第5話

 峠を越えると眼下には王都の街並みが見えた。


「ああ、お祖父様、お父様」


 ただその言葉しか出てこなかった。


 王都に入り、幌馬車をピーター様の馴染みの宿屋に預けると身支度もそこそこに祖父の王都での別邸であるブランシュタット侯爵家へと向かった。


 流石に幌馬車にぼろぼろの姿で高位貴族であるブランシュタット侯爵家に直接訪れる訳にはいかなかった。


 豪華なドレスというまではいかないけれど、執事は自分のことを憶えているだろうし、祖父も訪ねて来てくれた時に楽な格好をしていたので大丈夫だろう。


 逸る気持ちでつい小走りになっていた。だけど懐かしい祖父の家の門は鎖で閉められていた。


「そんな! どうして?」


「これは……」


 人のいる気配も感じられなかった。いつも年老いた執事が穏やかに迎えてくれていたのに。


 私は思わずブランシュタット侯爵家の門を揺すっていた。


 主である祖父が領地に帰っていても、使用人やその館の管理人が必ず常駐している。


 祖父ほどの地位のある人の館が空になることはまずない。


 それにまるで罪を犯した家のように鎖で閉じられた門など。


「そこの坊主。何をしている!」


「いけない。憲兵だ。セーラローズ様。一度ここから逃げましょう」


 ピーター様の声にも身体が反応しなかった。


「だって……」


 逃げないといけない気がするけれど、どうしても足は動かなかった。


 ――だって、お祖父様のところに来ればお父様を助けてくださると。お父様だって手紙を用意してあったのに。お祖父様にも何かあったのなら私はどうすれば……。


 憲兵達は不審に思ったのか、私達の方へ近寄ってこようとした。


『おおい。こっちでスリだ! 誰か来てくれ!』


 その叫び声で憲兵達の足が止まった。


「ちっ、お前達、ここで待ってろよ」


 憲兵らはそう言うとスリだと声が上がったほうに走り去っていった。


「今のうちに逃げろ。こっちだ! 急げ!」


 ピーター様が私を引っ張り、やっと私は駆け出すことができた。


 王都の裏通りを声の主とピーター様とで走り抜けた。どこをどう通ったのかまるで分からなかった。


 やっと足を止めて助けてくれた声の主を見上げると、あの見覚えのある仮面を付けた銀髪の青年が私達の前にいた。


 もしかしてあの峠からついてきたのだとしたら……。


 しまったと思ったもののくらりと眩暈がして視界が暗転してしまった。


「セー……」


 驚くピーター様の声と憎しみと何故か悲しみを湛えたグレイの瞳と眼が合った気がした。




 額に冷たいものを感じて目を覚ますと自分を覗き込むピーター様の心配な顔が見えた。


「ピーター……」


「よかった。貧血を起こしていただけのようだ」


 ピーター様はほっとした様子で話しかけてきた。私は一瞬自分が何をしなければならなかったのかも忘れていた。


「お目覚めの様だな。エクレールの娘」


 その声は、あの男の声だった。頭を上げると流れ落ちた金髪は隠しようもなかった。


 どこかで帽子を落としたようだった。


 私はゆっくりと瞳だけでその声の主を探した。


 エクレールとは家の名だった。ピーター様が不用意に教えるはずはない。それを知っているということは……、


「なぜ私のことをご存じなのですか? 父の知り合いの方ですか?」


「ふっ、君は母君に良く似てきたな」


 仮面を取った青年は冴え凍るような銀髪とグレイの瞳の美貌の持ち主だった。


 そして、初めて会った時から彼は何故か自分に憎しみの籠ったような瞳で睨まれている気がする。


 彼は敵なの、味方なの?


 ここでこうしてピーター様といるということは助けられたのかもしれないけれど……。


「それで何があったのだ? 君の父君、……あの男が、君を一人でこんなところまで出すことなどよっぽどのことだろう」


 そう聞かれても彼が敵か味方か分からない状態では何も話す訳にはいかないわ。


「助けていただいてありがとうございました。閣下(ムッシュ)?」


 つける敬称が分からなかったが、今の服装といいこの部屋の調度品を見るとそれ相応の身分であることぐらいは分る。だから油断はできなかった。


 彼が監査官と名乗った貴族とグルだったら、逃れたと思ったら敵の中だったとかになりかねない。


「……私はリオン・ソール・ド・ノワイエ・フォレ」


 その名前にピーターの方が反応し、私に耳打ちしてきた。


「セーラローズ。大公閣下(ル・デュック)です。そして彼がここまであなたを運んできてくれました」


「大……」


 こんな若者がそんな地位にいるというのは聞いていなかった。


 伯爵家は王都から距離もあるし、お父様はあまり社交がお好きではなかったから。


 ……私は改めて青年を見た。


「あの、助けていただいて、ありがとうございました。私は……」


 そう言ってふらつく身体を寝台から起き上がらせると天蓋の柱につかまって立ち上がった。


 彼は私が名乗るのを手で制した。


 もう既に知っているということなのだろう。


 ピーター様がお教えたのだろうか?


「……それに君の祖父のブランシュタット侯爵は先日すでに反逆者として処分を受けている」


「反逆? まさか!」


 一体どうしてという思いと、お祖父様が……。ではお父様は?


 私は辛うじて立っていたものの支えきれず床に崩れるように座り込んだ。

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