第4話 定時後のお誘い

『こんにちは。昨日はありがとうございました。同じ会社だったんですね』


 白石さんからのメッセージには、そうあった。

 やはりそうだ、彼女は、昨夜ナイトシアターにいた白石さんだった。


 これだけの偶然が重なると、神様何なんだよと思ってしまうけど、今はこれが現実。


 実は彼女とは、同じ会社にいて、同じマンションに住んでいて。

 でもそれだけだときっと、何の接点もないまま、ただ月日が過ぎていっただろう。

 それが、昨日の映画館での出来事があって、全部が繋がって、今こうして話をしている。


 けど、落ち着いて考えると、結局はそれだけのことなのだ。

 同じ会社に勤めていて、近くに住んでいる同僚。

 顔を見知っていれば、話くらいはするだろう。

 特別なことは何もない。


 俺の日常は、何も変わってはいないのだ、うん。


『そうですね、今まで気づきませんでした。これからどうぞよろしくお願いします』


 ビジネスライクな文面だけを返して、また仕事に没頭する。

 するとまたメッセージがあって、


『こちらこそよろしくお願いします。ところで、どこかでお時間ありませんか?』


 お時間?

 はて? 何か仕事でやからしただろうか?

 営業や役員秘書室から呼び出しを受けるようなことは、何もないはずだけど。


『急ぎなら、今日の16時以降なら空いています』


 そう返して、また報告資料作りに邁進する。すると、


『じゃあ、18時からでいかがですか?』


 え、18時? 残業しろってことか?

 今日はさっと帰って、Xtubeで生配信される、映画の主題歌特集が見たいのだけれど。


『あの、できたら、定時時間内の方がありがたいのですけれど』


『え? フレックス退社されるんですか?』


 フレックス? いや、そんなつもりはないけど。 

 何だろうこれ? ちょっと噛み合っていないような。


『いいえ、定時退社の予定です』


『でしたら、18時からお時間いかがですか? 一緒にご飯でもどうかなと思いまして』


 ―― え?

 これ、仕事のアポじゃないの?


 18時からご飯…… 多分、違うよな……

 一体、どういうことなんだろう?


 頭が混乱してきたぞ。


『あの、それって、白石さんと二人でってことですか?』


『はい、もしお嫌じゃなかったら、ですけど』


 う~ん…… これは、かなりのイレギュラーだ。

 そもそもこの会社に入ってから、女子社員と二人で飯にいくような非日常イベントは、皆無だった。

 せいぜい、山県と一緒に、気が乗らない飲み会に参加して、二次会の後に一緒に駅まで歩いたくらいだ。

 もちろん、そこでさよならをして、それからは何も無い。


 別にお嫌じゃあないけど、何でだろう?

 昨日のことを、気にしてくれているのかな。だとしたら、


『昨日のことを気にしてくれているのなら、お気遣いは無用ですよ』


 これでいいだろう。彼女のような有能で人気のある女性の時間を、無駄に浪費させるのも忍びない。


『あの、昨日のお詫びもあるんですけど、あまりお話できなかったから、良かったらと思って。お忙しかったら、今日じゃなくてまた別の日にでもどうですか?』


 お話、ね……

 あまり俺に、話術を求められても困るのだけどな。

 何か面白いこと喋ったかな、昨日? 特に思い当たらないけれど。

 彼女は何を話したいのだろう?


 でもまあ、これから会社で一緒にやっていくかも知れないし、ご近所さんでもあるんだよな。

 ここは挨拶がわりに、大人しく言うことを聞いておいた方がいいかも知れない。


『分かりました。じゃあ今日の18時で』


『ありがとうございます! じゃあ、一階の正面玄関のところで待っていますね?』


 一階の正面玄関、うちの会社の待ち合わせでは、よく使われる。

 大抵は仲間内や部署での飲み会とかが多いけど、社内恋愛を公然として憚らない面々の逢瀬にも、しばしば使われている。


 何だか目立ちそうだけど、まあいいか。

 別にこそこそと隠れないといけないことはない。

 ただ一緒に飯を食って、話すだけなのだ。


『分かりました。よろしくお願いします』


『楽しみにしています!』


 仕方ない、今日のXtubeは諦めよう。

 一回限りとはいえ、これだけの非日常、そうそうあるものではないのだし。


 そう考えると、少し仕事にも力が湧いて、作業がいつもよりも捗り、定時前に余裕で予定をこなした。


 すると、山県が爽やかな笑顔でやって来て、


「よう高坂、今日の夜って暇か?」


「いや、暇じゃない」


「そうか、残念だな。総務部の女の子達と飲みに行くから、一緒にどうかなって思ったんだけどな」


「すまん。今日は先約があるんだ」


 俺と山県とのそんなやり取りに、山県の机の対面に座っていた女子社員が声を上げた。


「山県さん、また飲み会ですかあ?」


「ああ、そうだけど?」


「いつになったら私も、ご飯連れて行ってくれるんですかあ?」


「ああ、悪い、また今度な。それにお前、俺が頼んだレポート、まだ書いてないだろ?」


「まだだけど、明日やりますよ~だ」


 山県に断られてふくれっ面の彼女は、木根塚秀美、今年の新入社員のリケジョだ。

 ショートヘアにくりくりの瞳で、スタイルも悪く無く、男子社員の注目度も高い。


 山県はそんな彼女のメンター、つまり指導係を仰せつかっている。

 普通の仕事に加えてそこまで任されるのは、山県への信任の厚さ故だろう。

 たまに、中々思い通りに動いてくれないと、愚痴を聞かされているけれど。


 午後五時半、パソコンの電源をオフにして、早々にオフィスから退出して、休憩室へ。

 帰り際に上司につかまったりしないように覚えた、自衛手段だ。

 普段なら別に気にはしないけど、今日のように約束がある日に限って…… にならないように。


 それから、約束の時間の少し前に一階のロビーに足を運ぶと、


 ―― いた、白石さんだ。


 帰宅を急いだり、誰かと待ち合わせをする面々が居並ぶ中でも、直ぐに分った。

 遠目からでも、何だか輝いて見えるのだ。


 深呼吸を一つしてから、彼女の方へと足を向けた。


 俺に気づくと、彼女は華が咲いたような笑顔を垣間見せて、白くて小さな手を軽く振った。


「高坂さん、こんばんは!」


「どうも、白石さん。こんばんは」


「すみません。急に。じゃあ行きましょうか?」


「はい」


 二人で外へ向かって歩き出そうとすると、通行人や周りで待ち合わせをしていた人たちに、一斉に視線を向けられた。


 ―― 白石さん、やっぱり目立つんだな。

 山県の情報によると、社内では有名人みたいだし。


 そんな彼女の脇に立っているのが、何だか申し訳なくはあるけれど。

 

 ただ今日一日、同僚として一緒に飯を食うだけ。

 そう自分に言い聞かせて、背中を丸めながら、彼女の後に続いた。



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