第3話

「何を話しているのだ?」


「ああ、娘はどうやら散歩に出ているようで、探すように言っただけだ」


 そう言ってお父様はドアを閉めた。



 私は受け取った指輪をポケットに入れると馬小屋まで走った。手近の馬に鞍を付けると飛び乗り、町外れのアンリの元へ急いだ。



 そこにアンリの家はあり、彼は昔伯爵家で働いていたが、静かに暮らしたいと申し出て、町外れの墓地の管理などをしていた。


「おや、セーラローズお嬢様。どうされましたか? そんなに息を切らせて」


「はあ、はあ、アンリ、お父様から何か聞いていない?」


「……何かございましたか?」


 アンリは壮年に入ったとはいえまだまだ現役でも十分働けそうなくらいで、その昔、お母様達の駆け落ちの時にも一役買ったと聞いたことがあった。


「分からないわ。ただ、お父様が、じ、……お祖父様に助けをと。いつもと違う監査官が来て……」


 祖父といえば父の方はもう亡くなっている。だからお父様が伯爵家を継いでいるのだ。


 母の方のというか母の後見役であったブランシュタット侯爵様のことだろう。


「……お館様からお預かりしておりました」


 そう言って手紙を取り出した宛先はブランシュタット侯爵になっていた。


 封蝋されているので今は開けることはできない。


 何が書かれているのかは分からないが、は黙って受け取り上着のポケットに入れた。


「それと、ピーター老!」


「はいよ」


 アンリが呼ぶと小さな影が走り寄ってきた。


「まあ、ピーター様! いつこちらに?」


 その人物は深緑のマントを身に着ていた。


 背は私の肩くらいで推定十歳くらいの身長であるが、年齢はよく分からない。


 顔立ちは子どものようだが、瞳は自分の知っている大人の誰よりも老成していた。


 彼は私が初めて見た時のままのであった。


 見た目はずっと変わらない。


 父の幼少の頃から、いやそれよりもっと前から変わらない姿なのかもしれない。


「セーラローズお嬢様。すっかりお母上に似て美人になりましたね」


「ピーター様もお変わりなく」


「服装はそのままで構いませんね。では、お嬢様。急ぎましょう」


 そう言ってアンリは家の奥にあった幌馬車を曳いてきた。ピーター様がその御者台に乗り込んだ。


「セーラローズお嬢様。横にお乗りください」


「はい」


 馬車は操縦したことがないけれど、そう思ったけれど急いでピーター様の横に乗り込んだ。


 そして、手綱を受け取ろうとしたら、ピーター様はそのまま馬を走らせた。


「お嬢様! ピーター老、お気をつけて!」


 アンリは私達に声を掛けると手を振っていた。馬車が物凄い勢いで走り去っていく。声を出すと舌を噛みそうだった。


「え? ピーター様。どうして?」


 揺れる馬車の上では舌を噛みそうだったが、どうにか声を出してピーター様に話しかけた。


「貴族のご令嬢がたった一人で、王都までなんて心配だよ。私は旅慣れている。良かったら一緒に行こう。伯爵には世話になっているし」


「……ありがとうございます」


 思わずピーター様に抱き付いてしまった。


「おっと、危ないですよ」


 そう言いつつも嬉しそうにピーター様は笑っていた。そのお陰で少し落ち着きを取り戻していた。


 アンリが用意していた幌馬車は村はずれから街道を外れ、雑木林の中へと走らせた。


「この道は?」


 私も父に付き添って領内を巡回するが、来たこともない道だった。


「ここは、自由の民が使う道だ」


 けもの道に近いが幌馬車がなんとか通れそうな道だった。


 道も悪く座席から転げ落ちそうになった。


 昼食に馬車を止めたが、慣れない馬車の揺れと気が動転していいて食欲は無かった。


「だめだ。馬も休ませるし、君は食事も取らなければ、先はまだ長いんだ」


 ピーター様にそう言われて、どうにか出されたバケットを果実汁で流し込んだ。とても味わえそうになかった。


 木々の少し開けたところで馬に休息を取らせている間にピーター様は木の枝を拾っていた。


「それは、なんですか?」


「小枝だよ。ここで拾っておく方がいいのだよ。夕方に拾うのでは間に合わないし、煮炊きはともかく夜は火が必要だからね」


 旅慣れているピーター様が一緒に来てくれて良かったとその姿を眺めていた。


 その後もピーター様が馬車を走らせた。


 横から見よう見まねで手綱さばきを憶えていく。


 一日馬を走らせても、まだ、伯爵領は出ていなかった。


 いつ追手がくるかと落ち着かない上に野道での野営は気温が下がるのと獣の襲撃が恐ろしかった。今も狼らしきの遠吠えが聞こえてきていた。


「火の気があるだけで彼らも遠巻きにして寄ってはこない。よほど飢えている時は別として……。さあ、セーラローズお嬢様。少し横になって休みなさい」


 そう言っていつもピーター様が火の番をしていた。


「そんな、ピーター様には馬車まで任せているのに私もするわ」


「……では後で交代してもらおうかな。それとこれからは私のことはピーターと呼んで私の兄として振る舞うように」


「ピ、ピーター……さん」


「困ったことに女性と子どもだと思われると危険なことが多いから、私と君は兄弟として王都へ向かうことにするんだよ。小人族は少数だからね」


「分かりました」


 それから私は幌馬車の中で丸くなって眠った。


 堅い床板の上ではとても眠れたものではなかったが、すぐに寝入ってしまっていた。


 そして明け方近くに揺り起こされた。

「夜明けまでに少し休むので、それまでお願いするよ」


 堅い板の上で眠ったので体が痛んだが、消えかけそうな火の側に座った。


 幌馬車の荷物の中に林檎を見つけたので、ナイフで皮を剥いていた。慣れないので苦労した。


「うーん。そのまま齧るものだけど」


「ピ、ピーター様。もう起きたの」


「弟を呼ぶのに様はいらないねぇ」


 ピーター様は欠伸をしながら、幌馬車から降りてきた。


 そして不格好に切った林檎を私の手から奪うとそのまま齧った。


 気が付けばピーター様は火の後も手早く片付けていた。


「では、行くよ」


「あれで休めたのですか?」


「あはは、こう見えても私の方がお嬢様より、旅慣れているし、とても丈夫だから心配することはないよ。歳は大分上だがね」


「あ、ピーター様もお嬢様って」


「ああ、いけないな」


 くすくすとお互いが笑うと明け方の寒さが少し和らいだ気がした。

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