第6話 思い出話

 俺は少し後悔した。

 

 白石さんから、重たい言葉が出て来たからじゃない。

 そんな大事なことを、この場で口にさせてしまったから。


 彼女にとっては大事な思い出のはず、しかも哀しみに満ちた。

 それは、彼女の短い言葉と、彼女の表情を見れば分かる。

 そこに俺のような奴が、無造作に手を突っ込んでしまったのだ。


 どう言葉を返したらよいのか分からないまま、口を噤んでいると、彼女はぱっと元の笑顔に戻った。


「ごめんなさい、重たい話になっちゃって。あ、高坂さん、グラスが空ですね。何か飲まれます?」


 多分、無理して笑っているのだよな。

 話は聞いてあげたいけれど、いたずらに彼女を悲しませたくもない。


「俺は何でも飲めますから。白石さんと一緒のものにします。もし飲みたかったらですけど」


「そうですね…… じゃあ、日本酒の熱燗なんかどうですか?」


「あ、いいですねえ。もしかして、結構お酒好きですね?」


「いえ……普段はそんなに飲まないんですけど、でも、今日は飲んじゃいます。どれにしましょうか?」


 そう振られて、新潟の地酒をチョイスした。

 少し待つと、熱々の徳利とお猪口が二つ運ばれてきた。


 清く澄んだ透明の液体をお猪口に注いであげると、白石さんはそれに口を付けて、こくんと喉を鳴らした。


 いい飲みっぷりだな。つられるように、こっちも一口。

 すっきりとした飲み口が口に広がり、芳醇な甘い香りが鼻をついてくる。


 彼女のお猪口に次を注ぎながら、


「白石さん、無理にとは言いませんが、もし良かったら、何でも話して下さい。俺のことは木の洞穴とでも思って。絶対に誰にも言いませんから」


 そう告げると、彼女は安心したように、柔らかな顔つきになった。


「いいんですか?」


「はい、歓迎です」


 こちらからむやみに突っ込んだり、訊いたりはしない。

 ただ、彼女のやりたいように、させてあげたいだけ。


「交通事故だったんです。車を運転していて、私を迎えに来てくれる途中で。トラックが目の前にはみ出してきて、それにぶつかって……」


 俺は口元まで持って行ったお猪口を、そのままカウンターの上に置いた。


「そうですか。突然だったんですね」


「はい。いくら待っても彼は現れなくて。心配して電話やメッセージを入れても、全然返事がなくて。彼のお母さんから連絡があって病院に行ったんですけど、その時にはもう意識がなくて……」


 言いながら、彼女の顔は笑っている。

 きっと心の中は、蘇った哀しみでいっぱいなのだろうに。


「じゃあ……話はできなかったんですか?」


「はい。いっぱい呼び掛けたんですけど、意識は戻らなくて。結局そのままでした」


「……辛かったですね、それは」


 俺自身には、そういった経験はない。

 けれど、想像して、察して余りある。

 色んなことに無頓着な俺でも、それくらいは分るつもりだ。

 きっと、伝えたいことも、お互いに沢山あっただろうに。


「……はい。俳優の仕事も、これからって時に……」


 彼女は小声で呟くと、ぐすっと鼻を啜った。


「普段は通らない道だったんです。私がちょっと用事があって他へ行っていて、それでそこまで迎えに来て欲しいってお願いしたから、そこで事故に遭ったんです」


「……それは……」


 言いかけて、言葉を止めた。

 

 きっと彼女は、責任を感じているのだ。

 自分がそんなお願いをしなければ、彼が事故に遭うことも無かったのだと。


 でもそれは、彼女のせいではないと思う。

 けど、いい伝え方が見つからない。

 それでも、何かは伝えたい。


「白石さん、上手く言えないけど、俺はこう思うんです。彼はきっと残念だったでしょう。これからって時に亡くなってしまって。最後に貴方に伝えたいこともあったと思けど、それも言葉にできなくて。でも……」


「……」


「俺がその人だったとしたら、幸せだったと思います。だって、亡くなってからずっと後になっても、こうして想って思い出してくれる人がいるんですから」


「高坂さん……」


「それに、彼が亡くなったのは、誰のせいでもありません。だから、もし責任を感じているのだとしたら、自分を責めないで下さい。きっと彼も、そう思っているんじゃないかって、そんなふうに思うんです」


「そうでしょうか……」


「はい、俺なんかが言っても、全然説得力は無いかもしれないけど。でももし自分だったら、そう思うと思います」


 全部、俺の想像だ。

 実際にそんな運命に遭ったこともない自分が話せることなんか、たかが知れている。

 けど、もし自分がそうなら、そうなんじゃないかって思うんだ。


 白石さんは、とても綺麗な一筋の雫を、目から落とした。

 

 泣かせてしまって申し訳ないなと思いながら、精一杯の笑顔を作る。


「ごめんなさい。勝手に、ベラベラと喋っちゃいました。木の穴が、こんなに喋っちゃだめですね」


「いえ……ありがとうございます。本当に」


 か細く白い指で頬の雫を掬い取ってから、彼女は笑みを返してくれた。


「あの、良かったら、高坂さんのことも、聞かせてくれませんか?」


「え、俺のことですか?」


「はい。あの映画に、何か思い出でもあるんですか?」


「まあ、あると言えばあるんですが……」


「もしかして、彼女さんと一緒に観たとか?」


「……図星です」


 白石さんのお猪口に酒を注いでから、手酌で自分の方にも注いて、ぐっと煽る。


「その方とは、今でも?」


「いーえ、とうの昔に、フラれちゃいました。なんか女々しいですよね、こういうの」


「いえ。でも、今もその人のこと、お好きなんですか?」


「いや、それはないですねえ。こっぴどくフラれましたから。けど、久しぶりに郷愁に浸りたかったとか、そういうやつです」


「でも、そのお陰で、私達こうして、話ができたんですね」


 その通り、ですね。

 神様の気まぐれなのか、単なる偶然なのか。


「酒が空ですね。どうしましょうか?」


「じゃあ、せっかくだから別のお酒。どれがいいですか?」


 今度は白石さんにチョイスを任せて、カウンター越しに板前さんを談笑している彼女を、微笑ましく見守った。





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