7.コインランドリー
ゴウゥン……ゴウゥン……。
誰かが置いていったジャンプをパラパラとめくりながら、尋は乾燥が終わるのを待っている。何年も読んでいなかったので、知っているマンガは2つしかなかった。それらも数年越しでは話の筋がわからず、親しかった友人が自分を置いていってしまったような感じがした。コインランドリーの入口側は全面ガラス戸で、橙色の夕暮れに雑居ビルの影が浮かんでいる。乾燥機に目をやる。衣服がぐるぐると混ぜ返されているのを見るのが、尋は好きだった。なすすべなく、自分の意思とは関係なく、ただ人生の流れのままに翻弄されている自分と重ね合わせているフシもあるが、本人は気づいていない。ジャンプを毎週読んでいた頃、思えばずいぶんと恵まれた生活をしていた。厳しくも優しい父親は生きていたし、母親も父親を尊敬して立てつつ、息子には気さくにいつも冗談を言っているような、普通の家庭だった。一戸建ての前庭には犬小屋があって、ラブラドールレトリバーを飼っていた。そういえば東京では犬小屋を見たことがない。というかもう今は外で犬を飼わない時代なのかもしれない。考えてみれば夏には酷暑、冬には極寒の外で、木材でできた粗末な小屋に〝家族〟を放置しておくことが時代にそぐわないのだろう。幼かった自分だって犬のことを家族だと思っていたが、あたたかいベッドで眠る夜、小屋を打ちつける雨に身を潜める姿を想像することすらなかった。そういった無自覚はきっと犬に対してだけではなく、いろんな場面で積み重なっていた、その報いを自分は受けているのだろうと思っている。父が亡くなる半年くらい前から、母が家にいないことが多くなった。病院に見舞いに行っているのだろうと思っていたし、小学校高学年になった尋は塾に通っており、夕食もコンビニで買ってすますことが多かったので気づかなかった、あの家がもう空っぽだったことに。
ピー、ピー、ピー……
乾燥が終わったことを知らせるブザーが鳴る。しつこく鳴らされるこの音が嫌いで、急いで扉を開けて音を止めた。ポケットティッシュを入れたままだったのか、排気口に塊ができていた。衣類にはほとんどついていない。まだ暖かいロンTや下着などをイケアのショッピングバッグに雑に詰め込むと、排気口のホコリとティッシュだったものの塊をすくってゴミ箱に捨てる。バッグを肩にかけて外に出たところで声をかけられた。
「尋さん!」
振り返ると大上が立っていた。左手に持つ袋には代官山にある本屋の名前が印刷されている。何冊買ったのかずいぶんと大きい。
「おう、何してんの」
「尋さんこそ何してるんですか、こんなとこで」
「コインランドリーから出てきたんだから洗濯してたに決まってんだろ」
「いやいやいやいや、そういうことじゃなくて、尋さんの家、この辺でしたっけ?」
めんどくさいやつに会ってしまったな、と尋は思った。
「友達んとこにいるんだよ、今」
嘘をつくのは自分への負債だと尋は理解している。どうしようもない致命的なこと以外に、嘘をつくことをしない。虚構で満たされた家庭で育った反動かもしれない。
「そうなんすかー! だったら全然ご近所さんじゃないですか」
勝手に尋の歩く方向に並んできて、当たり前のように会話をすすめる。嫌いなわけじゃない。ただ、自分とは決定的に違う空気感に当てられてしまうのだ。
「そうだ、堀部くんの家もわりと近いし、飯でもどうです? 一緒に誘って」
メガネの奥で細く伸びるまなざしが人懐っこさを感じさせる。そういえば堀部にはしばらく会っていない。一時期はよく連絡がきていた。スマホが鳴るとだいたい堀部だった。不思議と不愉快ではなく、筆無精な自分としてはこまめに返事をしていた方だと思う。〝職場〟に来たときには少し戸惑ったが、自分に懐いてくれる存在はこれまでの人生でいなかったので、弟のような親しみを感じていた。
「そうだな、最近会ってないし久しぶりに飯食べんのもいいかもな」
スマホを取り出すと電話をかけた。少しのコール音の後、堀部の声が聞こえる。
「先輩! どうしたんですか!」
自分に全力で身を寄せてくるような、遠慮をかなぐり捨てたような声に尋は心地よさを覚えた。この感情がなんなのか、どういう名称なのかはわからない。
「いや、飯でもどうかなと思って」
「え、いいですね! 行きます! いまどこですか?」
「中目」
「わかりました! チャリで行くんで、たぶん15分もかからないと思うんですけど、駅でいいですか?」
「うーんそうだな、いいよ」
一応、大上の方に目をやる。スマホを手に持ったまま、こちらを見ていた。
「じゃあまた後で!」
「おう」
電話を切ると、ひといき入れて大上が話しかけてくる。
「尋さんって、電話派なんですね」
「なに、電話派って」
「いや、メッセージ送るとかじゃなくて、電話何なんだなって思って」
「だってめんどくさいじゃん、今から飯食おうとしてるのに30分後に返信来ても意味ないだろ」
「まあ、そう言われたらそうですけど……」
駅前のガードパイプに腰掛けて待っていると、自転車を降りて押しながら小走りで近づいてくる人影が視界に入った。堀部だ。少し息が上がった様子の微笑が少しだけ、翳ったような気がした。
「あれ、大上さんもいたんですね」
ぐっと口角を上げた笑顔で堀部が言う。大上は立ち上がると無垢な喜びを体全体から溢れさせるように堀部に近づく。
「さっき偶然尋さんに会ってさあ、コインランドリーの前で」
尋と堀部の間に大上が入る形で歩き始める。前を向いて楽しげに話をする大上越しに、堀部と目が合った。
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