第92話 結衣さんって、ほんと、私のこと大好きですね
並木道を装飾するイルミネーションを眺めながら、手を繋いでホテルへと向かう遊歩道を歩いた。
本格的な冬が到来する少し前、毎朝見ている情報番組で気象予報士のお兄さんが言っていた通り、今年の冬は本当に寒かった。私が日本に帰ってきてから一番の寒冬かもしれない。
でも今日は、そんな冬の寒さも気にならないほど、まるで雲の上を歩いているみたいに浮かれている。
さっきから、降ったり止んだりを繰り返している小さな雪の粒は地面に落ちてはじわりと溶けて無くなって、クリスマスの夜を彩っていた。
吐き出した息は白くなって、空に溶け込んでいく。
繋いだ手から伝わるぬくもりのせいかもしれない。心の中は、ずっとじんわりと温かい。
私たちの間に出来た空白の四年の間、私はずっとひとりでクリスマスの夜を超えてきた。
でも今は、隣に結衣さんがいる。視線をやればすぐそこに、私を愛おしそうに見つめるあなたがいる。
「……ねえ、結衣さん」
「ん?」
「今日、すごく忙しかったはずなのに、時間を作ってくれて……ありがとうございます」
「お礼を言われるようなことは何もしてないよ。私がかなたと一緒に過ごしたかっただけだから」
さらりとそう言うけど、今夜ふたりで過ごすために結衣さんがどれだけスケジュールを詰め込んでいたか、私は知っている。
秘書になってよかった。もしもそうじゃなかったら、結衣さんが私のためにここまでしてくれているってこと、私は気付けなかったかもしれない。
「ふふ……結衣さんって、ほんと、私のこと大好きですね」
からかうように言ってみれば、イルミネーションの光を反射して輝くその黒い瞳が私をじっと見つめて、優しく細められた。
「そんなの、今更じゃん? 学生の頃から今もずっと、かなたのことが大好きだよ」
そう言ってくれると思った。嬉しくなって私も笑う。
四年前のクリスマスを、思い返す。あの頃の私はもう、結衣さんに恋をしていた。
でも、あの時のあなたは私の恋人ではなくて、決して誰のものにもならなかった。
その事実が、恋愛に疎い私の胸を締め付けたこと、切なくてあまい、少しだけほろ苦い記憶として残っている。
「私、学生の時はずっと結衣さんにからかわれてるんだと思ってました……」
「え? 私、ちゃんとかなたに好きって言ってたよね?」
「そんなの、信じられないですよ。だって恋人は作らないってはっきり言われてたし……。結衣さん、色んな女の子取っ替え引っ替えして遊んで、ろくに帰ってこなかったじゃないですか。他の女の子の家、転がり込んでばっかりで」
思い出すだけでも複雑な気持ちになる。唇を尖らせて責めるように言えば、結衣さんは誤魔化すように笑った。
「そうだっけ? でも、クリスマス前にはもう他の子と遊んでなかったと思うけど……」
「そうなんですか? じゃあ……結衣さんって、いつから私のこと、好きになってくれたんですか? きっかけは?」
学生の時は結衣さんにいつも「好き」とか「特別」だとか言われていたけれど、結衣さんは同時に他の女の子と遊んでいたりもしていたから、どこまで本気だったのか、私にはまるでわからなかった。
誰にでも同じことを言っているのかも。そんな不安がずっと拭えなかったのも事実だ。答え合わせがしたくて、尋ねてみる。
「きっかけ? んー……かなたがいつから私のこと意識してくれたのか教えてくれるなら、私も教えてあげるけど」
「えっ」
いつから意識し出したか――?
そう聞かれると、難しい。意識は……多分ずっとしてた。それも、わりと最初の頃から。
そこまで考えて、私が質問したはずなのにいつの間にか質問の矛先がすり替わってしまっていることに気づいた。いけない。結衣さんのペースに乗せられないように、私は慌てて左右に首を振った。
「それは……ひみつ、です」
「えー? なんで? 教えてよ。かなたは私のこと、いつ好きになってくれたの?」
「やだ、言わない」
にこにこと笑いながら嬉しそうに言う彼女に、照れ隠しでそっぽを向く。
だって、それを伝えるのは、少し気恥ずかしかった。そんなに前から? って、笑われそうな気がしたから。
伝えたら、きっと結衣さんは喜んでくれるだろうけれど、そのタイミングは今じゃなくていい。
こんな雰囲気の中ではちょっと、照れてしまってうまく話せない気がする。
「知りたかったら、結衣さんが先に教えてくださいよ」
ポケットの中で繋いだ手をきゅっと握って、拗ねるように爪を立てる。
たまに、私のどんなところが好きなのか、無性に聞きたくなるときがある。思いつく限り言葉にして並べて、全部教えてって、ねだりたくなる。
そんなめんどくさいお願いを言えるはずなんてないけれど、それでも私を好きになったきっかけくらいは聞いてみたかった。
いつも「好き」と言葉にしてくれているけど、それでも、もっともっとその言葉が欲しくなる。何回でも、繰り返し聞いていたい。私だけに向けられた「好き」という言葉を。
学生の頃、私はもう少し謙虚だったと思う。でも今は、欲張りになっていく自分が止められない。
「……空港で初めて会った時から、かわいい子だなーって思ってたよ。一緒に住んでたら、好きにならないほうが無理だった。かなたって本当にかわいくて、たまらないんだもん。気付いたら、かなたの全部を好きになってた」
「……ふーん、そうですか」
結衣さんに顔を見られないように俯くと、いつもとまるで変わらないような声を一生懸命作って、興味なさげにそう答える。
そんな私に、結衣さんは繋いでない方の指で私の頬をつんと突いて笑った。
「あれ……もしかして、照れてる? 自分から聞いてきたくせに、顔真っ赤だよ」
「べつに、照れてません……!」
最初から私のことをかわいいと思っていてくれていたなんて思ってもいなかったから、ちょっとびっくりしただけだ。
頬を膨らませて、ギューっと強く手を握ると、結衣さんが「痛い痛い」って笑って言った。
「それで、かなたは? 教えてくれないの?」
肩を肩で押されて、身体が揺れる。私は抵抗するように、ふいと顔を逸らして、そっぽを向いた。
「……それはまた今度、教えてあげます。今日じゃないときに」
「えぇ? かなたばっかりずるい。先に言ったら教えてくれるって言ったのに」
不満そうな声を無視しながら、歩く。
イルミネーションが輝く並木道を、間もなく抜ける。目的のホテルまでは、もう少しだ。
***
高層階のレストランから望む東京の夜景は、当たり前といえば当たり前だけど、当社自慢のホテルから見る夜景に負けず劣らず、輝いて見える。
曇り一つないぴかぴかの窓には、オレンジ色の照明と、結衣さんがプレゼントしてくれた黒いドレスに身を包んだ自分が映る。
結衣さんは私のために、コートも、ドレスも、靴も、バッグも、全部纏めてプレゼントしてくれた。
試着室のカーテンを開けると結衣さんは本当に嬉しそうに笑って、「かわいい」って何度も褒めてくれたから――私もなんだかその気になってしまって、図々しくもそのプレゼントを受け取ってしまったのだった。
全部でいくらしたのかは、わからない。正直、想像もできない。
待ち時間にどうぞと店員さんが出してくれたチョコレートを食べている間に、結衣さんはいつの間にか会計を済ませてしまっていた。
着飾った私を見て「かわいい」って言って笑うあなたが目の前にいてくれるならそれだけで、私はどうしようもないほどに幸せな気持ちになってしまう。
レストランの席に着くと、せっかくのクリスマスだからと結衣さんは私でも飲めそうだという甘口のシャンパンを注文してくれた。
学生の頃はテーブルマナーなんて詳しく知らなかったけど、この会社に入社してから、レストラン事業もやっていることだしと一通りのマナーは勉強した。だから、今日は大丈夫だと思う。
いつもよりもぴんと背筋を伸ばして、純白のテーブルナプキンを膝にかけた。
目の前の彼女を見る。改めて、結衣さんって、本当に不思議な人だと思う。
学生の頃は、普段は大学生らしい服装をしていることも多かった。
今だって、普段から典型的なお金持ちのお嬢様って感じの雰囲気ではない。
それなのに、こういうフォーマルな場にくると途端に全部がバシッと決まってしまう。
生まれ持ったビジュアルと、育ちの良さのおかげなんだろうけれど、カメレオンみたいにすぐに場に適応してしまえるところはある種の才能かもしれない。
「素敵なレストランですね……。同業のお仕事をしていると、こういうとき、お仕事モードになったりしませんか?」
ふと、思った。
私はともかく、結衣さんは社長だから自社のホテルになんて顔が割れているし当然行けない。
だからわざわざ他社のホテルを予約してくれたのだろうけれど、肝心の結衣さんはちゃんと楽しめているかなって、ちょっとだけ気になった。
少しだけ不安になってそう聞けば、結衣さんはまっすぐに私を見つめて笑う。
「んーん、全然? かなたのことしか考えてないよ」
さらりとそんなことを言うから、思わず赤面してしまう。ああもう、いくら店内の照明が暖色系だとは言え、真正面からそんな口説き文句を言われたら、私が照れているってすぐにばれてしまいそうだ。
「……結衣さんの女たらしぶりは、相変わらずですね」
かわいくない言い方をしてしまったと思うけれど、そんな私の性格もよく知っているからか、大して気にしてもいないらしい結衣さんは笑う。
「かなたは、こういうこと言われるのやだ?」
夜の海みたいなその黒い瞳が、私のこころをまっすぐに射貫く。
今日の私は、おかしいかもしれない。
このレストランの雰囲気のせいなのか、とびきりの夜景のせいなのか、身を包むこのドレスのせいなのか……結衣さんに何か言われるたびに、ぎゅっと心臓を掴まれたみたいに胸の奥が苦しくなる。
「……べつに、嫌じゃないです。私以外にそういうこと、言わなければ……」
最後の方はごにょごにょと声が小さくなってしまったから、誤魔化すように、シャンパングラスに口を付ける。
舌の上で弾ける炭酸と、フルーティな香り。あ、飲みやすい。これなら私でも美味しく飲める。さすが結衣さん、私の好みまでよくわかってる。
私が抵抗なく飲めたことに安心したのか、結衣さんも、グラスを手に取った。
つるりと整えられた丸い爪に乗ったボルドーのマニキュア。その白くて長い指に、視線が釘付けになる。
急に、昨夜の記憶がフラッシュバックする。条件反射みたいに、お腹の奥が熱く、疼く。
なんでだろう、お酒のせいかな。わからない。でもなんかへんだ。慌ててその指から視線を逸らす。
そんな私を知ってか知らずか、結衣さんはすっと目を細めて、妖艶に微笑んだ。
まるでベッドの上にいるときのような、熱のこもった強い視線にぞくりとして息を飲む。
どうしよう。結衣さんのこと、いつも以上に意識してしまう。
おかしい。これからただ食事をするだけなのに――この先のことを、考えてしまう。
「……なんか今日のかなた、しおらしくて、一段とかわいい」
心のうちを見抜かれてしまっているような気がして、なんて返せば良いのかわからずに視線を泳がせた。
「今日、部屋取ってるんだけど……泊まっていくよね?」
最初から断られるわけないって思っているような口ぶりが、如何にも結衣さんらしい。
でも――今日はそんな風に強引に誘ってくれて、よかったかも。
俯いて小さくこくりと頷くと、目の前の結衣さんは、嬉しそうに微笑んだ。
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