第10話

「クローバーの君……」


「リオンと」


 彼は愛おしむように頬を撫でてくれた。


 胸の中で何度もその名を確かめるように呼んでみた。


 それと同時に胸の奥に痛みを感じた。


 どうして……、お父様を恨みたくはないけれど。


 あの頃、もし、彼と時間を重ねていけたなら、もっと違っていたかもしれない。


 病床にだって励ましに行きたかった。


 そうすれば、きっと。


 その時、彼がふらついた。


「すまない。少し休ませてくれ。流石に強行軍だったから」


「ご、ごめんなさい」


 体を離して彼を見上げると顔色も酷く悪かった。


 申し訳なさそうに寝台に横たわった。直に寝息を立てて眠りに就いたことが分かった。


 心配でその寝顔を見つめていた。


 領民らからハンサムだと言われているお父様を見慣れていたつもりだったけれど彼はそれ以上の容貌だと感じた。


 彼の顔に小さな頃の面影を探してみるが、幼さの残っていた無邪気な微笑みを浮かべていた彼と今の自分を冷たく嘲笑うかのような彼ではとても同じ人物とは思えなかった。


 会えなかった間に彼に何があったのだろうか? そして、国王陛下の庶子とは本当なのだろうか?


 それに彼には自分以外に婚約した人がいるの?


 ピーター様が聞いて来た女性が……。


 だから私とは愛人契約と。そう思いつつ、セーラローズは思わず両手で顔を覆ってしまった。こんなことはお父様には言えない。


 彼は最初から自分をそう扱うといったではないか。


 悩んだ末に、今だけのことだと、忘れてしまおうと自分に言い聞かせた。


 知らず知らずのうちにその頬を流れ落ちていたものが冷たいものに変わっていった。


 そう思い始めると身体に震えが走った。


 部屋に戻ろうかと思ったけれどそのまま彼の寝顔を眺めながらうとうととしてしまった。



 

 朝のお茶とともに執事が寝室に入ってきて、咳払いで目を覚ました。どうやらあのまま寝台の傍らで眠ってしまったようだった。

 

 気まずくて顔を上げられない。婚約も未だの男女が一夜を共にしたなんて、事実がどうあれ十分醜聞になってしまう。部屋に戻れば良かった。


「……もう朝か、もう少し眠らせてくれ。とんでもない強行軍だったのだ」


「……こほん、本来、私どもは主のすることには口を挟めませんが、父君がお亡くなりになって誰も貴方を諌めるものがおりませんので言わせていただきますよ。坊ちゃま。あまり不品行なことは慎むべきです。どちらもお名を落としますよ」


「は? 何を言って……」


 訳が分からない様子でリオンは顔を上げると私を見つけ思い出した様子だった。


「まさか、あのままここで……」


「ごほん。えほん。私は何も見ておりませんし、聞いておりませんぞ。ご令嬢。お部屋にお戻りを……」


「あ、はい。すみません」


 慌てて転びそうになりながら、部屋を出ようとした。執事とすれ違いざまにぼそりと呟かれた言葉が耳に残った。


「まったく。坊ちゃまの気が知れない……」


 もう自分は結婚はできないかもしれない。こんなことになってしまって。


 お父様に顔向けができないわ。


 なんてことをしてしまったのか、彼はもうあの頃の彼ではないのに。


 婚約者がいるのに自分を愛人などと言う立場におとしめるような人間になっていたのだ。


 そう思うと思わずぽろりと光の滴が零れ落ちたていた。


 わずかに肩を震わせて嗚咽をどうにか堪えると部屋まで戻った。


 まだ、昨日の老女が来てくれていて今日も素敵なドレスを用意してくれて着つけてくれた。


 今日は薄紫の薔薇の小花を散らせたドレスだった。


 昨日のものに負けずそれも趣味も仕立ても良く、自分にとても似合っていた。


 まるで私に誂えたよう。その方は私に似ているのかもしれないわね。


 私はふと部屋のワードローブに目をやった。


 たくさんの色とりどりの美しいドレスを見て、きっとリオン様が婚約者のために用意したものでしょうね。


 そんなものを自分などが袖を通していいのでしょうか? 


 私怖くて尋ねることもできず、そっと気づかれないようにため息を吐き出した。


 老女は私を労わるように優しく接してくれていた。



 食卓に案内されるとリオン様は既に待っていてくださり、ますます恐縮するばかりだった。


 リオン様は冷たい眼差しと口調で、


「今日は、私は王宮に行っている。君は好きに過ごすがいい。伯爵が迎えに来

るまでだが……」


 私は恥ずかしくて、顔を上げられなかった。


「はい。リオン様のご恩情に感謝いたします」


 食事は喉に通りそうになかったけれど美味しそうな焼きたてのパンの香りと温かくて良い匂いのするスープは食べることができた。


 リオン様が出かけられるので、お父様と同じように玄関までお見送りをした。


「お気をつけていってらっしゃいませ」


「ああ」


 そっけない様子だけどお父様を助けてくださった恩がある。お父様が迎えに来てくださるまでここで滞在させてくださるだけでもありがたいと思わなくては。


 私は広い館で図書室を見つけ、いろいろと手に取り読んでみようとしたけれど寝不足の頭には入ってこず、気がつけば寝入っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

薔薇の淑女と四葉の王子様 えとう蜜夏☆コミカライズ傷痕王子妃 @135-etokai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ