第2話
儚い、胸の奥が騒めくような夢から目が覚めた。自分を鼓舞するように、
「さあ、今日もがんばりましょう!」
懐かしい過去の夢を見たけれどあれから十年ほど経っていた。
身体の弱かったお母様が亡くなり、あのクローバーの君の母も、クローバーの君も流行病で亡くなった。
身体の弱かったお母様のために伯爵領の中心から離れた静かで小さい館で生活していた。
今は領地の中心の城に戻って、お父様の補佐をして領内の家政を担っていた。
お母様母を溺愛していた父はとても気落ちして何も手に付かなかったので、随分苦労した。
今は落ち着いて領内の統治もできるまでになった。領民にも慕われて領地は今のところ問題が少ない状態だ。
私は城の部屋の窓から領内の緑の田畑と城下の街並みを見下ろした。
女だからとお父様は言わず、引き継ぐのだからと積極的に領内の管理を手伝わせてくれた。
そのため普段は動きやすいように男物の服を着ることも多かった。お父様は息子もいるみたいだ。なんておっしゃっていたけれど。
早速、手早く三つ編みにした蜂蜜色の髪をキャスケットに押し込んだ。
「お嬢様? またですか!」
「ば、ばあや、今日は、倉庫とかの在庫の確認だから……」
ばあやに着つけてもらうと豪華なドレスになるのは分かっているので、早めに起きて自分で服を着ていた。
「せめて、淑女としてコルセットを」
「……」
私はこれ以上怒らせてはいけないと渋々それに従った。
男物のシャツを脱ごうとすると胸元にきらりと朝日を受けてそれは輝いた。
クローバーを模した指輪を通したネックレスだった。
八歳の時のものだからもう指には入らなかった。今はこうしてネックレスに通して身に着けている。
「ふふ、今日は懐かしい夢を見たの」
「そうですか」
ばあやは聞いているか分からない感じで相槌を打ち、手早く私のコルセットを締めた。
食卓に向かうとお父様は食卓に着いていた。
「おはようございます。お父様」
「ああ、おはよう」
朝の挨拶を交わすとお父様が私を見て渋い顔をした。
それにどうも機嫌が悪いようだった。
「お父様、何か?」
「ああ、今日は、客が来る。後でいいからドレスに着替えておきなさい」
「お客様?」
「招かれざる客だ。都から徴税官と監査役がやってくる」
「まあ、急ですね。分かりました」
お母様が亡くなってから、この家の女主人役を任せられるようになっていた。
朝食後、ばあやに着替えを手伝ってもらうおう。
相手のご機嫌取りだからこういう時は精一杯着飾った。
「本当に奥方様に良く似てらっしゃる」
ばあやはご機嫌で私の髪を梳かした。
腰まで届く緩やかに波打つ蜂蜜色の髪はお父様。
お母様譲りのアメジストの瞳。
顔立ちもお母様に似て文句なしの美少女だと思うけど欲を言えばお母様のような銀髪がミステリアスで良かった。
今日はレースとドレープをたっぷりとった瞳と同じヴァイオレットの小花を散らしたドレスを身に着けた。
そして、教会の礼拝に参加するときに未婚の娘がする薄い透けるベールを被れば領民たちから聖女のようだと絶賛されていた。
「いつも、こうされるといいんですがね」
ばあやはため息まじりに呟いた。
私は言い返さず、黙って微笑んでおいた。
言いかえそうものなら、長時間、嘆かれるのは分かっていたからだ。
そうしていると彼らはやって来た。
数名の男達だったが、いつもの徴税官とは違った。不思議に思ったが、微笑みを浮かべて歓迎した。
「おお、これは、お美しい。母上に勝るとも……」
下卑た感じの男達が、値踏みするように不躾な視線を送って来た。
お母様は実は王族に連なる方だった。
大きくなってばあやに聞いたけれど、当時、名門ではあるが伯爵の父との結婚は周囲からの大反対を受けたそうだ。
それでも諦められなかった父が母を連れ去り、駆け落ちしたことは今でも社交界で語られているらしい。
今でもお父様は王宮へ行くのは苦手みたいで、あまり行くことは無かったから実際どうなのか知らなかった。
もっとも別の理由で父が行かないことまでは知らなかった。
「ようこそ、皆さん。娘は、母親に似て体が弱く、ここで失礼させますよ」
……いつからそんなことになったのかしら?
そう思ったものの何だか嫌な感じのこの場から逃げられるため嬉々として退出した。
そして、晩餐の時間までは自由だと早速ドレスを脱ぎ捨てていつもの服に着替えた。
「お嬢様ったら、何てこと」
「うふふ、まあ、いいじゃない」
嘆くばあやを尻目に帽子を目深に被り、執務室で書類を確認しようと廊下に出た。
「……承諾できませんな! お話にもならない!」
お父様の激高した声が廊下まで響いていた。
私は思わず応接間の扉の前まで足を運んだ。
「拒否するとどうなるかお分かりにならないのですか? 我々に逆らうということは恐れながら国王陛下に対して異を唱えるということですよ! それは反逆の……」
「ふん!」
お父様の不機嫌な様子を感じ近寄ると突然応接間ドアが開いて思わず驚いて声を上げそうになった。
目の前のお父様も一瞬唖然としたようだが、素早く自分の手から伯爵家の紋章入りの指輪を抜いて私に握らせてきた。
「伯爵(ル・コント)? どうされましたかな?」
「いや、執事見習いが様子を見に来ただけですよ」
「おお、それでは、丁度良い。ご令嬢をこの部屋までお連れしろ」
それは私をここに連れてこいってこと? 監査の時に呼ばれたことはなかったけれど。
幸いなことに彼らからは私が見えていないようだった。
「そうだ。そうでないと伯爵には嫌疑が掛かってしまうのだ」
そんな。思わず声が出そうになって、お父様に口を塞がれてしまった。
お父様の背中越しだし、男物の服を着ているので私が先ほどの娘だと分かっていないようだった。
お父様の琥珀の瞳は剣呑な輝きを宿していた。
普段私には優しく温厚な面しか見せないけれど、昔のそれなりに勇名をはせていたようだった。
あまり昔の自分のことは言わないのでよくは知らなかったが、そうでないと王家の姫を奪って逃げ切れるものでないだろう。
小声でお父様は、
「じじぃに助けを求めろ、行く先は分かっているな?」
じじぃって、お父様……。言葉が悪すぎてよ。
そう思ったものの私はこくんと頷いた。
「アンリが用意している」
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