第7話 2つ目の扉
また最初と同じ感覚に陥った。
何もかも感じなくて、恐怖に包まれる。
でも今度は少し違った。
なにか、におう。
なんのにおいだろう。
いい匂いでないことは確かだ……。
まだかすかに臭う程度だけど。さっきまでなんの臭いも音もしなかったのだから、これは逆に良い兆候なのかもしれない。
確実に進んでいる、という。
あたしは魔法で光を灯した。目の前はまた5メートル先しか見えない道が続いているようだった。
後ろを振り返ると、ちゃんと二人がいた。
「ダンテ、ムイ。大丈夫?」
「はい!」
「はい!」
「……ムイ……。何ともないの?」
「大丈夫だよ!」
ダンテの後ろからひょいっと顔をだして笑っていた。
見たところ、特におかしなところはなさそうだ。とりあえず一安心か。
あたしたちは再び歩き出した。
「ねえ、なんか臭わない?」
「そうですねえ……」
「俺はわかんないや」
「ダンテは?」
「確かに、何か臭う気がします。いい匂いではないですが」
「そうよね。これについては知ってる?」
「はい。ですが、これは我慢するしかない、と……」
「そう」
我慢すればいいだけなら、特に問題はないだろう。と、このときのあたしは軽く考えていた。
「ちょっと……、おかしく、ない……?」
臭い。死ぬほど臭い。息ができない。
「そう、ですね……。これはさすがに……」
「俺平気だよー」
「なんで、平気、なのよ」
「鼻詰まってるからかなあ」
「そんなレベルじゃないわよ。鼻をつまんでも臭うの。こう、脳みそまで、侵食してくるレベルで、臭う……。うっ……」
本当にキツイ。
死体が腐敗した臭い、汚物、吐しゃ物、血、腐った食べ物。とにかくすべてが混ざっている。
一番強いのは死体の臭いだ。この道の周りすべてがそれで埋め尽くされているかのような、それほどまでに強烈な臭い。
鼻をつまんでも、周りに結果を張っても効果がない。
唯一息を止めていると、少しだけマシになる。だがそれをすると次息継ぎするときに思いっきり息を吸い込む必要があるので、地獄のような時間がやってくることになる。
「うっ……! ダメだっ!」
またしばらく進んだところで、ダンテがしゃがみこんで道の外に吐いた。
「おぇっ……」
あたしも吐きそうだったのだが、なんとか堪えていた。
ムイが吐き続けるダンテをさする。
「ダンテ? ダメそう?」
ムイが優しく声をかける。
「はぁ、はぁ……。ご、めん……。ちょっと、ムリ、かも……」
ダンテは虚ろな目で弱々しく答えた。目には涙をためていて、今にも倒れそうだった。
「わかった。カーラさん」
「……なに?」
あたしはしゃべるのもやっとだったが、なんとか声を絞り出す。
「先に俺がカーラさんをおぶって走るよ」
「……」
「さっきみたいな広い場所がまたあるから、そこまで行けば臭いはなくなるんだ。カーラさんを連れて行ったら、そのあと、ダンテを迎えに行く」
「……さきに……さきに、ダンテを連れて行って。あたしはあとで、いいから」
「でも」
「そうして、お願い。あたしはまだ、耐えられるから」
あたしはなんとか気丈に振る舞った。正直、限界は近かったが、意地で耐えた。
「……わかった。必ず戻ってくるから、待ってて」
ムイがダンテを背負う。ダンテはもう気を失いかけていて、目の焦点が合っていなかった。唇は紫色で、手は震えていた。力を入れられないダンテが振り落とされないように、二人を紐で固定した。
「絶対絶対、来るからね! 光を出して、待っててね!」
そう言うと、ムイはあたしを抜かして走り出した。
そして、あたしも道の外に吐いた。
吐いても吐いてもおさまらない。せっかくさっきおいしいご飯を食べたのに、全部出してしまった。
吐くものがなくなっても、吐き気がとまらず、胃液だけを出し続ける。喉がひりつき、吐きすぎてお腹が痙攣している。
意識が朦朧として、感覚が麻痺しているのに、臭いはずっと襲いかかってくる。意識を失えれば楽なのに、この臭いがそれすらさせてくれない。
なんとか光を灯し続けるが、魔法に集中することができず何度も消しそうになる。
でも、これがないとムイがあたしを見つけられないかもしれない。光だけは、消してはいけない。
時間の感覚がない。ムイが行ってからどれくらいたったのか、わからなかった。時間を測ろうとしても、なぜか途中からわからなくなってしまう。
ムイは、本当に戻ってくるだろうか。あたしを置いて、二人だけで先に進んでいたら……?
駄目だ。考えるな。悪いことばかり考えてしまう。
あたしはもう立ち上がる力さえなかった。座り込んだまま、頭を上げることすら辛くて、ただ地面を見つめる。ただ臭いがキツイだけで、ここまで地獄を見ることになるなんて。
……息を止めよう。そうすればマシになる。
あたしは息を止めた。
そうだ。このまま、息をしなければ、臭いは軽くなるんだ。ずっと止めていればいいんだ。ずっと……。
目が霞む。力が入らない。もう……、無理かも……。
その時、視界の端に光が見えた気がした。
光が……、光が見える……?
あたしの光かな……。
でも、どんどん、近づいてるような……。
「……ラさん」
声が聞こえる。
「……カーラさん!!」
ムイの声が聞こえる気がする。
朦朧とする意識のなか、臭いはまだあたしを離すまいとしがみついていたが、ムイが走りながら必死に声をかけてくれていたのを覚えている。
「大丈夫だよ」
「もうすぐ着くから」
「ダンテも無事だから」
「カーラさんも大丈夫だよ」
「絶対死なないから」
「絶対死なせないから」
あたしはムイの背中で涙を流していた。
あまりにも辛かったからなのか、ムイの優しさに感極まったからなのか、どちらかはわからなかったが、涙がとまらなかった。
本当に、情けない話だ。
なにがついてこないで、だ。これでは、足手まといなのはあたしのほうだ。
なのに、どうしてあたしと一緒に行くの……。こんな役にたたないあたしを連れて、何の意味があるの……。
誰かに見られているような気配がして、あたしは目を覚ました。
「……ここは……」
あまりにもガラガラの自分の声に、一瞬化物がいるのかとビックリしてしまった。のどがヒリヒリして痛い。
あたしは地べたに寝転がっていた。上は暗闇だったが、辺りは明るかった。あの白い空間にいるんだ。
誰かに見られているような気がしたが、夢でも見たのだろうか。
もしこの暗闇のなかに誰かいても、きっとそれを察知するとこはできない。
あたしに見えていないだけで、周りには今も魔物がウジャウジャいて、あたしたちを見ているのかもしれない……。そう思うと鳥肌が立った。
やめよう、こんな妄想するもんじゃない。
首を横に向けると、二人が倒れていた。
「…あっ!!」
あたしは体を起こした。だが急に起き上がったせいて、目眩と吐き気が一気にきた。
そうだ、あたしあのまま気を失ったんだ。
立ち上がるのは無理だった。あたしはまだクラクラしていたが、そんなことよりも二人の無事を確認するほうが大事だった。
四つん這いになって、のろのろと二人に近づいていく。
顔を近づけると、二人の寝息が聞こえた。息をしている。
「……はぁ……」
よかった。生きてる――。
ダンテはまだ青白い顔をしていたが、あの時よりはマシだ。
ムイは疲れはてて寝ているようだった。いったいどれだけの距離を走ってくれたんだろう。
荷物や剣もすべて抱えてくれた。それに加えあの狭い道だ。バランスを崩してもおかしくないのに、よくここまでたどり着いたものだ。本当にすごい。
あたしは辺りを見渡す。
あの時と同じ、白い空間、そしてまたしても扉があった。模様が少し違ってみえるが、同じような扉だと思う。
ここには先程のような臭いはもうなかったが、それよりも自分が臭かった。上着の袖で口を拭ったからだ。顔も髪も臭い気がする。
あたしは上着を脱ごうとしたが力がはいらず、ただ脱ぐだけなのにいつもの10倍は時間がかかった気がした。
魔法で水をだして袖の汚れを落とし、ついでに顔も髪も洗った。たったこれだけの動作にも関わらず、とてつもなく疲れた。
あの子たちも汚れているはずだ。起きたら洗ってあげよう。
「……うっ……」
声がしてあたしは振り返った。ダンテがうっすら目を開けている。
「ダンテ!!」
あたしはまた這いつくばってダンテに近づき、声をかけた。
「ダンテ!! 気分はどう? まだ辛い?」
ダンテの目はまだ虚ろでぼーっと上を見ていたが、次第に目に光が戻ってきた。
ダンテの瞳がゆっくりと動き、あたしを見て、少し笑った。
「ダン
「っはっくしょーーーい!!!!」
ムイが大きなクシャミとももに目覚めたのはとても喜ばしいことだったが、あまりの大きさにあたしの心臓は今度こそ止まるかと思った。
「他にはない?」
二人の服を水できれいにしている。ここは寒いわけではないのだが、上半身裸の二人を見ているとなんだか寒そうで、あたしは魔法で火の玉を作り、二人の近くに浮かべてあげた。
「はい。ありがとうございます」
「はあー、あったかいー。生き返るー」
ふと、二人が首から小さな袋をさげていることに気がついた。
「ねえ、その袋って何なの?」
あたしは服を魔法の風で乾かしながら尋ねる。
「これですか? これは、お守りです」
「家族からもらったんだー」
「そう」
家族からのお守り、か……。
「カーラさん、お腹すいた? まだあんまり食べたくないかな?」
お腹はかなり減っていた。胃の中のものをすべて吐き出したので、これ以上ないほど空っぽの状態で、自分の体が骨と皮だけになった気分だった。
「すいてるけど、この状態でガッツリ食べるのはよくないかも。何か消化にいいものがあれば……」
「僕ら果物持ってきましたよ。それならちょうどいいと思います」
「……相変わらず準備がいいわねえ」
あたしはもう驚くのをやめた。
「……ダンテ」
ムイが不安そうにダンテを見る。
「ダンテ……。果物で、いいの……? まだ他の食材残ってるよ。なんなら全部食べてもいいよ?」
「ありがとう。でも、大丈夫。また吐いちゃうと思うし」
「……そっか。わかった」
「さてと、じゃ、今度はあたしが開けるわね」
「いいえ、僕が開けます」
あたしは気合をいれて腕まくりをしたが、ダンテが前に出る。
「疲れてるでしょ? 力、入るの?」
「もう回復しました。僕のほうが先に休憩してたんですから。大丈夫です」
「そうかもしれないけど……。ねえ、これも開けるだけでいいの? 何も起こらない?」
「何もないよ」
ムイがこちらを見ず答える。心なしか、顔が強張って見えた。この先に何かあるのだろうか。でも、聞いてもきっと答えてくれない。
あたしはある意味、この子たちに主導権を握られているようなものなのだ。あたしに決定権はない。ここで言い争っても、どうすることもできないのだ。
「……じゃあ、任せるわ」
「はい!」
ダンテは扉を押した。
そしてあたしたちはまた、暗闇へ飲み込まれていった。
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