第8話 3つ目の扉
この暗闇も、3度目ともなるとそこまで臆することなく進めるようになった。
先程のような悪臭を警戒したが、二人曰くもうそれはないとのことで、あたしは心の底から安心した。
他愛もないおしゃべりが始まり、合間にダンテが歌を歌ってくれる。あたしたちはいつ終わるともわからない道を、わりと和やかに進んでいた。
いつ終わるとも……?
「ねえ、そういえば、聞いていいのかわからないけど、これってあと何回くらい繰り返すのかしら?」
あたしは前を見たまま尋ねた。
「ええっとですね……。ちょっと待ってもらえますか?」
ダンテはそう言うと、後ろにいるムイとこそこそ話を始めた。この先起こることをあたしに言うことで、一体どんな弊害がでるというのだろう。
先のことを聞いても、別にもう二人を置いていこうなんて思っていないのに。
「くぐる扉はあと2個だよ!」
ムイが指をピースにしてニコッと笑う。
「2……。ということは、それを超えれば、魔王に辿り着くの?」
「……はい」
「なんか早いねー」
「うん……」
「もうちょっとゆっくりしていく?」
「旅行に来てるんじゃないんだから。バカなこと言ってないで行くわよ」
「えーー」
ムイが不貞腐れた声を出した。
「せっかく楽しいのにー。ねえダンテ」
「うん。そうだな……」
ダンテの声には元気がなかった。
初めて会った時はダンテのほうが饒舌でしっかりしている印象だったけど、ここについてからは口数が少ない気がするし、ムイのほうが落ち着いている。
もしもこの後起こることに関係しているのだとしたら……。
あらゆることを想像し、警戒していたが、道中は何事もなく、あたしたちは扉のある白い空間に到着した。
だが、今までとは違うことが起きた。
扉の模様を見ようと近づくと、扉の前にワイングラスが3つ現れた。
空中で静止するグラスには透明な液体のようなものが入っていて、扉を開けたければ飲めと言わんばかりにあたしたちの行く手を阻んだ。
「これは……飲むのね?」
「そうだよ」
「ただの水、なわけないわよね?」
「はい。ものすごく不味いらしいです」
ものすごく不味い……。先程の臭い同様、命に関わるほどの苦痛が待っているのは言うまでもない。
あたしは真ん中のグラスの前に立った。
たかがこれっぽっちを飲み干すだけと自分に言い聞かせるが、グラスを持とうとする手が小刻みに震える。
「カーラさん、一気にいくと危ないかも。まず少し口をつけよう」
「でも一気にいかないと、あとあとつらくなるんじゃない?」
あたしはグラスをとった。臭いはない、色も透明だが、ただの水に見えるところが不安をさらに掻き立てる。
「ふーーー」
深く息を吐き、覚悟を決めた。
「よし。いくわよ」
二人も頷く。
そして、あたしはグラスを口へと運び、思いっきり傾けた。
ゴクリと1度喉を通した瞬間、口全体に強烈な痺れを感じ、喉の奥が焼けるように熱くなった。同時に想像を遥かに超えた味が押し寄せてくる。
あたしはそれ以上飲み込むことができず、グラスを放り投げてその場に吐いた。
「うっ……あっ……!」
何の味か、例えることすらできない。あたしたちは、一体何を飲んでいるんだ……。ここに来てから吐いてばかりいる。
二人の様子を見る余裕はなかったが、ムイがあたしと同じように地面に這いつくばっているのがちらっと見えた。声を出そうにも喉が痺れてでてこない。
放り投げてしまったグラスは……。
近くにグラスが落ちていた。あたしはそれを拾おうと這っていった。
グラスの液体は1ミリもこぼれていないばかりか、今あたしが飲んだにもかかわらず、はじめ見たときから少しも減っていなかった。
あたしは震えながら手を伸ばす。
また一口飲み、そして吐いたが、かろうじて少しだけ飲み込むことができた。
グラスを見るとその分だけわずかに液体が減っていた。
飲み込んだ分だけ、減っていくのか。吐いた分は、ノーカウント、ということだ。
だがたったこれだけの量でも、口いっぱいに臭いと刺激が広がり、とてもじゃないけど、全部を飲み干せる気がしない。
あたしはうずくまりながらゼエゼエと呼吸していた。
二人は……?
二人の様子を確認しようと振り返ったとき、あたしの持っていたグラスがひょいっと取り上げられた。
「え……? ダ…テ……?」
ダンテがあたしのグラスを持ち、微笑んだ。そして、そのグラスの液体を、自らの口へと運んだ。
「!?」
ゴクゴクと、あの液体がダンテの喉を通っていく。
あたしは見ているだけで吐きそうになった。思い出すだけで、こんなにもまだ気持ちが悪いのに、どうして……、どうやって……?
ものの数秒で、グラスは空になった。
そしてダンテは倒れ込むムイの側へ行き、グラスを取り上げ一気に飲み干した。
「……ダ……、あり…とう。ご、んね」
「お互い様だ。それに謝るのなしだって約束しただろ。大丈夫だよ」
ダンテに特に変わった様子はなかった。しゃがみこむムイの背中をさすり、優しく微笑みかけていた。
でも、こんなのはおかしい。大丈夫なわけない。
「大丈夫なわけ、ないでしょ……」
あたしはふらふらと立ち上がった。
「……カーラさん? まだ辛いんじゃないですか? しばらく横に
「ふざけないで!!」
あたしの怒鳴り声に、二人がビクッとした。
喉が痛く声はかすれていたが、そんなのどうでもいい。
「大丈夫なわけないじゃない! あなたたち一体何なの!? さっきの臭いといい、今の液体といい、普通でいられるわけない!! どんな体してたら耐えられるわけ!? 何を隠しているの!? あたしは何のためにここにいるの!? あたし何の役にもたってないじゃない!! 助けてもらってばかりで、いる意味ないじゃない! 本当は村の人たちを見返す為じゃないんでしょう!? いい加減教えてよ!!」
あたしは肩を震わせながら叫んだ。
最低だ。
先程の臭い、そしてこの液体、立て続けに精神を抉られたせいで、不安定になっていた。平静を装う余裕なんてなかった。これらの試練が、人の精神にまで影響を及ぼしているのかもしれない。
二人は悪くないのに、あたしが頼りないだけなのに。12歳も年下の男の子に全部任せて、八つ当たりして。
あたしは一体、何をしているんだ……。
だけどもう、教えてほしかった。
「あなたたちの本当の目的は何? どうしてあたしと一緒に魔王を倒したいの?」
あたしのその言葉に二人の表情はかたくなり、うつむいて黙ってしまった。
「ここまで来ても、まだ言えないの? ここを超えたら、扉はあと一つでしょう?」
ムイがダンテに支えられながら立ち上がる。
「ごめん。言えない……」
「っ!! どうして
「ごめんなさい!! でも、どうしても、言えないっ……。ごめんなさい……。ごめんなさい……」
ムイは泣きながら謝った。
「本当にすみません。でも、僕らを信じてください」
「信じてるわよ! だけど、だけどあなたたちがあたしの変わりに傷ついていくのが耐えられないの!! あたしに出来ることはないの!?」
「勇者になって」
「勇者になって」
二人は真っすぐあたしを見つめる。
「どうして……」
あたしが勇者になったら、何があるの?
それとあなたたちに何の関係があるの?
聞きたいことはたくさんあるのに、二人は何も答えてくれない。
あたしは一人になりたかった。
一人になってもう一度叫んで、とにかく頭を冷やして考えたかった。あたりはこんなにも暗闇で、かすかな光や音すら聞こえないのに、この場所だけは嫌になるくらい明るい。
隠れることもできず、ただ無様な姿を二人にさらすことしかできない。今だけはあの暗闇に逃げたかった。
何も話してくれないのに、それでもあたしは二人を信じていた。なんの根拠もなのに、二人の優しさが、偽りじゃないと信じていた。
二人の願いが、きっととても大切なことなんだと、信じていた。
「ごめんなさい。怒鳴って……」
あたしは座りながらご飯の用意をする二人に頭をさげた。
さっきまで隅っこで一人丸まっていたのだけど、どうしたってもうどうすることもできないという結論にしか至らなかった。
あんなにも取り乱した手前、二人に合わせる顔がなくて一人になっていたのだが、それもまた大人げないと後悔した。
バツの悪い感じでのこのこと二人の前に行ったのだが、なんだかこの感じは、まるで……。
「なんだが悪いことして母親に謝る子供みたいだね」
あたしが思っていたことをムイが笑って言い、ダンテが思っても言っちゃだめだよとムイの口を手で塞ぐ。
すべて見透かされているような気がして、あたしは余計に恥ずかしくなった。
すると二人は立ち上がって、あたしに頭をさげた。
「本当のことを言えなくてすみません」
「ごめんなさい」
「……ううん。あたしが悪いんだから、謝らないで……」
「あの……さっきの話だけど、きっかけはそうなんだよ。きっかけは村の人なんだ。ずっとずっと悔しくて、見返したくて、それで魔王を倒してやろうって……」
「ずっと強くなってやろうって思ってました。師匠にも、いろいろ教えてもらって……」
「……一つだけ聞かせて。あなたたちは、誰のために頑張ってるの?」
「……えーっと、言っても怒らない?」
「……答えによるけど」
「……自分たちのためです」
「……えっ?」
意外だった。てっきり誰かのために命をかけているんだと思っていた。それこそ師匠とか、家族とか。こんなにも他人を思いやる子たちが、自分たちのため……。
「そう。ならよかった」
「え? いいの?」
「いいでしょ別に」
「でも、僕らここにいる理由は、世界を救うためとか、誰かの役にたちたいとか、そんなんじゃないんですよ? すごく自分勝手な理由なんです」
「そんなのたいていのやつらがそうよ。あたしだって、勇者になって魔法をもらいたいだけだし。別にそれを世界のために役立てようとしてないし」
二人はキョトンとして顔を見合わせた。
「そうだったんだ。ダンテ、俺たち、これでいいんだって」
「うん。僕ら、これでよかったんだ」
そう言って、二人は笑った。
「じゃあ、開けますね」
ダンテがそう言い、あたしとムイの顔を見る。じーっと、じーっと、ダンテがあたしたちの顔をじーっと見る。
「えーっと、どうしたの?」
「あ、すみません。二人の顔が見たかっただけです」
「もっと見ていいよ! ほらほら、カーラさんも!」
ムイにぐいっと押され、あたしたちは見つめ合う。何の時間なんだ。
「ドゥわんドゥエー」
ムイが顔をぎゅーっと押さえて変な顔をする。と思ったら、後ろからあたしの頬を横に引っ張ってきた。
「……ひょっと……あにすんの」
「あはははははは! ムイ! だめだよ!」
「いい顔してたでしょ! ははっ!」
まったくもう。
まあ、いいか。
あたしも思わず笑っていた。
そしてダンテが扉に触れる。
さあ、これを超えればあと一つだ。
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