第5話

「…ーい、おーい、」

トントンと肩を叩かれて意識が浮上する。あたりは真っ暗で、車の中は少し寒い。

「着いたよー、ほら」

「ん…」

ボーッとした頭でしゃがんだ先輩の背中にまたがる。

「冷たくなっちゃったな。サッとシャワーで流すか」

「ん…」

靴を脱がされて、風呂場に連れて行かれて、服を脱がされて。温められたお湯を優しく下半身にあてられて、すごく気持ちよくて思わず目を細めてしまった。


「っひゃ、拭くぐらい、自分で、」

「俺がやった方が早いでしょ?ほら足開いてー」

「っ、ンッ、」

ふかふかのタオルで拭われて、先輩の少し大きめの下着、パジャマまで着替えさせられてしまう。全てされるがままで、何もしていないはずなのに、確実に体力は消耗されている。

「冷たーいお茶飲もーね」

子供みたいに抱っこされて、フワフワと頭を撫でられて。心なしか口調も丸い。

「その前におしっこ行っとこうか」

俺が成人男性だということを先輩は忘れてしまったのではないか。何も要求していないのに、下を脱がされて便器に座らされる。

「せんぱい、俺さっき…ぁ…」

ぢょろっ…じょおおおお…

(言ったそばから俺は…)

「しんどい時は気付きにくいからね。お腹の中空っぽにしちゃおう?」

「っ、んっ、」

さっき漏らして1時間も経っていないのに、こんな量の液体、どこに仕舞われていたんだろう。じょおおお…という音が長い。

「終わり…ました…」

「ん、よく出来ました」

また頭を撫でられて、服を着せられて。

「ズボンぐらいできるのに…」

「風邪の時は甘えとけばいいの。お粥食べれそう?」

「お腹すいてないから、いいです…」

「少しでいいから食べよ?薬飲めなくなっちゃう」

着替えとか、ご飯を作ってもらうのとか。怒られないのとか。

「弟さんにも、こうやって…?」

これは普通のことなのか、そう聞きたかったけどどう言えばいいか分からなくて。

「ん?そーだなー、親が共働きだからさ。まあ俺も学校あったし、一日中ついてやれたわけではないけどな」

 そういうことが聞きたいのではない。何でその弟は学校を休めるのだろう。もし、家に居たとして、何故そんなに優しくしてもらえるのだろう。お粥なんて作ってもらった記憶がない。いつものメニューで、食べなかったら怒られて、でも無理矢理食べて吐いてしまったらもったいないと殴られて。

 俺の家が少しおかしいのは薄々気付いていた。何で早退した子は親におんぶしてもらっているんだろう、荷物を持ってもらっているんだろうって。自分はどれだけ辛くても我慢しているのにって。昔のことなのに、考え始めたらぐるぐるとそればっかり考えてしまう。

「佐倉ー、お粥出来たけど…」

「ぁ…はい…」

「眠い?」

「いえ…ぼーっとしてました…」

「食べれそう?少しだけでも良いから」

「いただきます…」

柔らかく煮込まれた米から出る湯気は優しくて、火照った顔をふわりと包む。

味は薄くてほとんどわからないのに、次々に口に入れてしまう。

「おいしい…」

「ほんと?よかったぁ…」

「あんしん…する…」

「そっか。お袋の味ってやつかな。佐倉はあった?そういうの」

「あー…そうですね…俺も、そんな感じです…」

言って、泣きそうになった。それに、胸の中がぐちゃぐちゃ。何故か寂しくて、紛らわせるためにお粥を次々に口に入れた。

「ごちそう、さまでした」

「全部食べれたんだ、えらいえらい。あとは薬飲める?」

「のめます、ありがとうございます、」

「ん、どーぞ」

たった2粒の錠剤を飲み込むだけで、また頭を撫でられて、敷いて貰った布団に寝かせられて、冷えピタを貼ってもらう。

「ここにお水とスポドリね。気持ち悪くなっちゃったらこの洗面器使って。あとトイレとか何かあったら電話。オッケー?」

「はい…」

「ん。俺シャワー浴びたりしてうるさいかもだけどごめんな?んじゃあ、お大事に」

電気を消されてドアが閉められる。寝返りの音が響くくらいに、この部屋は静かだ。

「っ、っ゛…っひ、」

ぼろぼろと涙が枕に染み込む。何の涙なのかは自分でもわからない。止まってほしくて何度も何度も目を擦るけど意味なく袖がべしゃべしゃに濡れるだけ。

 遠くでシャワーの音が聞こえてまた、泣きたくなって、先輩の手の感触がやけに頭に浮かんで。


(何で…俺の母親は…)

こんな風に心配してくれなかったんだろう。

優しく頭を撫でてくれなかったんだろう。



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