第5話 涙の理由

 飛んでくる好奇の目に無関心を装いながら社屋を出て。

 人いきれの中、少し蒸し暑い歩道を、白石さんと肩を並べて歩く。


「急にお誘いしてすみません」


「いいえ。どうせ暇でしたから」


 正確に言えば、やりたいことはあったのだけれど、ここではよしとしよう。

 白石さんと過ごす非日常の方が、やはり大事だ。


 それにしても、やっぱり綺麗だなと思う。

 

 容姿端麗の言葉がそのままあてはまるし、笑うたびに花びらが舞うような錯覚に襲われる。

 昨夜は涙目だったのでそこまでは感じなかったけれど、少し子供っぽさが残る笑顔がとても可愛い。

 入社2年目にして、社内でも有名人になるのも、納得してしまう。


「どこにいきましょうか。高坂さん?」


「どこでもいいですけど。白石さんのお好きなところで。俺、食べられない物ないですから。あ、油っこすぎる豚の角煮だけは、ちょっと苦手ですけど」


「ふふっ。それ以外だったら、何でも大丈夫なんですね? じゃあ……天ぷら屋さんなんかどうですか?」


「ああ、いいですねえ。俺、衣好きなんですよ。天ぷらとか唐揚げとか、衣だけでも食べられますから」


「え、本当ですか?」


「はい。たまに天かすを買って来て、お酒のつまみにする時がありますから」


「ええ~~? 本当ですか?」


「もちろん、白石さんにはオススメはしませんけどね」


 俺はあまり家事が得意ではなく、いつもは外食か、何かを買って帰る生活だ。

 うどんに入れる天かすが余ったのでそのまま食べると、意外と美味かったのだ。


 それから、お互いの仕事の様子とかの雑談を重ねながら、白石さんが知っている店に向かう。


「もう一年以上会社にいますけど、私達って、全然会ってませんよね?」


「そうですね。俺は一日の半分くらいは実験室にいるので、他の部署の人とは、あんまり会わないんですよ」


「何かの実験ですか?」


「キッチンで使う物の開発ですよ。浄水器とか、炊飯器とか。他にも、色んな解析の依頼を受けることもあります」


「……難しいお仕事、されているんですね」


「ですかね。そう言う白石さんも、営業と役員秘書室兼務って、大変じゃないですか?」


「そうですね…… でも、やれる内に色々やっておいた方が、いいかなって思うんです。これもチャンスかなって」


「ポジティブですね。そういうの、いいと思います」


「ありがとうございます!」


 そうしてまた、花が綻ぶような笑顔を見せてくれる。

 

 俺と喋ってて、楽しいのか……

 いやいや、多分俺に気を使ってくれているんだ。

 きっと彼女は、それができる人だ。自惚れてはいけない。


「あ、ここです」


 彼女が指さす直ぐ先には、白木の引き戸に青い暖簾がかかった、一見敷居が高そうな店があった。


「ここ、安くて美味しいんです」


「そうですか、いいお店っぽいですね」


 彼女が引き戸を開けると、「はい、いらっしゃい~!」と景気のいい声が飛んできた。


 和装の女の人にカウンター席に通されて、目の前におしぼりが置かれた。


「飲まれますよね? 何がいいですか?」


「じゃあ、とりあえずビールで」


  瓶ビールとコップ二つをお願いして、壁に架かったお品書きに目を向ける。

 おつまみに、天ぷら単品、おススメ10種なんてのもあるな。


「お好きなの、頼んで下さい」


「じゃあ色々食べたいから、おススメ10種で。あと、しいたけポン酢を」


 コクンと頷くと、白石さんは同じセット二つとしいたけポン酢を、カウンターの向こうの板前さんにオーダーを入れた。

 運ばれて来た生ビールをお互いに注ぎあい、コップをこつんとあててぐっと煽る。


 ―― 美味い、この一杯はやっぱり最高だなあ。


 あれ? 白石さん、もう空っぽだ。

 結構、お酒がいける口かな?

 ビール瓶を拾い上げて、彼女の方に差し出した。


「はい、どうぞ」


「あ、ありがとうございます」


 彼女のコップを黄金の液体で満たすと、また美味しそうに、喉をコクコクと鳴らす。

 それを見て、もう一本、追加オーダーを入れた。


「はい、どうぞお!」


 威勢のいい掛け声とともに、お願いした料理が、カウンターの上に並べられていく。


 天ぷらは白身魚から。

 塩か天つゆか、どちらで食べようかと悩んでから、まずは塩から。

 からっと上がった衣の中に、ほろほろと解けるような食感とほのかな甘み。

 熱々の舌の上に、冷えたビールを流し込む。


「美味いですね、白石さん」


「良かったです、そう言ってもらえると」


 嬉しそうに、同じ天ぷらを口に運ぶ白石さん。

 

 ビール瓶がいくつか空になってから、少し頬が赤らんだ白石さんが、口を開いた。


「あの、昨日は、すみませんでした」


「いえ、特には……」


 ―― もう、初対面でもないのかな。なら、訊いてみてもいいかな。


「あの映画に、よほど感動したんですね?」


「…………」


 返事が無い。やっぱり、突っ込んだ質問は、良くなかったのかな?

 彼女は少し俯いて、考え事をしているようだ。


 少し後悔しながらそのまま待っていると、小さくて綺麗な声が聞こえてきた。


「それもあるんですけど、他にも理由があって……」


「理由……ですか?」


「あの映画、私が知っている人が出ているんです。脇役ですけれど」


「……知っている人……?」


 そこからまた、静かな時間が、二人の間に流れる。


 誰だろう? 気になるな。

 訊いてもいいよな、これ……

 気持ちを落ち着けてから、問いを投げ掛ける。


「その人、誰なんですか?」


「……私が昔、付き合っていた人なんです」


 そうか…… その人の事を思い出して。

 リバイバルシネマには、色々な思い出が詰まっている。俺もそうだったし。

 多分、いやきっと、彼女はその人のことを、まだ忘れていないんだ。


 これ以上訊いてもいいのかなと迷いながらも、思ったことを口にしてみることにした。


「好きだったんですね、その人のこと? そして、きっと今でも」


「……はい。今も、忘れていません。でも、忘れようと、努力はしています」


「もう、会えないんですか?」


 そう言葉にすると、彼女はくすんだ瞳を、こちらに向けた。


「はい……もう、亡くなってしまいましたから」



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