第10話 過去から来た女性

 10人掛けの机と椅子が並ぶ会議室に、職場で同じ係にいるメンバー全員が集合した。

 係長の大垣さんに、ベテラン社員の塚原さん、それに山県と新人の木根塚さん、それに俺の5人の編成だ。


 こうして5人が一堂に会するのは、かなり珍しい。

 オフィス、実験室、出張とかで同じ場所にいないことが多く、また最近ではリモートワークも浸透してきていて、自宅から会議に参加したり、仕事をしたりすることも増えた。


 この場は、仕事の話し合いをするだけでなく、貴重なコミュニケーションの場でもあるのだ。


 この係は入社3年目以下の若手が過半数なので、大垣さんや塚原さんの面倒見の良さで成り立っている部分がある。


「山県君、なんだか眠そうだね」


「昨日は、総務部の女の子と、飲み会だったんですよねえ?」


 大垣さんと山県の雑談に、何故か木根塚さんが乱入する。

 仕事アフターのプライベート行事を開示されて、山県は一瞬怯んだけれど、


「全然大丈夫です。頭は回っていますから、はい」


 と、あっけらかんと答える。

 そうなのだ。こいつはどんな時でも明るく、仕事に支障をきたすことは無い。

 だから、上司や周りの信頼も厚いのだ。


 そんな山県が、こちらに意味ありげな視線を送ってくる。


「そう言えば昨日の夜は、高坂だって--」


「うわあ、おっほん!!!」


 高坂が何かを言いかけたので、咄嗟に大声を上げて遮る。

 多分、白石さんとのことを話題にしたいのだろうけど……


「お、高坂君も、何かあったのかい?」


 大垣さんも人なつっこい笑顔を覗かせて、こちらに興味を向けてくる。


「いえ、何でもありません、はい!」


 そう言い切って山県に睨みを利かせると、これまた悪意の無い笑い顔で、こちらを見返す。

 フランクな雰囲気はいいのだけれど、白石さんに変な噂が立って、迷惑をかけることは、あってはならないのだ。


 場の空気が温まったところで、大垣さんが口を開いた。


「ところで一つ相談なんだが、諌山常務へのプレゼンに、山県君か高坂君のどちらかに同席して欲しいと、紅林課長から言われているんだ。二人とも、都合はどうだ?」


 何だよそれ? 


 俺にとっては、晴天の霹靂のような話である。

 人と話すのがそんなに得意ではない俺が、天上人のような人を目の前にして、

まともに話す自身はない。

 実力的にもキャラクター的にも、ここは山県の出番だろう。


「それ、いつでしたっけ?」


「明日の昼一だな」


「あー、すみません。俺はその日、部品メーカーに出張です」


 山県がそう答えると、大垣さんの視線がこちらを向いた。


「そうか。じゃあ、高坂君はどうだ?」


 生憎と、予定は空いてしまっている。

 咄嗟に何か用事を作ろうかと思っても、そうそう都合よくは浮かんでくれない。


「俺は大丈夫ですけど……」


「そうか。なら申し訳ないけど、予定しておいてもらえるか? 課長には、俺から伝えておくから」


「分かりました」


 そう返事はしたけれど、紅林課長は多分、山県を連れて行きたかったんじゃないかと思ってしまう。

 二人で作ったプレゼン資料だから、同じように声を掛けるようにしたのだろうけど。


 まあいい。できるだけ黙って、やり過ごそう。


 それから、それぞれのメンバーが抱えている仕事の進捗や、困っていること等の共有がされて、大垣さんや塚原さんからのアドバイスを拝聴する。

 この打合せは終始和やかなので、この場にいても特に苦ではない。


「木根塚さんは、レポートの書き方が上手になってきているね。この調子で頑張ってね」


「ありがとうございます! 山県さんの教え方がお上手なので!」


 山県ファンの木根塚さんがそう持ち上げると、本人は苦笑いを浮かべた。

 いつも遅い時間まで彼女のレポートを添削して、マンツーマンで指導しているのを、俺は知っている。

 後輩の指導も楽じゃないんだなと、気の毒な気もしてしまう。


 一時間程で打ち合わせを終えて皆でデスクに戻ると、紅林課長の大声が鳴り響いた。


「おおい、第2開発課全員集まってくれ」


 何事かとそちらに目を向けると、見慣れない男の人と、リクルールスーツっぽい恰好の若い男女が、課長席の脇に立っていた。

 その場にいた同じ課のメンバーが集合すると、脇に立っていた男の人が、よく通る声で話し出した。


「皆さん、忙しいところにすみません。営業部に新人が配属になったので、紹介に来ました。今までは販売店の方で研修をやっていたので、ここでの勤務は今日からになります。君たち、自己紹介を」


 そう即されて、緊張気味で表情が硬い男子社員が、自分の名前と所属を告げて、深々と一礼した。

 続いて女子社員の方が、居並ぶ一同に向けて、ぐるりと笑顔を振りまいた。

 茶色がかった長い髪の毛に、銀色のピアス。何だかあか抜けた感じだ。

 眉毛や目鼻立ちがくっきりしていて、それをちょっと派手目のメイクが引き立てている。


 はっきり言ってしまうと美人…… なんだけれども……

 

 おい、ちょっと待てって……

 背中に冷たいものが走って、思わず唾をゴクンと飲み込んだ。


「皆さん初めまして。営業部営業2課に配属になりました、上野山梓です。どうぞよろしくお願いします」


 どういう巡り合わせだよ、これ。

 幸運、とは言い難いよな。今となっては。


 彼女とは目が合わないよう、出来るだけ顔を下に向ける。

 早く過ぎ去ってくれと、心の中で祈りながら。


「それじゃあ、お騒がせしました」


 どうやら、営業課の課長さんだったらしい男の人がそう告げて、その場を後にしようと、こちら側に歩いてくる。

 3人は俺の立っているすぐ脇を抜けて、他のフロアの方へ――

 抜けていくはずだったのだけど。


「……高坂君……?」


 先ほどの自己紹介の時よりも低いトーンで、そんな声がした。

 俺のすぐ横で、新人女性社員が丸くて綺麗な目をこちらに向けている。


「……」


「高坂弾君、じゃないですか?」


 2度訊かれて、無視もできなくなった。


「……はい」


「やっぱり……わー、久しぶり。この会社にいたんだね!」


「何だ、知り合いか?」


 営業の課長さんが、意外そうな表情で、こちらを振り返る。


「はい。大学時代の、知り合いです」


 そう告げられると、課のメンバー全員の目線が、俺達二人に集まった。

 

「弾、あとで連絡する」


 俺の耳元でそっとそう告げると、彼女は他の二人と一緒に、隣のフロアに移動していった。

 すると早速、山県からのツッコミが入る。


「おい、高坂、あの子とは、知り合いなのか?」


「……まあな……」


「へえ、綺麗な子じゃないか。お前も隅に置けなくなってきたな」


「いや、そんなんじゃない。興味があるんなら、好きにしたらどうだ?」


「え? どういう意味だ?」


 神様、俺に非日常をプレゼントしてくれるのは、嬉しいんだけど。

 これは流石に、やり過ぎじゃないのか……?


 頭の中に、過ぎ去った日々の映像が、フラッシュバックしてくる。

 楽しかった場面も、そうでない場面も、ごちゃごちゃに。


 上野山梓、大学時代の同級生だ。

 学部は違うけれど、新入生歓迎コンパでたまたま席が近く、向こうから話し掛けてきて、仲良くなった。


 そしていつしか二人は付き合うようになって、その後俺は、こっぴどいフラれ方をした。

 ナイトシアターで観たリバイバル映画、昔その映画を観た時、彼女が真横にいたんだ。


 ずっと静かだった職場と俺の日常に、不穏な空気が立ち込めた感じがした。



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