第9話 また行きましょうね
白石さん、それにバーテンダーのお兄さんとの会話は楽しくて、気づけばすっかり夜が更けていた。
俺は楽しいけど、白石さんは俺なんかと一緒で楽しいのかなと思ってしまうけど。
お兄さんの気さくな話術のお陰かもしれないなあ。
俺はともかく、彼女はきっと、明日も忙しいだろう。
「白石さん、もう遅いから、そろそろ帰りませんか?」
「そうですね。明日また仕事ですし、そうしましょうか」
帰り際にお兄さんに挨拶をすると、渋い顔を崩して、静かな口調で言葉が返ってきた。
「是非またどうぞ。今度おこしになった時には、また違う色のカクテルを、お出しできると思います」
「え……? どんな色、ですか?」
白石さんがそう問い返すと、
「それは、お楽しみにさせて下さい。でも、そうですね……もっと明るい色のものを、お出しすると思います。雪が解けて華が咲けば、次は眩しい季節がやってきますよね」
そう言って、俺と彼女に、温かな目線をくれた。
どういう意味なんだろう?
丁度今、春から初夏へと向かっている。
そんなことを意味しているのだろうか?
「ありがとうございます。楽しみですね」
と、白石さんが楽し気に言葉を返す。
お兄さんは彼女に笑みを返すと、俺の方に眼を向けて、ぱちんと片目を瞑った。
……何の意味があるのかな、これ?
二人で席を立つと、後ろの席から声が飛んでくる。
「おお、高坂、もう帰るのか!?」
「ああ、先帰るわ」
「じゃあ、また明日な。白石さん、ご機嫌よう~!」
実は山県は、そんなに酒が強い方ではない。
一、二本ネジが外れたような感じで、ご陽気な言葉を投げてくる。
「はい。さようなら、皆さん」
白石さんも陽気に応えて手を振ると、山県と他の3人の女の子達が、ぶんぶんと手を振り返してくる。
どうやら彼女の笑顔は、異性だけじゃなくて同性にも、貫通力抜群のようだ。
そうして帰り道、駅へ向かって電車に乗り、そこから二人同じのマンションへ。
白石さんは頬が紅色で、お酒を飲む前よりもかなりテンション高めだけれど、足取りはしっかりしている。
普段はお酒は飲まないと言っていたけれど、結構強そうだ。
「そういえば諌山さんも、将棋が好きって言っていました」
俺の趣味のことを思い出したのか、白石さんがそな話題を持ち出す。
多分、彼女は興味が無いと思うけれど、俺に気を使ってくれているのかな。
「え、諌山常務が、ですか?」
「はい。たまに一人で、ネット将棋で遊んでらっしゃいます」
「へえ、どのソフトなんでしょうね。俺もたまにやりますが」
「今度、こそっと聞いておきますね」
会社の常務の趣味なんかに興味はないけれど、そんな話を聞くと身近に感じてしまうから、不思議だ。
並んで足を進める帰り道、やがて古い造りの高層マンションが見えてくる。
エントランスから中に入って、吹き抜けのロビーで、真っすぐに見つめ合う。
「高坂さん、楽しかったです。ありがとうございました」
「俺もです、白石さん。今日はありがとうございました。じゃあまた」
「あ、あの……」
半身を階段の方に向けてから、彼女に呼び止められた。
その場から動かず、綺麗な瞳をじっとこちらへ向け続けている。
「はい?」
「また、行きましょうね?」
「……はい、そうしましょう。お休みなさい」
「お休みなさい」
二階へと続く階段へ、そのまま振り返らずに向かった。
楽しかったな、今日は。こんな気分は久しぶりだ。
予期せずに舞い降りた、非日常。どこかの神様に感謝する。
また行きましょうってのは、社交辞令だよな、きっと。
今まで、それが実現した記憶はない。
それでも、俺には十分だ。楽しい時間だったし。
それに、白石さんの心が少しでも和んだのなら、良かったと思う。
明日からはまた、普通の技術系社員と、手が届かない花である役員秘書の関係に戻るんだ。
そこはきっちりとわきまえよう。それが大人だ、うん。
そう心に決めて、部屋のドアの鍵を開けた。
◇◇◇
次の日に会社に行くと、思ったとおり、山県から強烈な突っ込みが入った。
更に良くないことに、その横にはもう一人いる。
隣の課で同期入社の、馬場信広。
こいつもよく、山県とつるんでいる。
陽気な性格で友人関係は広いが、残念ながら女にはモテていない。
「さあ、何でお前が白石さんと一緒にいたのか、聞こうじゃないか」
「だから、仕事の話だよ」
「白石さんとお前が仕事の話って、一体何の話だよ?」
「そ、それはだなあ……」
確かに、全く接点がない。
かと言って、素直に本当のことは言えないしな。
「えっと。彼女から相談されたんだ。悪いが機密事項なので、ここでは言えないな」
「……そうなのか?」
「それでも、あの白石さんと、バルで一緒? いいなあ、羨ましいなあ……」
「そういえば馬場、お前は昨日、どうだったんだ? 木下さんと一緒に、二人で帰ったんだろ?」
「何もなかったよ。次行かないかって訊いたら、ちょっと用事があるからまたね、てよ。俺と一緒にいるよりも、帰ってテレビでも見たかったのかもなあ」
成程。馬場も昨日、山県の飲み会に一緒に行ったのだ。
そうして、何の成果もなく、討ち死にをしたのだな。
こいつもルックスはそこそこだけど、本能丸出しのとこがあるしなあ。
「けどよ、何で相談先がお前なんだ? お前しか分からない事とか、何かあったのかよ?」
「……すまん、そこも言えないんだ」
「「……」」
二人とも全く納得はしてないっぽけれど、そんな言い訳しか思いつかず。
「さあ、仕事するぞ。俺はやることをやって、さっと帰りたいんだ」
そう言って二人を突き放してパソコンに向かい、いつも通りメールやチャットを確認する。
月次報告のまとめの締め切り、社内技能検定の参加募集、社長メッセージの最新版発行……
斜め読みをしながら、どんどん消化していく。
あ、白石さんからメッセージ?
着信は7時45分。俺が家を出る頃には、もう会社にいたってことか?
やっぱり、俺なんかよりも忙しいんだな。
『昨日はありがとうございました。とっても楽しかったです。また行きましょうね! 美味しいお鍋のお店があるんです』
律儀だな、白石さんは。流石は役員秘書。
『こちらこそ、ありがとうございました。とっても楽しかったです。遅くなったけど、大丈夫だったでしょうか』
そう送ってから、他のメールやメッセージを一通り確認し終えた頃、
『全然大丈夫です。ここ、良くないですか?』
そんな文言の下に、どこかのURLのような記号が貼り付けられている。
一応クリックしてみると、その先は海鮮居酒屋のHPだった。
何だ、これ? 『北海道から産地直送のネタ満載、名物豪快海鮮鍋』……と、ページの上の方にアピール書きがある。
魚やら貝やら大きな海老やらがてんこ盛りに映っていて、確かに美味そうではあるけれど。
『確かに良さげなお店ですね。海鮮は大好きです』
『でしょう? 都合のいい日があったら教えて下さい。予約入れちゃいますから』
昨日結構飲んだばっかりなのに、もう次の企画とは。
白石さんはタフだな。まあそうでないと、入社二年目にして、営業と役員秘書の仕事は、務まらないか。
けどこれ、俺と行くってことだよな? しかも、誰かを誘ってとかの雰囲気も、文面からは感じない。
―― それでいいのか、白石さん?
何だかよく分からないけど、放っとくのも失礼だし。
『ありがとうございます。また連絡させていただきます』
一旦こうしておこう。どこまで本気なのかも分からないし、気が変わるかもしれないし。
勝手にその気になって、梯子を外されたことは、今までに何度もある。
こういうのは、話半分で聞いておく方がいいのだ。
今日は朝一から、週一回の定例のミーティングがある。
パソコンの画面をぱたんと閉じて、予約されている会議室に向かった。
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