第一章
間違った幸福 1
神隠しってのは本当に実在するんだね。
こういう科学的根拠のない現象というものは、フィクション嫌いの僕からしてみれば嘘もいいとこなんだけど、このときばかりはさすがに本物だって認めざるを得なかったよ。
なんたって、突然見知らぬ女の子が目の前に煙を纏って出現したんだからね。
現れた彼女は終始おどおどした様子で頭を下げて何か謝っててさ、僕もさすがにこの状況はおかしいと思ったから、不審には思ったけど警察に通報するのだけはやめておいたんだ。
でもね、そんな僕の優しさも無尽蔵じゃないから、直後僕はお父さんに不審者が出たって報告はしたよ。平日の昼間だったけど、お父さんはすぐに会社から帰ってきて、女の子が出現した公園まで駆けつけてくれた。勤勉だね。
けっこう可愛らしい女の子だったよ。
ボーイッシュって言うのかな、まあ髪が短めでさ。でも顔はめちゃくちゃ綺麗だったから、短い髪ともマッチしてクールな可愛さをしてたんだよ。歳は僕と同じくらいで十七とかかな?
正直結構僕の好みでさ。なぜか言葉は通じなかったんだけど、逆にそれが助けになるくらいには緊張しちゃって。もしその子と言葉を交わせたんなら、僕はもう少し弱気になってたかもしれない。
一応名前を聞いてみたんだけど、やっぱりどうやら言葉は通じないみたい。見た目にはハーフっぽいとかは全くなかったんだけど、話が通じないんだから、多分どこか違う国の出身とかなんだろうね。神隠しってのもここらだけの噂ではなかったらしい。全世界共通なのか、神様よ。
お父さんも到着して、お父さんも一度自己紹介を試みたんだけど、まあ案の定やっぱり失敗に終わったよ。こちら側が一方的に話しかけるのは何とかできるんだけどね。どうにも相手の言葉が聞き取れない。繰り返し何かの言葉を言ってるみたいだったから、とりあえずはその言葉をその子の名前にしよう、ってお父さんと決めてさ。結局、その子の名前は「ヒダカ」になった。
しばらく僕たちはヒダカの扱いについて考え込んだ。若い女の子だったからさ、そのまま公園に放置するのも危ないし、かと言って家に返そうにも出身国すら分からないんじゃ、さすがに厳しかった。
結局、ヒダカはしばらく僕たちの家で保護することにした。警察にそのまま引き渡すって手もあったんだけど、なんとなく「怠惰罪」に当たる気がしたから、念の為にその案は保留にした。
ヒダカも怖かっただろうね。言葉も通じない国でさ、知らない男たちに車に乗せられてさ。そして着いた先が見知らぬ個人宅なんだからさ。
一応ボディランゲージは通じるみたいだったから、なんとなくの身振り手振りで説明してみたんだけど、やっぱり細かいとこは伝わらないね。車に乗るとこまでは了承してくれたんだけど、家の中へまでは中々入ってくれなかった。色々あって反抗されたりもしたんだけど、最終的に、ヒダカはしばらくうちに泊まることを理解してくれたみたいだった。ヒダカは、感謝するとき手のひらを合わせてお辞儀をするから、それだけは分かりやすい。
* * *
夜になった。
その日、僕は週に一回ある登校日じゃなかったから、午前中は家に篭って勉強をしてできるだけ「怠惰ポイント」を抑えてたんだ。だから、その日の夜は運動でもしようと思ってたんだ。
夕食を食べ終えて僕が自室に戻ってまず初めに目に入ったのは、正座をしていたヒダカだった。僕の部屋の中で静かに何をするでもなくただ正座をしていたヒダカ。
お風呂上がりなのか、髪が少し艶々していた。なんとなくシャンプーの良い香りがする気がして、自分の部屋なのに変に緊張してそわそわしてしまう。僕の帰宅に気づいたヒダカは、身振り手振りを使って、おそらくこんなことを言ってきた。
──言葉を、教えてほしい。
ああ、そうか。確かに、そうだ。
ヒダカは言葉が分からない。だからと言って、
ヒダカとて、好きでここにいるわけじゃない。僕はそんなヒダカを優先して無理に言語を教えるつもりはなかったのだけど、ヒダカがそのつもりなら、僕にそれを否定する権利はない。
とりあえずはうちでヒダカを保護するとは言っているけど、それだっていつまで続くか分からない。もし、保護できる期間が終わってヒダカが一人立ちをするときになっても、未だヒダカが言葉を一つも覚えていなかったら、そのときヒダカは計り知れない苦労をすることになるだろう。
ヒダカが言葉を学ぶなら、今がベストなタイミングじゃないか。時間は、たっぷりあるのだから。
その日から、僕とヒダカの「少し怠惰な勉強会」が始まった。
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