薔薇の淑女と四葉の王子様
えとう蜜夏☆コミカライズ傷痕王子妃
第1話
緑深い山の峠で、轟く悲鳴と怒号が山肌を真紅に変えていた。
商隊の後ろをついて行っていた私はつい隠れていた幌馬車の陰から走り出ていた。
「セーラローズ! ダメです! 危険ですから!」
一緒に旅してきたピーターの制止の声がしたが振り向かなかった。
今、眼前では山賊たちが商隊の荷物を襲っていた。
「何ということ……」
商人とその雇人はどうにか幌馬車から逃げ出し、幸いなことに山賊達がそれを追いかける様子はなかった。
それにほっとして自分の馬車に戻ろうとした。
「ほう、勇敢な子どももいたものだ。山賊に攫われるかもしれないのに飛び出してくるとは」
よく通る男性の声がして思わず足を止めてその声の方を探した。
「子どもじゃありません!」
そう言い返したものの、しまったと思っても遅かった。
「……ほう、怖がらないとは、子どもにしては肝が据わっているな」
すっと青年は予備動作もなく近寄ってきた。
青年は黒いマントとフードに覆われてよく分からなかったが、フードからこぼれ落ちた見事な銀色の髪とグレイの瞳の持ち主で体格は細身だがよく鍛え上げられていた。
いきなり青年に手首を掴まれた。
「痛い!」
思わぬ力強い動きによろよろと男のほうに倒れこみそうになった。青年はもう一つの手で私の顎を掴むとぐっと上に向けさせた。
「その顔に紫の瞳とは、……そこらの子どもが持つには許されざる罪(グランクリム)だな」
何故か憎々しげに言い放つ。掴まれた腕の強さから言い知れぬ不安に襲われた。
「放して……」
つい声を出してしまったが、それは本来のか細い声しか出せなかった。焼け落ちる木々の音や怒号にその声が紛れたことを願うしかなかった。
今の顔は泥や埃で汚しているけれど、こんなところで女と分かって、山賊に誘拐されてしまったらこれから私の果たすべきことができなくなる。
確かに驚いて、つい飛び出してしまったのは良くなかった。
今更ながら恐怖と不安感が膨らんできた。
私がこんなところで攫われると、お父様が……。無実の罪で捕らわれているお父様を助けることができなくなるのに。
「……君は……」
青年は顔をよく見ようと更に身を屈めて覗き込もうとしてきた。お互いの息が頬にかかりそうなほど近づいた。今にもお互いの唇が合わさりそうだった。
「……セー……、兄さんから離れろ!」
「ピーター!」
少し離れたところから矢を番えたピーターが現れた。
私は思わず声を上げると青年はとゆっくりとした歩行で私を突き放して離れた。
初めて出会ったとき、その人は輝くエメラルドの瞳をしていた。
伯爵令嬢だった私はまだ小さい手でその瞳と同じ四葉のクローバーの白い花冠を差し出した。
でも恥ずかしくてお母様のドレスの後ろに隠れてしまった。
彼は微笑んで私と視線を合わせるように身を屈めてくれた。
周囲の大人が彼らを微笑ましそうに見守っていた。彼の母親と私の母は友人で、母親と一緒に伯爵家を訪れていた。
彼のエメラルドの瞳とふわふわした淡いプラチナブロンドの髪が子ども心にもとても綺麗だと思っていた。
「これをくれるの?」
隠れたまま私ははこくんと頷いて、目前の自分より幾分か年上の少年を見上げた。
彼は私に屈むようにしたためプラチナブロンドの髪が揺れて輝き、彼を彩りその美しさは天上のものに思えた。
それは子ども心にも美しく見え、それが、ますます尻込みさせていた。
「ク、ローバーのっ」
クローバーの王子様にと言おうとしたが、緊張のあまり上手く言えなかった。
一面のクローバーの花の白色の中で彼は王子様のようだった。
「クローバー? おいで、向こうで一緒に探そう」
少年はそう言って私の手を取って、伯爵家の敷地にある小高い丘まで誘った。
そこには一本だけ楡(にれ)の大木が生えていて二人はそこで遊んだ。
私は彼をクローバーの君と呼んでいた。
私が八歳になった時、お揃いのクローバーの指輪を彼に贈ったこともあった。
お母様に読んでもらった絵本に女王が自分の騎士に指輪を与え任命するのを場面がとても好きで、自分もと両親にねだったものだ。
それが、どんな意味を持つものかは、その時の私はまだ分かっていなかったけれど、彼は笑って受け取ってくれた。
「じゃあ、ちゃんとしようか?」
そう言ってクローバーの君はいつも遊んでいる小高い丘の上に連れて行き、指輪をお互いの指にはめた。
「うむ、クローバーの君、汝を私の騎士にする」
「忠誠を。我が姫に」
その時の私は精一杯後ろに反り返ってみせた。
クローバーの君は恭しく跪いて私の手をとった。
「あら、ここは女王様というのよ」
「え、でも、……君はまだ小さいから姫でいいんだよ」
そう言うとクローバーの君はにっこりとエメラルドの瞳を細めて微笑んでくれた。
私は不満げに頬を膨らませたけれど幸せな時間だった。
愛おしいと思える人といることが当たり前だとなんの疑問も抱かなかったあの時。
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