第35話 白い土

 慈雨の召喚したアイスウィングもまた、彼女の背後に隠れ、氷の翼だけが見せていた。


 傍から見れば訳の分からない攻撃に、さすがの君塚も下がる。


 その戦い方を教えたのはボクだから、その次の攻撃も、予測が付いていた。


 彼女はローブの下から伸ばした腕に装着した『クロスボウ』をハクアへと向け、『ボルト』を射出する。


「ハクア!?」

『ッ!!』


 ★4の英雄はけして言葉を話せない。

 しかし、痛みは表情に出る。

 一見、ダメージを受けていないように見えても、『ボルト』は膝を掠っていたようだ。


 君塚澪が本当に10層をソロで歩けるレベルだとしても、圧倒的にレベル差や小手先のテクニックが違う。


 『クロスボウ』による致命傷を避けられたのも、ハクア自身の判断によって掠らせるのが限界だった。


 君塚澪がモンスターとばかり戦ってきたなら、尚更勝敗は見えている。


「……おい、これは一体どういうことだ? 一人芝居にしては、やけに演出が凝ってるじゃねぇか」

「なっ!? あなた、あれが見えていないの……?」


 さすがに《吹雪》による攻撃エフェクトは視認可能だが、基本的に慈雨が見えていることに対しては嘘を吐く。


「わ、私達にも、何がなんだか」

「何かあるのはわかるけど……なあ?」

「うん。何処から出ているのかわからない、冷たい風……」


 姉川先輩率いる、ボクらのグループメンバーには見えていない。

 それなら、ボクも見ていないことにすべきだ。

 でなければ、ローブ女とボクに何かしらの関係があると、君塚に悟られる危険性があるからである。


「あ、あんた何者なの!?」

「…………」


 慈雨は多くを話さない。彼女は一定の距離を取りながら、《吹雪》とクロスボウの攻撃を繰り返す。


 レベリングを施した慈雨が本気を出せば、いくら君塚といえど、即死してしまうだろう。


 てっきり復讐するかと思えば、さすがに殺すところまでするつもりはないのか。

 いや、こんなところで適度に痛めつけるのも、それはそれでかなり攻めているともいえるか。


「新手のモンスターだかよくわからないけど、ボク達は逃げさせてもらうぜ!」

「待ちなさ――――っ、この!」

「こっちからすれば、君塚だって敵なんだからな……危険地帯でグループから離脱じゃあ、自業自得だよな?」


 そう宣言して、急いでその場を立ち去ろうとするも、襟元を強い力で引っ張られた。

 なんだと横を見ると、姉川先輩だった……力強くない?


「ちょっと弟くん? 彼女が誰で、何があったのか知らないけど、一年生が死んじゃうような真似はお姉さん了承できないよ!」


 先輩には慈雨のことが見えていないだろうに、攻撃を受けているのが一年生だからかな……助けようとしているのか、仲裁しようと考えているのだろうか。


 ここでボクは無関係を決め込みたかったんだが、困った。

 万が一にもローブ女の正体がバレることは避けたい……姉川先輩ほどの強者が戦いに参入するとなると、何が起こるかわからないから。


「わかりましたよ。オラッ!」


 目くらましに使う『スモッグ★★』を投げつける。


「え、ちょ! あの透明なモンスターについても――」

「先輩。どうせ見えないなら、未知に挑むより退却を選ぶべきでは? ボクが協力するのは彼女を助けるところまでですよ」


 傍から見れば、今の慈雨はモンスターなのか。


 『迷彩ローブ』はどちらかというと、対人戦用のアイテムだし、装備カードでない以上、紙装甲になってしまう。


 慈雨はそのことを知っているし、ここで騒ぎを聞きつけたモンスターがやってくれば、彼女もさすがに逃げる。


 よって消耗戦をさせるのも一つの手だと思っていたのだが、姉川先輩を納得させるには、この方法が一番だろう。


「っ! まったくツイてないわね……四辻くん、いつかわたくしが、貴方を倒すから!」


 『スモッグ』で慈雨の攻撃が止まり、その隙に君塚は捨て台詞を残し逃げ出した。


 しかし、彼女にここまで目を付けられてしまうとはな。


「モンスターが寄って来る前に急ぎましょう!」

「そうよねっ! 先輩!」

「ええ――」


 夏堀と羽澤の言葉に続き、ようやく姉川先輩も動いてくれる。


 一旦は9層へ戻ることをグループのメンバー達も考えたのだろう。

 自然と、階段の方へと目指す道へ足が向いた。


 元々はサラマンダーが住み着いていたこともあり、階段まではモンスターがいないという意図もある。


 ……慈雨は、放っておいていいだろう。


「ねえ四辻くん? ……本当に2層までしか潜ってないの? 『スモッグ』といい、なんか経験ありそうだけど」


 逃げる際、歩きながら翠尾がボクにそんなことを訊いてくる。

 彼女はずっと黙っていたが、観察でもしていたのだろうか。


「……あっ、それあたしも思った!」


 運悪く羽澤にも話が聞こえてしまったのか、大きく声をあげた。


「公爵家の子息たるもの、特殊な教育くらい受けてる。基本だろ? 馬鹿か」

「…………ふうん、そうなんだ」


 一か八か言い訳をしてみたものの、翠尾の反応は転生者特有のそれだった。

 嘘を言った訳じゃない……貴族に家特有の教育があることは本当だ。


 ゆえに、羽澤は黙ったまま。

 貴族の教育は、それぞれの家の暗黙の了解だと知っているのだろう。


 羽澤美憂はどう見ても家の教育を受けている……モンスターカードを用いない戦闘は、何もボクだけの専売特許ではないし、アイテムの使い方で言えば、彼女も負けていない。


 まあ……知る転生者によれば彼女は原作のヒロインだと知れているので、対照的にボクのことが気になったという感じだろう。


 まあ、ボクは四辻家の教育なんてものを受けていないボンクラ公子なんだけど。


「ふんっ、あたしの方が強いんだから」

「……お前まで君塚みたいなるなよ」

「逆にあんた、代表さんになんであんな恨まれてたのよ」

「入学当初」

「あー……」


 もう一ヶ月の前のことだから、つい頭から抜けていたのかもな。


 授業中、君塚がしつこくボクと戦おうとして、ボクが避けていたことも慣れたものだったが、元を辿ればそこだろう。


「はん、まー、あー、あんたよりはあたしの方が強いのは間違いないんだからね?」

「調子に乗るなよ、調子に」


 というか前を向いて歩け。


「どっちが調子に乗ってるってのよ~――って、えっ?」

「あ」

「ねぇ……これって」


 言わんこっちゃない。

 羽澤の足は、『白い土』を踏んでいた。

 11層へ落っこちてしまうトラップ……その場から地面に穴が広がり――


「美憂ちゃん!?」

「あわわ、わーっ! ぐああぁぁぁ!!」


 ヒロインがなんて声を出しているんだと思いながら、どうせヒロインなんだから死なないと思った瞬間、彼女に足首を掴まれる。


「は?」


 落ちようとすれば、何か近くのものを掴もうとするのは当然だろう。

 それがボクの足だというのは、災難としか言いようがなかった。


 ――11層へと落とされるその瞬間、遠くから走ってこちらへ手を伸ばす慈雨の姿が見えた……気がした。

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