第4話

 王都へ向かう旅はかなりの強行軍だった。


 伯爵家の紋章付きの馬車で行くとすれば、早くても一週間はかかるところ、五日で明日の峠を越えれば王都に着くまでとなった。


「ここで宿をとろう」


「私は大丈夫です。早く行きましょう」


「焦る気持ちも分かるが、無理して山越えは危険だ。獣やどうかすると……。だからこれからの王都の情報も仕入れて、休養もとらないといけない」


「……はい」


 ピーター様の言う通りに麓の町の食堂で食事を済ませ、そこで宿もとり早めに休養にした。


 宿は取らず野宿だったので寝台はとても嬉しかった。宿の窓から町を眺めるとたくさんの人が行き交っていた。


 宿の一階は食堂も兼ねていてやや雑多な雰囲気となっていた。


『峠に盗賊団が出るんだと。気をつけないとな』


『物騒な世の中になったものだ。まあ、うちは護衛を雇っているから心配ない』


『そういえば……、国王陛下もご病気だと』


『……税率も上がって、わしらの生活はどうなるのかねぇ』


『悪くなる一方だ』


 喧騒の中で囁かれる噂話をピーター様と一緒に聞くとはなしに聞いていた。


 五日ぶりの寝台に横になると疲れた体は直ぐに眠りに就いた。


 ――お父様をきっと助けることができますように。




 まだ朝もやの中、先を行く護衛付きの商隊の後ろを私達はのろのろと付いて行った。


「少しは休めたかい?」


「はい。ピーター……も」


 ピーター様は黙って頷いた。


 連日馬車を走らせ、野宿や火の番までなさったのに疲れている感じはなかった。


 盗賊が出るという噂のあった峠は私達だけ危険だったが、幸い王都が近いので商隊や旅人がひっきりなしに通っていた。


 山道の風景にも慣れてきた。私は祈り続けていた。


「後少しで、お祖父様のところに……。きっとお父様を助けてくださるはず」


 ピーター様は緩みなく馬車を走らせていた。



 最初に馬が異変に気がついた。


 次にピーター様が商隊から自分達の幌馬車との距離をゆるゆると空けていった。


 何をと私が問う前に山が振動したように感じた。


 山賊らの雄叫びだと気がついた時には前を行く商隊に襲い掛かっていた。


 馬の蹄の音と悲鳴が交錯して地鳴りのような音に変わる。


 ピーター様はまるで知っていたように木立の間に幌馬車を乗り入れ、私を馬車から引きずり下ろすようにして茂みの中に身を隠した。


『山賊だ!』


 誰かが叫ぶ声が聞こえた。その声にやっと人々も気がつき、逃げ惑う人々で峠は大混乱となった。


 押し倒された馬車から火の手が上がった。


 油でもあったのか瞬く間に燃え上がった。周囲を赤く照らし熱波と燃え盛る焔の音が盗賊の鬨の声と混じる。


 前を行っていた商隊はそれなりの規模で警備もそこそこいたはずだが、それでも盗賊団に押されてしいまっていた。


『助けてくれえぇぇ! 誰か!』


 助けを呼ぶ声についそちらを見遣やると主人らしき人が商品の荷物に取り縋っていた。盗賊もそちらに注目してしまった。


 思わず私は茂みから飛び出していた。


「そんなもの、捨てて逃げなさい!」


 つい力の限りそう叫んでいた。


「セーラローズ! ダメだ!」


 ピーター様の声が聞こえたけれど私の呼びかけで主人とその雇人は荷物を捨てて逃げ出すことにしたようだった。走り去った彼らを幸いなことに山賊らが追いかける様子はなかった。


 ほっとして私はピーター様のいる茂みに戻ろうとした。


「ほう、勇敢な子どももいたものだ」


 よく通る男性の声が私の足を止めた。


 その瞬間、周囲の怒号も耳に入らなかった。


 思わず私はその声の主の方を見遣った。


「子どもじゃありません」


 つい言い返してからしまったと内心冷汗をかいた。


「ほう、山賊が襲ってくるこの中で怖がらないとは、小僧、中々……」


 逃げる間もなくすっと青年は間近に迫っていた。彼の体格は細身だが鍛え上げられていた。


 青年は長くてフード付きの黒いマントに仮面をつけていて顔はよく分からなかったが、フードから零れる見事な銀髪と冷たい光を帯びたグレイの瞳が垣間見えた。


 ――彼は山賊の仲間? それともただの旅人?


 気がつくと青年に手首を掴まれていた。

 

「痛いっ」


 思わぬ力強さによろよろと倒れこみそうになった。


 青年はもう一つの手で私の顎を掴むとぐっと上に向けさせた。


「……その顔に紫の瞳とは、そこらの子どもが持つには許されざる罪(グランクリム)だな」


 見知らぬ青年の声には何故か憎しみが籠っていた。


 掴まれた腕の強さから何か言い知れぬ不安が襲ってきて急いで離れなければと思ったがとても振りほどけそうになかった。


「放してっ!」


 つい声を出してしまったが、それは本来の自分の令嬢の声だった。


 その声が焼け落ちる木々の音や怒号に紛れたことを願った。


 自分の今の顔は泥や煤で汚しているが、こんなところで女性とばれて山賊に誘拐されてしまったら、自分がこれから果たすべきことができなくなることへの恐怖と不安感が今更ながら膨らんできた。


「君は……」


 青年は私の顔をよく見ようと更に身を屈めて覗き込もうとした。


 フードと仮面越しだが青年の貴族的で整っている雰囲気を感じ、私は気がつけば藻掻くのを止めていた。


 青年の息が頬に掛かりそうなほど近づく。


 ……そして、お互いの唇が触れそうな程近づいていた。


「……セー……、兄さんから離れろ!」


「ピーター様!」


 少し離れたところから矢をつがえたピーター様が現れた。


 銀髪の男はゆっくりとした動きで私を放した。


 ピーター様はそれでも油断せず、狙いは定めたままだった。


 私は震える足でピーター様に駆け寄った。


 私の無事を確認するとほっとしたピーター様の狙いはそのままに私を連れてじりじりと後ろに下がった。


 青年は私達を追ってくる様子はなかった。


 身を翻し、駆け足で私達は茂みの奥に隠れ込んだ。


 何とか私達の幌馬車に戻ることができた。


 私達の馬車はみすぼらしくて何も盗られた物はなかったようだった。


 ピーター様は急いで乗り込み、馬を走らせた。


 途中の壊された馬車を越えながら、私はさっきの青年を探そうとしたけれど、疾走する幌馬車からは何も見えなかった。

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