第7話 桜色とバーボン
「高坂さん。次、行きませんか?」
お腹が満腹になったので天ぷら屋さんを出ると、白石さんがそんなことを口にした。
俺は別にいいけれど。
今日という非日常は、まだもう少し続いてくれるのかな。
「いいですけど、大丈夫ですか?」
かなり顔が赤くなった白石さんに確認する。
「はい、今日はまだまだいけます!」
そう、元気よく返事が返ってくる。
どこに行こうかな…… 天ぷら屋さんは彼女に連れて行ってもらったから、今度はこっちの番かなと思い。
もう少し話ができるところ、だよな。
「俺が前に行ったことがある店、行ってみますか?」
「はい、もちろん!」
とはいえ、行ったことがあるのは一度きり。
山県が仕切っていた飲みの二次会で、訪れた店だ。
そこから駅に向かい、電車に乗って数駅。
少し薄暗い裏路地の一画に、鮮やかなネオンが灯る店がある。
扉を押して中に入ると、シックなオーク調の店内は、それなりの客で賑わっていた。
落とし目の照明が、落ち着いた雰囲気を醸成している。
「二人、いけますか?」
「はい。カウンターとテーブル、どちらがよろしいですか?」
カウンターの向こうでワインボトルのようなものを片手にした、渋いお兄さんが応えてくれる。
「白石さん、どっちにしましょうか?」
「じゃあ、カウンターにしませんか? その方が、お話がしやすそう」
「分かりました。カウンターでお願いします!」
そう告げるとお兄さんは、すっと口の端を上げて、目の前に並ぶ椅子の方に手をやった。
そこに二人並んで腰を下ろして、
「ここ、イタリアンが美味しいんです。カクテルやワインなんかも、オススメですよ」
「ありがとうございます。高坂さん、いいお店知ってますね」
そう言われて、小恥ずかしくなる。
知っていたのは俺ではなく、イケメン陽キャの山県なのだ。
あ、そうだ……
ふと思い立って、カウンターのお兄さんに問い掛けた。
「あの、すいません」
「はい、何でしょうか?」
「前にここに来た時に、オリジナルカクテルを作ってもらったと思うんですけど、それってまだありますか?」
「ええ、できますよ。どういったものがよろしいでしょう?」
俺は白石さんの方に目を向けて、悪戯っぽく訊いてみた。
「白石さんのイメージで、オリジナルカクテルを作ってもらいませんか?」
「え……私、ですか?」
「はい。きっと、綺麗なお酒になると思います」
確か、前に山県が、一緒にその場にいた女子全員分、そんなお願いをしていた。
「じゃあ、お願いしようかな」
白石さんは照れくさそうに笑いながら、コクッと首を縦にふった。
それを見てお兄さんが、優し気な目で彼女を見つめて、
「失礼ですが、お嬢さん、泣いてらっしゃいましたね?」
「え……? 何故、分かるんですか?」
「何となくですよ。こういう仕事をして色んなお客様を、見てきていますから。お兄さん、こんな素敵な人を泣かせるなんて、いけませんね」
……え、俺?
確かに、彼女が泣いてしまったのは、俺が余計なことを訊いてしまったからだろうけど。
「いや、反省します……」
「そんな、高坂さんは悪くないです。私が勝手にそうなっただけだし、今日誘ったのも私だし」
あたふたと弁解する彼女を見やって、お兄さんは白い歯を覗かせて、頬を緩めた。
「ちょっとお待ちを。そちらのお兄さんは、何にされますか?」
「ああ、俺は、バーボンをロックでください。白石さん、他には何かありますか?」
「じゃあ、ピッツァマルゲリータをお願いします」
「かしこまりました」
静かにそう応えると、お兄さんは後ろの棚に並べられたボトルの中から、いくつかを手にして、慣れた感じで動き出した。
「まさか、同じマンションに住んでいたなんて、驚きですよね」
「そうですね。フロアが違うと、会わないものですね。多分、会社の行き帰りの時間とかも違うのでしょうし」
もしかしたら、実は会ったことがあるのかもと思いながら、それは直ぐに否定した。
白石さんのような人を目にしていたら、きっと覚えているはずなのだ。
「俺は朝は遅いし、基本残業はしないし」
「そうなんですね。きっちり時間通りにってことですね」
そう言ってもらえると綺麗に聞こえるけれど、たまに上司からは、嫌みめいたことは言われている。
しばらく雑談をしていると、お兄さんが目の前に立って、
「お待たせしました」
そう静かに口にして、白石さんの目の前に。逆三角形のグラスを置いた。
どういう方法なのかは分からないけどその中は、真っ白い液体に満たされていて、その上に深紅の薄い層、一番下に淡いブルーの層があり、三層構造だ。
グラスの端にレモンの欠片が添えられ、ストローが刺されている。
「あの、これは……?」
「雪と氷をイメージして作りました。一番上にあるのは、それを解かす太陽です。混ぜてから召し上がって下さい」
「何だか壊しちゃうの、勿体ないです」
指先でストローを摘まんで、ゆっくり掻き混ぜると、グラスの中全体が、薄い桃色に変化した。
「雪と氷が解けると、次は桜の季節になります。春の日差しは、きっと温かいでしょうね」
「凄く綺麗。本当に、桜の色みたい」
そう静かに言葉にして、彼女はグラスに口を付けた。
「……甘くて美味しいなあ……」
そんな様子を見ながら、俺は脱帽した。
たったあれだけのやり取りでこのお兄さんは、白石雪菜という女性をイメージして、形にしてしまったのだから。
彼女が氷の心を抱えた雪なのであれば、きっとそれを照らす太陽が訪れて、春の桜の季節のような温かさで、彼女を優しく包み込むのだろう。
陰ながら、そんな日が来ることを、祈っていよう。
そう思いながら口にしたバーボンは、少しほろ苦い味がした。
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