君は怠惰 1

「おーい、エイト。まだかー、おーい」


 ドンドン、ドンドン。

 部屋の扉を叩かれる音で、僕は目を覚ます。

 昨日眠りについたのは何時だったっけ。ヒダカと二人で歴史館を回れるのが嬉しくて、昨夜は寝ようとしてもしばらく寝付けなかったんだよね。

 えーと、今の時刻は。九時二分。

 うん。寝坊だ。

 こんなにも怠惰になってしまうとは。

 そろそろいい加減ケジメをつけないとね。



    *    *    *



 お父さんの運転する車に揺られ、後部座席左側にて頬杖をつくヒダカ。お父さん曰く、どうやら朝からずっとこんな様子らしい。

 若い女の子は分からないな、なんてのたまうお父さん。僕にも、よく分かりませんよ。


「ほら、ヒダカ。左側見てみろ。あっちに見えるのは我が都市名物の、かの有名なアカツメクサドームだ。形がアカツメクサの花によく似ているだろう」

「……アカツメクサ、聞いたことないです」

「っじゃあ、あっちにほら、大きな綺麗な湖が見えるだろう。あれは鏡花水月湖って言ってだな──」


 物憂げな表情をするヒダカは、未だその内に秘めた憂悶の情を読み取ることはできない。

 まさか、昨日の日記のことじゃないよね。僕が勝手に読んだから、とかそんな理由ではないよね。心当たりといえばそれしかないけど。

 今日一日、大丈夫かなぁ。



「じゃあ二人とも、しっかり勉強してこい! エイト、途中で昼飯もちゃんと食べるんだぞ。ひととおり回り終えたら、俺に連絡してくれ」


 そう言い放って、お父さんはすぐに車を走らせてどこかへ消えていってしまった。歴史館の駐車場に取り残された二人。

 冬の朝特有の甘い匂いが、いつもより一段と濃く感じられた。


「じゃあ、行こっか。ヒダカ」

「うん」


 白いマフラーに顔をうずめるヒダカは、それはそれはもう神秘的な美しさを放っていた。



 案の定、館内はたくさんの人でごった返していたね。人数がピークとなるであろう昼ごろよりかは少ないと思うんだけど、それでも館内に入るとなんとなく頭が痛くなってくるくらいには、人が多かったのさ。感覚としては、夏祭りの雰囲気に近いかな。

 学生もたくさんいた。僕たちみたいに個人的に勉強をしに来ている人もいれば、学校の団体グループとして来ている人もたくさんいたね。当たり前だけど、やっぱりみんな勤勉だからさ。こういう光景を見ると、改めて学生ってすごいなって、自分でも思うよ。


 僕たちは、まず歴史館の中にある「記念資料館」ってとこに向かった。資料館の中にはね、古い写真が薄暗い部屋の中にたくさん置かれてるんだ。今と違ってまだ「怠惰罪」が施行される前の時代の写真。まだ人類が怠惰によってたくさんの間違いを犯していた時代さ。

 間違いといえば。


──例えば、自殺。


 「怠惰」が法律で取り締まられる前の時代は、人々は勤勉の中にわずかな怠惰を見出すことによって、日々幸福というものを感じていたらしい。

 週に五日働いて、残りの二日間は休む。

 それが世の中の常識として当たり前に広まってたらしいんだよね。週に五日だけは頑張って働いて勉強して、残りは趣味だとか遊びに費やして惰眠を貪る。そんな世界が、本当に実在していた。


 少し考えてみれば分かることだけど、そんな世界は長くは続かなかった。


 五日間の勤勉の末にやってくる二日間の休息ってのは、人間にはあまりに幸福すぎるらしくてね。そうして、徐々に元の五日間ですらも勤勉になりきれず、暇を見つけてはサボり出すような、怠惰で芯のない空っぽな人間がたくさん出来上がる。

 いわゆる「暇人」のことさ。


 そしてね、「暇」ってのは人を殺すんだ。

 時間があればあるほど、やることがない人ってのはどんどんマイナス思考に陥っていく。

 何をしたって、何を考えてたって、心の奥底には真っ黒な憂悶が蔓延り続けてね。幸福を噛み締めるたびに、そのギャップで鬱というものが心を抉る。

 そんな「怠惰」を許してしまっていた僕たちの国は、いつしか自殺率が世界で一番になってしまっていたんだ。「怠惰」であるがゆえに目先の幸福に囚われて、自分を追い込んで、結局不幸になる。皮肉もいいとこだよ。


 そんな歴史を経て、僕たちの国は今のような「怠惰罪」ってのを作り、怠惰を取り締まって人々が間違いを犯さないようにしたのさ。

 週七日、本気で勤勉であり続ける。そうすれば、何かに悩む暇だってなくなる。つまり、幸福になれる。

 昔の人から見れば、休みがゼロというのはきついと思うのかもしれないけど、そもそも休みを知らない人からしたらそんなこと一度たりとも気にすることはない。

 今のこの世の中こそ、人間を、人間たらしめてくれるんだ。

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