておいでとこちらを指差す。


 あたしは剣に手をかけた。息子が笑顔で走ってくる。まだ小さく、たどたどしい足取りだけど、その茶色い瞳はしっかりとあたしを見ていた。



 ためらうな。



 あたしは向かってくる息子の心臓に、剣を突き刺した。


 息子は反動で地面に仰向けに倒れたが、あたしはそのまま手に力を入れて剣をぐっと押す。



『い、いたい! ママ! いたい! いたい!』


 剣が刺さったところから血が溢れ出し、息子が痛い痛いと暴れ泣き叫ぶ。刺した感触は幻覚とは思えないほどリアルで、息子の痛みが剣先から伝わってくるようだった。



 ああ。あたしは本当に息子を殺そうとしているんだ。



『カーラ!! 何をしているんだ!!』


 夫が叫ぶ。

 その声に、あたしの心は一瞬揺らぐ。

 苦しむ息子を直視すると、恐怖で手を止めてしまいそうになる。自分はいったい何をやっているんだ、どうして息子を手にかけているんだ。



 駄目だ。見るな。




 気が狂いそうだった。いっそこのまま狂ってしまえれば、楽なのに。



『いたいよ……。ママ、たすけて……』


 まだ浅い……。核が思ったより硬いんだ。もっと、力を入れないと……。



『やめろ!』


 視界の端に光るものをとらえ、あたしはシールドを張った。向かってきたそれはシールドに弾かれ、あたしに届くことはなかった。


 顔をあげると、夫の手にはあたしと同じ剣が握られていた。

 剣士であり、あたしの剣の師でもある夫が、息子を助けるため、あたしに剣を向けていた。



『カーラ! しっかりしろ!』


 この状態で夫と戦うのはかなり厳しい。早く核を壊したいが、硬くてまだ壊れない。


 夫の剣が魔法の光をまとう。まずい、あれは防御を破壊する魔法だ。シールドは破られる。



 ……先に夫を倒さないと駄目か。



 あたしは息子から剣を抜く。息子の口からは血がこぼれ、体がピクピクと痙攣していた。

 あたしは向かってくる夫へと向き直り、両手で剣を構える。


『目を覚ませ! きみは操られているんだ』



 お互いの剣を何度もぶつける。

 夫は息子を守るために。

 あたしは息子を切るために。



 このままではらちが明かない。

 あたしは夫の攻撃を防ぐのをやめ、剣を右手に持ちかえる。


 夫の剣が脇腹に突き刺さったが、その瞬間に左手で魔法を発動し、横から砲撃した。


 だが、夫は剣をあたしに刺したまま高く飛び上がり砲撃を避けた。そのまま一回転してあたしの背後に回り込む。そして剣を持つあたしの右手を後ろから掴み、それを思いっきり地面に突き刺した。


 傷つくことのない地面だと思っていたが、あたしの剣は地面にめり込み、簡単に抜けそうになかった。


 夫はあたしを後ろから抱きしめ、『もうやめるんだ!』と叫ぶ。


「……やめない」


 あたしは脇腹に刺さったままの夫の剣を握る。

 そしてそのまま思いっきりぐっと押し込み、後ろにいる夫まで貫通させた。



『……うっ……』


 あたしを抱きしめる夫の力が弱まり、あたしは剣をゆっくりと引き抜いた。


 夫はよろけ、その場に膝をついた。腹からは血がでていた。


 あたしは痛みどころではなかった。それよりも、自分が化物になって大切な人を殺していることが、ただただ怖かった。

 思考を停止させ、ただ任務を遂行するだけの人形のように、自分を動かし続けた。



『カーラ。ぼくは……、ぼくたちは、君を愛してる……』


 あたしを見る目には涙が流れ、弱々しく話すその言葉は、あの日、二人が死ぬ直前に、夫があたしに言ってくれた言葉と同じだった。


「あたしもよ」


 だけど、今はそこには行けない。


 膝をつく夫の横を通り過ぎ、その後ろで倒れている息子を見下ろす。


 そして、核めがけて、剣を突き刺した。


「ごめんね」


 ごめんね。助けてあげられなくて。

 あたしだけ生きててごめんね。


 魔王を倒して魔法を手に入れたら、会いに行くから、待っててね。








「カーラさん、核を、切れたんですね」


「……まあね……」



「すごいなあー。俺なんて、全然ダメだったよ。あの人を切るなんて……切れなかった……」


 ムイは膝を抱えてうなだれる。その手は震えていて、涙声だった。



 話を聞くと、ムイがダンテの分の核も切ったようだ。そんなことができたのか。自分のことに必死すぎて、二人のことを考える余裕がなかった。

 核の位置をよく把握していれば、二人の核の場所もきっとわかったのだろう。



「ダンテは平気だったの?」


「はい。まあ……」


 ダンテはうつむいたまま答えた。


 最後の難関を突破したというのに、誰も喜ぶ気分にはなれなかった。


 二人がどんな幻覚を見たのかなんてとても聞けなかったし、あたしも何も言いたくなくなかった。


 目を閉じると先程の光景を鮮明に思い出せ、手にはまだ感触が残っている。

 幻覚だったんだと言い聞かせても、震えが止まらなかった。








「行く?」


「うん」

「はい」


 二人の顔には明らかに不安の色があった。先程の辛い試練のあとの魔王となると、気分が沈むのも無理はないが。


 あたしもここまで来れたとはいえ、このあとどうなるかはわからない。




「あのさ、もしあたしが死んだら

「死なないよ」

「死にません」



 二人がすぐさま答える。さっきまであんなにしょんぼりしてたのに、その目には力強さが戻っていた。


「立派になったわねえ。……違うか。はじめからあなたたちは立派だったわね……」



 そうだ。二人は、ずっと立派だった。初対面のときは頼りなくて、バカだと思ったけど、本当に頼りなくてバカなのはあたしのほうだった。



「じゃ、あなたたちが死んだらどうしたらい?」


「え? それ聞いちゃう?」

「それ聞いちゃ駄目なやつですよね?」


「ふっ、あはははは」


 あたしは思わず吹き出した。それを見て二人も笑った。



「そうですね、もしも僕らが死んだら、僕らの変わりに村へ報告に行ってください」


「俺たちが魔王を倒したんだってみんなに言って! どんな顔するか見てほしい!」


「それこそ自分たちで見なさいよね。それで、ざまあみろって、言ってやりなさい」



 二人がぎこちなく笑う。



 大丈夫。あなたたちは、あたしが守ってみせる。絶対に死なせない。




 最後の扉をムイが開き、あたしたちはついに魔王へと続く道へと足を踏み入れた。

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