第77話 埋め合わせっていつしてくれるの? 今夜?
誕生日は、一年に一度だけある特別な日。結衣さんの誕生日である、十月十日を目前に控えたとある休日の午後。私はひとり、カフェで頭を抱えていた。
ため息だって、つきたくもなる。四年越しの結衣さんの誕生日を、最高の日にしてあげたいと息巻いていたのはいいものの、私は早くも、行き詰っていた。
結衣さんへのプレゼントが、決まらない。朝に家を出た時は軽かった足取りが、今はまるで鉛がついたかのように、重い。
プレゼントは、ネックレスにしようと最初から決めていた。
自分の胸元に、手を当てる。そこには、結衣さんから譲り受けたネックレスが輝いている。
私にこれをくれたから、最近の結衣さんはネックレスをしていない。だから、誕生日には私が新しいものをプレゼントしてあげようと思っていた。
そう思って、休日の今日、電車に揺られてひとりプレゼントを買いにやってきたわけなのだけど。
インターネットでももちろん調べてみたけれど、やっぱり実物を見ないとわからない。
そう思って午前中から何軒もお店を回ってみたけれど、どうも結衣さんの胸にしっくりくるものが、見つからなかった。
それで今、歩き疲れて一旦カフェで休憩中というわけだ。
結衣さんの会社に入って、初めてもらった夏のボーナスは、過去最高の支給額だった。
もちろん、一切手をつけていない。秋には結衣さんの誕生日があることが、わかっていたから。
プレゼントに予算なんてない。いくらだって構わない。それよりも絶対に妥協したくなかった。だって、結衣さんは、きっとずっと大切にしてくれる。だから、結衣さんの胸に一番似合うものを、あげたい。
恋人になってから、初めてのプレゼントだから。
絶対に、素敵なネックレスを見つけてみせる。結衣さんが私にくれたように、私だって。
ぱん、と軽く頬を叩いて、立ち上がる。こんなところで油を売ってたって仕方ない。
ティーカップを乗せたトレーを返却台に戻して、気合いを入れ直してカフェを出た。
休日のデートを断ってまで確保した今日を、無駄な一日にしたくはない。実は、最近ずっと結衣さんとはデートできていなかった。そしてそれを、結衣さんは不満に思っているようだ。
週末は泊まりにきて、というお誘いを断って、私が夜遅くまでデートプランを練りに練っていることを、当然のことだけど結衣さんはまだ知らない。
だって、結衣さんと一緒にいると、他のことを考えている余裕なんてなくなってしまう。
だから、物理的に距離を置いてじっくり考えたいと思った。これは結衣さんのため。そう思ったんだけれど、デートを断っていることを、どうやら結衣さんは律さんに愚痴っているらしかった。
昨夜、律さんから「結衣が拗ねてる」ってメッセージが来たから、少し笑ってしまった。
メッセージに添付されていた、バーでいじけて酔っ払っているらしい愛しい恋人の写真をこっそり保存したのは、秘密。
律さんに「誕生日のお祝いプランを考えているので、上手いこと誤魔化してくれませんか」、と伝えたら、「りょーかい」って返ってきたから、多分大丈夫だと思うけど。
あとで結衣さんには、ちゃんとお詫びしないと。
秋になり、少しずつ肌寒くなってきた街を、ひとり歩く。するとふと、よく知るデザインが視界に飛び込んできて、ショーウィンドウに目を奪われて足を止めた。
四葉のクローバー。二十歳の誕生日、結衣さんから貰った、このピアスのデザインと一緒だ――。
お店を見上げる。そうか、こんなところにお店があったのか。
四年前の春、結衣さんはもしかしてここに、私のピアスを買いに来てくれたのかな。
吸い寄せられるように、入口のガードマンの脇を通り過ぎて、私は店の中へと足を進めた。
結衣さんがくれたこのピアスが、高価なものだということは、知っていた。
でも、いくらするものなのかまでは、知らなかった。
ショーケースに並んだ、私の耳にも飾られているそのピアスの値段を見て、思わず息を飲んだ。
結衣さんが、お金には糸目をつけないタイプだとは知っていたけれど、まさかここまで高いものだったなんて、知らなかった。
なるほど。だから勘のいい瀬野さんが、私の恋人がお金持ちだと気付いたわけだ。
あの時の結衣さんは、まだ大学生だったのに――。
そう思いながら、くるりとお店を見渡す。すると、私のピアスと同じモチーフのネックレスがあることに気が付いた。
デザインは一緒だけれど、色が違う。ゴールドに縁どられた、黒のクローバー。それが、結衣さんの胸元にある姿を、想像する。
絶対に——似合うと、思う。自然とそのショーケースへと足を進めて、覗き込む。見れば見るほど、吸い寄せられるように目線が離せなくなった。
「……試着されますか?」
じっと見つめていたからか、後ろから店員さんに突然声をかけられて、慌てて振り向く。店員さんは、にっこり笑ってそう言った後、私の耳に視線を向けた。
「マザーオブパールのピアスをお持ちなんですね。それでしたら、同じ種類のネックレスはこちらです。ピアスと色を合わせると、より素敵になると思いますよ」
店員さんはピアスと同じネックレスがある場所へと案内しようとしてくれていたようだけど、私は慌てて首を振った。
「あ……、えっと、これは、私のじゃなくて……」
そう言えば、ぴたりと彼女は足を止めて、私の目を見た。
「その……恋人に」
明らかに女性向けのアクセサリーを、「恋人へのプレゼントだ」と言って、どんな反応をされるかと不安に思わなかったわけじゃないけれど……でも、事実だから。恥ずかしいことではないしと、恐る恐る、そう言ってみる。
すると一瞬店員さんは目を見開いて、「そうですか、それは素敵ですね」と平然と答えてくれたから、なんだか少しだけ、肩の力が抜けた。
「でしたら、ぜひお手に取ってご覧になってください」
ショーケースから取り出して、並べられたネックレスをまじまじと見てみる。オニキスだというその石は、どこまでも深い、黒をしている。まるで結衣さんの、瞳みたい。
見れば見るほど、ますます、これしかない、と思った。
値札を、ちらりと見る。うん、大丈夫だ。夏のボーナスを全額突っ込めば、買えない値段ではない。
このネックレスを渡したときの、結衣さんの顔が浮かんで、自然と頬が緩む。きっと喜んでくれる。だって私のピアスと、お揃いだもん。
「……これ、ください」
そう言うと、店員さんはにこりと微笑んで、プレゼント用にお包みしますね、と言ってくれたから、頷いた。
紙袋片手に、浮かれた気持ちのまま駅までを歩く。あとは、このプレゼントを渡す最高のシチュエーションを用意するだけだ。
学生の時は、雪哉さんの計らいで温泉旅行に行ったけれど、今年は――グランピングとか、どうかなぁ。夏も過ぎて、ちょうどいい季節になったし。
とは言っても、私は車を運転できないから、結局結衣さんに車を出してもらって、連れて行ってもらうことになるんだけど……。
せっかくだから仕事のことなんかすべて忘れて楽しめるような、ちょっといいコテージなんかを借り切って……奮発して、いいところに泊まろう。温泉があるところもあるみたいだし、バーベキューもできるし、一日中、自然の中でゆっくりできるかも。
プレゼントが決まったら、次から次へとやりたいことが浮かんでくる。月曜日に早速、結衣さんに提案してみよう。そう思って、帰路についた。
***
週明けの月曜。出社すると、結衣さんはデスクに頬杖をついたまま、分かりやすいくらいにむすっとむくれていた。
誕生日のお祝いプランが決まって、すっかり浮かれ気分な私とは正反対だ。
二週連続で泊まりにいけなかったのが、よほどお気に召さなかったらしい。じろりと、その黒い瞳が私を恨めしそうに見つめる。
「……週末、恋人をほったらかしにして、かなたは誰と、何してたのかなー……」
いかにも不機嫌です、って顔に書いてある。思わず笑いつつ、私はバッグを自分のデスクに置いた。
律さんから、「拗ねてる」とは聞いていたけれど、まさかここまでとは正直私も思っていなかった。
ここ最近、仕事で顔を合わせていたとはいえ、プライベートで一緒にいる時間が取れていなかったから私も寂しかったけれど……同じように思ってくれていたんだと知って、嬉しくなる。結衣さんってば、本当にかわいい。
「そう拗ねないでくださいよ。いろいろ用事があったんです」
「ふーん……?」
「それに、結衣さんだって、律さんと飲みに行ってたんじゃないんですか?」
「かなたが泊まりに来てくれないから、仕方なく、律と飲んでたの」
仕方なく、だって。律さんを呼び出したの、結衣さんのくせにね。相変わらずの仲良し具合が、ほほえましい。
「ちゃんと埋め合わせしますから。それに、結衣さんに相談したいことがあって――」
書店で、秋のグランピングを特集している雑誌を買ってきたから、結衣さんと一緒に誕生日に泊まる宿を選ぼうと思っていた。
バッグの中に入れてきた雑誌を取り出そうとしたところで、突然、後ろからギュッと身体を抱きしめられて驚いて手が止まる。
さっきまで、デスクに座ってたはずなのに、いつの間に。
「……ねぇ、埋め合わせっていつしてくれるの? 今夜?」
耳元から聞こえる結衣さんの声色から察するに、まだ拗ねているみたい。ぐりぐりと首筋にすり寄ってくるから、ちょっとくすぐったくて笑ってしまう。
「今夜、って……月曜日ですよ?」
「だってもう二週間もお預けされてるんだよ? 週末までなんて待てないよ」
待てない、って。それはどういう意味ですか、と聞きそうになってきゅっと唇を噛む。それを聞くのはやめたほうがいい、絶対。
今は結衣さんを宥めることが先決。そう思って振り返ると、ぱっと腰を引き寄せられて、途端に距離を詰められる。
キスされそうになって、慌ててその唇を手のひらで押しとどめた。
「……かなた、手、邪魔」
整った眉を不機嫌そうに寄せて、結衣さんが抗議する。でも、だめ。今は、キスよりも話が先。
だって一時間後にはアポイントが入っているし、今日は終日スケジュールがびっしりだ。一時間くらいしか、ゆっくり話せる時間は取れないんだから。
「……そろそろ、結衣さんの誕生日じゃないですか」
「うん、そうだね」
そう言っている間にも、私のスカートをたくし上げて、いたずらな左手が私の太ももを撫でたから、思わずびくりと身体が跳ねた。
「結衣さんっ、私の話、聞いてます!? ここ、会社ですよ……!?」
窘めるように言うけれど、結衣さんは目を細めるだけで、どんどんその手は上がっていく。
「今夜がだめなら、今がいい。だめ?」
「だ、だめに決まってるじゃないですか!」
私の意見なんて全く聞かずにぐいぐい押してくる結衣さんに、心臓が壊れたように脈を打つ。
指先がついに腰までたどり着いて、驚いて結衣さんを見る。その瞳を見た瞬間、あ、本気だ、と気づいた。このまま押し切られたらまずい。
「誰か来たら、どうするんですか……!?」
「かなたが声我慢してくれたら、平気だよ」
仕事とプライベートは分けたいって前に言ってたくせに、言ってることとやってることが全然違うんですけど、と突っ込みたくなる。
無理、絶対無理。結衣さんはするほうだから良いかもしれないけど、私は今そんなことされたら、今日一日使い物にならなくなる。
「ねえ、結衣さん……お誕生日にいっぱい埋め合わせしますから、それじゃだめですか? 今我慢してくれたら、お誕生日はなんでも言うこと聞きますから……!」
なんとか宥めようと、苦し紛れにそう言うと、ぴたりとその手が止まる。
「本当に?」
こくこくと頷くと、その黒い瞳がじっと私を見つめて、それからにっこりと笑った。
するりとたくしあげたスカートの中から、その手のひらが出て行って、ホッと胸を撫で下ろす。
「わかった。それなら……今は、我慢する」
なんだかその場しのぎでとんでもない約束をしてしまった気がするけど、大丈夫かな。ちょっと不安になる。
でも……とりあえず危機は逃れたと知り、目的を果たすためにバッグから、買ってきた雑誌を取り出した。
「結衣さん、それで、お誕生日なんですけど……グランピングとかどうかなって」
「グランピング?」
結衣さんは目を丸めて、私が手を持つ雑誌に視線を落とした。
「結衣さんに運転してもらうことになっちゃいますけど、一緒に、ゆっくりできたらなって。どうですか……?」
そこまで言うと、結衣さんは嬉しそうにふふっと笑って私の身体を抱き寄せた。
「……ありがと、かなた。すごく嬉しい。大丈夫、運転は任せて」
二週間、結衣さんの家に泊まりに行けなくて寂しかったのは私も同じだ。
でも、結衣さんをたくさん待たせた分、素敵なプレゼントを選ぶことができた。お誕生日は、絶対に忘れられない一日にしてみせる。
やっと機嫌を持ち直してくれたらしい愛しい愛しい恋人が、そっと私の頬を撫でて、唇を寄せる。
キスを受け入れながらギュッとその首に腕を回して、私も強く強く、その身体を抱きしめ返した。
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