第79話 一生かけて叶えてあげる
四季の中で一番何の季節が好きかと聞かれたら、今までの私だったら真っ先に「夏」と答えた。それは長期休暇があるからとか、色んなイベントが目白押しでわくわくするからとか、そんな子供じみた理由でしかなかったんだけど――大人になった今なら私は、「秋」が一番好きだと答える。
だって、秋は、私が世界で一番愛おしく思う、あなたが生まれた季節だから。
ウッドデッキに並ぶハンモックに横になって、肌を撫でる秋の風と木の葉が揺れる音を感じながら、すぐ隣のハンモックにいる恋人に視線をやった。長い黒髪の隙間から覗く形のいい耳の輪郭に、銀色のピアスがオレンジ色の夕日を反射して輝いている。
ふとした瞬間、思うときがある。結衣さんは、本当に、私の恋人になってくれたんだ。今、この人の全部が、私だけのものなんだ、って。そう思うと、胸の奥がじんわりと熱くなってくる。
この気持ちにはちゃんとした名前があって、それを「愛情」と呼ぶのだと、教えてくれたのは他の誰でもない結衣さんだった。
「軽井沢って、いいとこだね」
しみじみと、空を見上げながら結衣さんが言うから、私も「そうですね」と同意した。涼しくて、風が気持ちよくて、ずっとここにいたくなる。
「毎年来たいね。いっそ別荘でも買っちゃおうかなぁ。かなたは、どう思う?」
隣の私を見て、結衣さんがにっと笑った。「別荘」って……凡人の金銭感覚しか持ち合わせていない私は、驚いて目を見開いた。
結衣さんって、いったいお給料いくらもらっているんですか――なんて、言いかけて、やめる。いくら恋人でも、そういうことを聞くのはルール違反だと思う。ちょっと気になっちゃったことは、事実だけど。
「今まで生きてきて、別荘を持つことなんて、考えたこともないです……」
青澤家は転勤族だし、ずっと賃貸マンションを転々とする暮らしだったからそもそも家を買うという発想を持ったことはなかった。
でも、結衣さんの持ち家であるあの平屋の一軒家は私も大好きだ。全部終わったら、またあの家で一緒に暮らしたい。そう思うくらいには、今まで住んだどんな家よりも思い入れのある住処だった。
「仕事が落ち着いたら、長期休暇取って二人でゆっくりしようよ。旅行でもいいけど」
仕事が落ち着いたら、かぁ。今期の決算が終わったら、という意味かな。三月まで頑張れば、私たちの関係はやっと公のものになる。
まだ結衣さんには言っていないけれど、私も――家族に、言わないといけないと思っていた。年末年始、ロンドンに帰省した時にでも、私が女性に恋をしていること、そして、その人と一緒になりたいと思っているということを伝えないといけないと思っていた。
それが私にとって、ここまで人生をかけて私を愛してくれる結衣さんに対してできる、けじめだった。
お父さんとお母さんは――私のことを受け入れてくれると思う。うちのお父さんはゴールデン・レトリーバーみたいな人で、いつもニコニコしていて子煩悩だ。
そんなお父さんのことが大好きなお母さんはすごくおっとりしてて、私の幸せを一番に願ってくれると思う。
でも、
まだその相手が結衣さんだと言うことを明かすつもりはないけれど……絶対にお父さんは驚くだろう。
たとえ結婚できなくても、私はこんなにも幸せだ。隣に今、あなたがいてくれるから。
「休み、取れるといいですね。ふたりで」
「大丈夫だよ。私もずっと今の会社にいるわけじゃないしね、忙しいのは今だけ」
「えっ、そうなんですか?」
「そうだよ。子会社の社長は、だいたい三年から五年くらいで変わるから。かなたさえよければ、私が動くときは一緒についてきてほしいと思ってるけど……今の会社に残りたいなら、残ってもいいよ。その時に、考えてくれれば。私が次も社長をやるとは、限らないし」
「へぇ……会社って、そういうものなんですね……」
てっきり、結衣さんはずっと今の会社の社長をやるのだとばかり思っていた。どうやら世の中はそういうものでもないらしい。でも、いずれはホールディングスの社長になる予定のはずだから、それもそうか。
「それに、仕事ばっかりしてたらもったいないじゃん。……いつ死んじゃうかなんて誰にもわからないんだよ。だから、一緒に居られる時間は大事にしたい。時間なら、いくらでも作るから」
結衣さんが、私の瞳をじっと見つめてそう言った。たぶん……結衣さんはお母さんのことを、考えているのかな。そんな風に、思った。
「……かなたがやりたいことは全部、私が一生かけて叶えてあげる」
結衣さんは、そう言って優しく微笑んだ。愛おしさでぎゅっと、胸が締め付けられる。
どうか私の人生が終わる瞬間も、隣にあなたに居てほしい。この手を握っていてほしい。何年たっても、何十年たっても、ずっとこの気持ちは変わらない。
日本で暮らしている以上、私たちは、結婚はできない。それはわかっている。さっき、結婚しなくても幸せだと、思ったばかりだ。
だけど、それなのに。
やっぱり、結婚したい。結衣さんと。そんな風に思ってしまった。
神様の前で、私だけに愛を誓ってほしい。もう二度と、他の子を愛したりしないって。生涯私だけを愛し続けてくれるって。ちゃんと誓って。
なんで急にこんなことを思ってしまったんだろう。結婚できないことなんて、初めからわかっていたことなのに。
こんなに好きなのに、どうしてだめなのかな。なんで結婚できないのかな。誰にも迷惑をかけたりしない。ただ好きで、好きで好きでたまらなくて、一緒に生きていきたいだけなのに――。
「ねぇ、結衣さん」
「ん?」
「……好き」
その言葉に、ありったけの気持ちをこめて呟くと、結衣さんは、心底幸せそうに微笑んで、私の頬に手を伸ばして、そっと撫でてくれた。
人間って、どんどん欲張りになっていくみたい。永遠の愛を誓ってほしいだなんて、そんな恥ずかしいこと、まだ言える気はしないけれど。
でもいつかは、結衣さんのウェディングドレス姿が見たい。そんな風に、思った。
***
インターネットの評判通り、用意されていたバーベキューは最高だった。屋外のグリルで焼きあがった分厚いお肉は、ほっぺが落ちるほど美味しかったし、野菜の種類も豊富で、二人で食べきれないほどの量だった。
お腹いっぱいになって、少し休憩したころにはすっかり暗くなって、気付いた時にはいつの間にかオレンジ色のランプが灯っていて、あたりを仄かに照らしていた。
思い出したようにスマホで時間を確認すると、そろそろ予約していたお風呂の時間になろうとしていた。
「結衣さん、そろそろお風呂に行きましょう」
「うん、行こっか。貸し切り、楽しみだね」
私の顔を覗き込んで意地悪くそう言うから、私は赤くなった頬に気付かれないようにふいと顔を逸らす。
「今日は、特別ですからね。結衣さんの、誕生日のお祝いだから……」
「うん、わかってるよ。わがまま聞いてくれて、ありがと」
ドーム型テントに戻って、着替えをトートバッグに入れて準備すると、結衣さんと手を繋いで温泉施設までの道を歩いた。
入口でカギを受け取って、脱衣所へと向かう。露天風呂だと聞いていたけれど、脱衣所の明かりはやっぱり少し明るくて、服を脱ぐのをためらう。
もう何度も彼女に抱かれているし、私の裸なんて見慣れているかもしれないけれど、それでもやっぱり緊張する。
結衣さんが長い黒髪をまとめて、ためらいもなく着ていたシャツを脱ぐ。勇気がでなくてブラウスのボタンに指をかけたままもじもじ躊躇っていると、下着姿になった結衣さんがそんな私に気付いてくすくすと笑った。
「どうしたの? もしかして、自分で脱げない?」
「ち、違いますよ」
すると突然伸びてきた結衣さんの白くて長い指が、私のブラウスのボタンに触れた。
「脱がしてあげる」
「えっ……ちょ、ちょっと待って」
待って、まだ心の準備ができてない。私の服を脱がそうとするその手を止めて、慌てて結衣さんを見上げる。
すると――その夜の海みたいな、優しい瞳に意地悪な色が浮かんでいるのがわかって、揶揄われている、と理解した。かあっと頬が赤くなる。
「じ、自分で脱げますってば……! 結衣さん、あっち向いてて」
苦し紛れにそう言えば、結衣さんは笑って、しょうがないなぁって私から視線を逸らしてくれる。意地悪だったり、かと思えば優しかったり、やっぱり結衣さんってよくわかんない。
おかげで私はいつも結衣さんに振り回されてばかりいて、心臓は、ドキドキとうるさいくらい脈打って止まらなくなるのだ。
明るいところではこっち見ないで、という要望の通り、結衣さんは温泉につかるまではちゃんと私から目を逸らし続けてくれたからほっとした。
温かいお湯に肩までつかると、後ろから結衣さんが、ぎゅっと私を抱きしめる。すべすべの肌が触れて、やっと緊張してこわばっていた身体がリラックスできた気がした。
「……そんなに照れなくてもいいのに。かなたって、本当にかわいいね」
「私は結衣さんみたいにスタイルよくないから、明るいところで裸を見られるのは、恥ずかしいんですよ」
結衣さんと違って高身長ってわけでもないし、いたって普通サイズの胸とか、身体つきとか、明るいところでまじまじと見られるのは恥ずかしい。
「そんなことない。すごく綺麗だよ。箱根に行った時、一緒にお風呂入ったの覚えてる? その時から思ってた。かなたの肌ってすべすべで、気持ちいいなーって。ずっと抱きしめていたくなる」
耳元でそう優しく囁く彼女に、むっと唇を尖らせる。
「それ……誰と比べて、そう思うんですか?」
私と違って、結衣さんにはたくさんの「比較対象」がいるから面白くない。そう指摘すると、結衣さんは笑って首を横に振った。
「誰とも比べたりなんかしてないよ」
本当かなぁ。私のお腹に回るその左手を取って、つるりと丸く整えられた、淡いブラウンが乗った爪の先を撫でてみる。
今夜のためにと初めて自分の爪を整えた時、何度も結衣さんの爪を思い出した。付き合いだしてから、結衣さんの爪は大学生の頃のように短くなった。あの時は、不特定多数の女の子のために整えられていた爪。
でも今は――私のためだけに、結衣さんはいつも爪を整えている。
自分の爪にやすりをかけた時、その事実が、嬉しいやら、恥ずかしいやらで何とも言えない気持ちになったのを思い出していた。
ささくれ一つない、手入れの行き届いたあなたのこの長い指が、好き。たまらなくなってその左手の指にキスをすると、結衣さんの唇が、私の首筋にそっと触れた。
「かなた」
名前を呼ばれて顔だけで振り向くと、唇が優しく重なった。ぎゅっと握りしめられた手が熱い。唇を離すと、熱っぽい瞳が私の瞳を覗き込んだ。
「そういうことされると……誘ってるとしか思えないんだけど。ここで、していいの?」
「えっ?」
唐突にそんなことを言われて驚く。私は、結衣さんの指で遊んでただけなのに。
「私、そんなつもりじゃ……」
太ももを這う手を、慌てて止める。すると結衣さんはぐっと眉を寄せて、小さくため息をついた。
「……かなた。無自覚でそういうことする癖、本当にどうにかして……。理性がもたない」
「わ、私のせいですか? 結衣さんがすけべなことばっかり、考えてるからでしょ」
「だって仕方ないじゃん。好きなんだから、したいって思うの当たり前でしょ? かなたは、違うの? 私とするの、やだ?」
私の目をじっと見つめてそう言うから、思わず視線を泳がせる。ストレートにそう言われるとなんて言ったらいいのかわからなくなる。
「そうじゃなくて……。でも、ここでは、だめ、です……」
どんどん、声が小さくなってくる。こんなところで押し切られてしまったら、私の計画が台無しだ。
お風呂から上がったら、バーを予約している。そこでお酒を飲むつもりだった。だって私はたぶん、お酒を飲まないと……その、結衣さんを押し倒すなんてできない、と思う。
しどろもどろになる私を、結衣さんの黒い瞳がじっと見つめる。
「じゃあ……ベッドなら、いい?」
優しくて、甘やかすような声が聞こえる。俯いて、こくんと頷くと、結衣さんがふふっと笑った。
「結衣さんの、意地悪。なんで、笑うの……」
恥ずかしくなってしまっていじけてそう言えば、正面からぎゅっと結衣さんが私の身体を抱きしめた。
「ごめんごめん。かなたが愛おしくてたまらなくて。ちゃんと、我慢するね」
密着する身体が温かくて心地よくて、目を瞑る。心臓はどきどきと鼓動を高めたままだ。
大丈夫かな。本当に私……夜まで持つのかな。急に自信がなくなってきた。そんなことを思いながら、私もその白い背中に腕を回して、抱きしめ返した。
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