変態パンツ仮面、現る。
夕藤さわな
第1話
――クロ、見つかったよ。
母親から送られてきた写真を見た瞬間――。
「……っ、ぶは……っ!」
ここが職場で、今が就業時間中で、まわりには上司やら先輩やら同僚やらがいるということもすっかり忘れて私は涙を流しながらふき出した。
スマホの画面いっぱいに表示されたのは真っ赤な女性物――というか私の勝負パンツを頭から被った黒猫の写真だ。
足を通す穴からは三角の耳と半開きの目が見えている。私のおしりを隠すはずの布部分はクロの鼻と口を隠している。
クロの鼻と口がちょっと透けて見えるほどに薄くて真っ赤な生地に、ひらひらとたくさんついたレース。薄目を開けて口を半開きにしたクロの表情とあいまってかなり変態チックだ。
「どうして……っ、こうなった……!」
周囲の白い目から逃げるように廊下へと飛び出した私は笑いすぎで息も絶え絶えな状態でそう呟いたのだった。
***
――クロがいなくなったかも。
ことの発端は母親からのメールだった。買い物に行って帰ってきたらクロの姿が見当たらないというのだ。
クロはビビりで人懐っこくて目立ちたがり屋のかまってちゃんだ。
誰かが帰ってくると必ず玄関まで迎えに来る。年を取って玄関まで行くのが億劫になるとリビングの目立つところで寝て待つようになった。
ダイニングテーブルの上、ソファの背もたれの上、テレビ台に置かれたリモコンの上。キッチンのまな板の上で寝ていたこともあった。
「あら~、今夜はクロの活け造りね」
母親に笑顔でそう言われてからは二度と乗らなくなったけれど。
とにかく、クロはいつも人の目につきやすいリビングのどこかに寝転がって下僕たちが帰ってくるのを待っている。でも今日、母親が買い物から帰ってくるとリビングのどこにもクロの姿がなかった。
今朝早く、クロはけいれんを起こした。年も年だ。危ないかもしれない。それもあって母親は大慌てで私にメッセージを送ってきたのだ。
――お風呂場は?
――いない。
――ゴミ箱の中とか仏壇の脇とか。あと洗濯かごの中とかは? タオルに足を取られて出れなくなってたことがあったじゃん。
――どこもいない。外に出ちゃったのかな?
――いや、ないでしょ。
子猫の頃に我が家にやってきて以来、家の外に出たことは一度もない。下僕たちが靴を脱いで過ごすスペースだけが自分のテリトリーだと思っているらしい。たったの一段、靴を脱ぐためのたたきにも下りようとしない。
お気に入りの鈴入り布製ボールが転がってたたきに落ちてしまっても、のぞきこんでうろうろおろおろした挙げ句、リビングに戻ってきてニャーニャーと騒ぎ出す。
――ボールが落ちた。取って来い。
クロ様の下僕は従順で優秀なので速やかにたたきからクロ様お気に入りの鈴入り布製ボールを回収し、リビングで待つクロ様の元にお届けにあがる。その役目をおおせつかるのは大抵、父親だ。
抱きかかえてたたきに下ろそうと試みたこともあったけれど、シャーシャー言って肩にしがみつき、断固として足をつけようとはしなかった。
外に出ることはもちろん、たたきに下りることすらあり得ない。
私はパソコンを睨みつけて腕組みをした。プレゼン用の資料を考えていると見せかけて頭の中では我が家の間取り図を広げている。母親が探し終えた場所には赤いバツマークが付けてある。
――一応、二階も探してみて。
しばらく考えて、そう返信した。
若い頃は階段を駆け上がっては駆け降り、段差を踏み外して転げ落ちたかと思うとリビングを走り回って、また階段を駆け上がろうとして段差につまずいて顔面をぶつけるという元気で何よりだけど猫のわりに運動神経悪くない? と言いたくなる感じの暴れ方をしていた。
でも、ここ何年かは二階にいるところも階段をのぼるところも見かけなかった。
年を取って階段をのぼることはできても下りることができなくなり、そのうちにのぼることもしなくなったのだ。
だから、二階は捜索範囲に入れていなかったのだけど。
そして、しばらくして母親から送られてきたのが冒頭のメッセージと画像というわけである。
***
――どこにいたの。
――あんたのベッドの中。
――パンツ被って?
――そう。つややかな黒い毛にはやっぱり赤が似合うわね!
いや、〝似合うわね!〟じゃないし。
職場の廊下のすみにうずくまって私は肩を震わせた。
――クロは変態なの? 変態なの!?
――洗濯済みだからセーフ、セーフ。
セーフじゃねぇよ、アウトだよ!
心の中でツッコミを入れて目頭を指でもみほぐす。
「よし!」
気合を入れて私は仕事へと戻った。
定時まであと一時間を切っている。さっさと作業を終わらせて今日は定時のチャイムと同時に帰るのだ。
***
「そのままにしてあるわよ」
家に帰るなり母親にそう言われた。なぜ胸を張って言うのか。私は呆れ顔で母親を
段ボール箱の中にはクロのお気に入りボロボロタオルが敷かれていた。バスタオルの上には私の真っ赤な勝負パンツを被ったままのクロが横たわっていた。
「いや、外しなよ。ていうか外すからね!」
「クロが気に入ってるんだからそのままにしておいてあげたらいいじゃない。お父さんにも見せたいし」
「いやいやいや!」
全力で首を横に振る私をチラッと見て母親はすぐに手元のフライパンを睨みつけた。
「もう! そんなにいやなら外したら!?」
なんで私がわがまま言ってる風になってるんだろうか。
外すだろ? 普通、見つけてすぐに外すし、娘の勝負パンツを父親に見せようだなんて思わないだろ!?
「お父さんには写真送ってあるもの。別に外したってかまわないわよ!」
ぷりぷりと怒りながら言い放つ母親にひざから崩れ落ちそうになる。
なぜ娘の勝負パンツを被った飼い猫の写真を父親に送り付けたのか。娘の勝負パンツを見せられる父親の方だって災難だ。気まずい気分で帰ってきて、気まずい気分でソファのすみっこに腰かけて、気まずい気分で私に天気の話とかどうでもいい話を振ってくるに違いない。かわいそうすぎる。
ハハ……と乾いた声で笑って私はそっとクロの頭を持ち上げてパンツを外した。
変態パンツ仮面からようやくいつものクロに戻る。
クロの額を撫でるとひんやりと冷たい。マシュマロみたいに柔らかかったお腹も、もう固くなっている。
「なんで私のパンツなんか被ったんだ、こいつ」
「クロはあんたのことが大好きだったからね。あんたの匂いがする物に頭をつっこんだのよ、きっと」
ベッドの足元にはその日、母親が取り込んだ洗濯物が置いてある。仕事から帰ってきたあと、自分で畳んで押し入れにしまうのが我が家のルールだ。
その洗濯物の中に頭をつっこんでクロは死んでいたらしい。
「私の匂いがついてるものなら他にもあったでしょ。タオルとかズボンとかさ。なんで、あえてパンツかね。しかも被ってるかね」
「さぁ。お母さんが知るわけないでしょ。クロに聞きなさい、クロに」
無茶を言う。私は口をへの字にしてクロの鼻先をつついた。
「もうちょっとさ、人様にお見せできるようなもんに頭をつっこんどけよ」
クロは薄目を開けて口を半開きにした間抜けな顔で黙秘をつらぬいている。変態パンツ仮面に変身した理由は謎のまま。事件は完全に迷宮入りだ。
と――。
玄関の開く音がした。
「あ、ただい……ま」
父親がリビングに顔を出した。予想通り、ものすごく気まずそうな顔をしている。
「……」
ソファのすみっこに小さくなって腰かけるとクロが横たわっている段ボール箱をのぞき込み、ちらっと私の顔を見て、また段ボール箱をのぞきこみ――。
「今日は……折りたたみ傘を持っていて正解な天気だったな」
再び私の顔を見るとぎこちない笑みを浮かべた。私は父親にくるりと背中を向けると台所に立つ母親に向かって全力で怒鳴った。
「お母さん! ほんと、お父さんに謝って!」
「なんでよ!?」
***
翌日――。
「それでは、クロちゃんを棺に納めさせていただきますね」
動物葬儀センターのスタッフさんが静かに微笑んで軽く頭を下げた。父親と同い年くらいのおじさんだ。そのおじさんが段ボール箱からそっとクロの体を抱えあげた瞬間、ハラリと赤い布が床に落ちた。
「これ、棺にいっしょに入れたいんですけどいいですか」
目に涙をにじませた母親が床から拾い上げ、広げて見せたのはひらひらのレースがたくさんついた薄い生地の真っ赤なパンツ。私の勝負パンツだ。
「………………どうぞ」
長い長い間のあと。スタッフのおじさんは微笑みをどうにかこうにか保ったまま、こくりと頷いた。
嗚咽をあげながらクロのお腹に真っ赤な私の勝負パンツを置く母親と、その光景を完璧な微笑みを保ったまま見守るスタッフのおじさんと。
私と父親はあまりの気まずさに何も言えずにうつむいた。
棺に移されたクロは相変わらず、のんきに薄目を開けてポカンと口を半開きにしている。そんなクロの額を私はそっと指でつついた。
「だからさ、もうちょっと人様にお見せできるようなもんに頭をつっこんどけよ」
クロと過ごした時間は十六年。もう十分過ぎるほどの思い出がある。一生忘れられないくらいの思い出がある。
それなのに最後の最後にまでこんな置き土産をしていくなんて――本当にクロ様はビビりで人懐っこくて目立ちたがり屋のかまってちゃんだ。
変態パンツ仮面、現る。 夕藤さわな @sawana
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