第26話 クラインの壺

 クラインの壺というものを、ご存知だろうか。

 ドイツの数学者であるフェリックス・クラインが考案した4次元空間で実現可能な多様体である。


 この壺の特徴は、内と外……表と裏の区別が付かないこと。

 メビウスの輪を想像すればわかりやすいだろう。

 クラインの壺の真骨頂は、内部と外部を持たないという見方にある。


「ゴールデンスライムは未来を見て、トラップを回避している訳じゃない。モンスターを捉える内側と外側の構造を理解して、避けているんだ」


 だから、ゴールデンスライムはこの壺に食らいつくのだ。


「でも、これ……どうなっているんですか?」


 スライムは壺にハマって、底……と言っていいのか、入り口の裏側に固定されたマナ金石にたどり着かない。

 そのまま、動けず硬直している。


「空気抵抗だ。クラインの壺の中にスライムボディは入りきらない」


 スライムには基本的な形状が存在する。

 それに加え途轍もないスピードを持つ『ゴールデンスライム』は壺にズボッとハマり、形状を保ちながら抜け出すことは、難しくなってしまう。


 もちろんスライムなのだから、チューブ状に変形させることで空気を逃がせば、マナ金石まで辿り着くだろう。

 しかし、トラップに引っかかった訳でもなく、大好物のマナ金石が目先にあれば、幾ら知能が高くても、まずは突撃する。


 そして知能を振り絞られる前に、ボク達が攻撃する。


「はい、こうやって倒せばいい」


 容赦なくナイフで切って撃破すると、マナ金石がドロップした。

 他のゴールデンスライムが現れる前に、ボクはしっかりとした瓶の中へと保存する。


「攻撃力を持たない代わりに、超絶スピードとトラップを避ける知能があっても、ガラスも壊せないのでは、モンスターとして致命的だな」


 空気抵抗で捕獲できるなら、フラスコなどでもいいように思えるが、内側に入るというアクションがスライムにとってのNGであり寄り付かないのである。


 が、クラインの壺は例外だ……何しろ裏表が存在しない壺のだから。

 モンスターを捉える構造として、観測できない。


 この表裏判別のパラドックスによって『ゴールデンスライム』は完全攻略されたのだ。


「確か……マナ金石って高く売れるのですよね?」

「ああ。簡単にマナ金石は回収できるから、これから貧しくはなくなるし、何よりゴールデンスライムは★5……経験値が美味しいんだ」

「し、信じられません……」


 他にも、マナ金石の使い道は、色々ある。

 それこそ、ボクのエンドコンテンツを進める初めの一歩は、大量のマナ金石あって踏み出せる。


 普通にやれば、不可能にしか思えない……それこそが、エンドコンテンツなのだから。


「さ、もう一体来たぞ。『クロスボウ』を使うのは『ボルト』の無駄遣いだから、慈雨もナイフを使うといい」

「こ、こんなに簡単でいいのでしょうか……」


 楽にレベルアップすることに、なんだか不満そうな顔をする。

 今までも効率的にレベルを上げてやったが、このグリッチはさすがに異常だとわかるだろう。


 しかし、使えるものは使うべきだ。

 そうでなければ、成し得ないこともある。


 とはいえ、だ。

 慈雨の懸念は悪くないし、ボクが彼女に求めるところでもある。


「良くはない。レベルが上がり過ぎて、技術が低ければ、いつか強大な敵に勝てなくなる」

「そう……ですよね」

「だが、それはボクが教える」


 慈雨と共に、ボクもレベルは上がる。

 レベルの低い敵と対等なうちに戦うことで技術を学ぶという考え方は基本だが、逆に言えばずっと対等に戦える相手がいればいい。

 その点PVPは、打ってつけだろう。


「それに――11層以降出てくるモンスターは、そんなに甘くない。このダンジョンは、それこそレベルや強さでどうにもならないステージがでてくる。さ、次のスライムが来たぞ」


 撃破してドロップ品を回収すれば、また次のスライムが引っかかる。

 今は慈雨がスライムを叩くターン。


 作業工程は、餅つきのようだ。


「まあだからボクは、慈雨の態度に安心したよ。これなら、1人で攻略しても大丈夫そうだな」

「ど……どういうことですか?」


 ここ数日、考えていたことだ。

 慈雨は恐らく1年生の中でも2番目に強くなった。

 しかし、まだまともな戦闘経験が少ない。

 そう――ボクがサポートしない戦闘をしたことがないから。


「そのままの意味だ。ボクなしで、ダンジョンの攻略をしてもらう時間を作る」


 切り出せなかったのは、慈雨の身を案じて。

 一度はダンジョンで死んだも同然の彼女だ。

 気を付けはするだろうけど、そこで保身のことばかり考えても修練にならないだろうと思っていた。


 でも、彼女には既にダンジョンに向き合う覚悟を持っている。

 これからもボクの為に役立ってもらうが、彼女自身にも、自由に伸び伸びできる時間が必要かもしれない。


「でもでも、この姿で誰かに見られたら、私一人では逃げられませんし、身分だって――」

「その心配も、たった今なくなった」

「どういう……ことですか?」

「少しついて来い」


 ボクは慈雨の手を引いて、限定ステージのあるエリアを一旦出ることにした。

 すると――――



▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄

>限定ステージ『強欲の金鉱脈』が初回踏破されました

>MVPが計測されます・・・

>入場者2名

>ユーザー『慈雨奏』に初回踏破報酬『迷彩ローブ』が進呈されます

◥▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄▄◤



 撃破したゴールデンスライムは慈雨の方がボクよりも多い。

 予想通り『強欲の金鉱脈』は誰にも攻略されておらず、ボク達が初踏破したステージだった。

 そして極めつけは踏破報酬。


『迷彩ローブ★★★★★』


「それがあれば、身を隠しながら、1人でダンジョンに挑める。だろ?」

「……公子様がそれを望むなら……」


 『第陸の鍵』と並ぶ最高ランクの★5アイテムカードを手に入れたのだから、喜んでくれると思ったが、思ったより慈雨の反応は薄かった。


 地上に戻ったら、好きなスイーツでも買ってきてあげよう。

 機嫌が悪いようには見えないけど、折角ならもう少し笑ってほしいと思った。













୨୧┈••┈┈┈┈┈┈┈目録┈┈┈┈┈┈┈••┈୨୧


・『クロスボウ★★★★』

 一応、装備アイテム(無属性)

 『板ばね★★★』+『弦★』+『クリエイトツール★★★』で作製可能。

 専用の矢……『ボルト★』を消費して投擲攻撃が可能。


୨୧┈••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••┈୨୧

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る