夏の番外編 線香花火
私の目の前を行く、一つに結い上げた栗色の長い髪が揺れる。時折見える白いうなじに目線を奪われながら、その背を追うようにゆっくりと歩いた。
かなたがポニーテールにしていると、大学生の時を思い出させる。バイト帰りのかなたは、抱きしめるといつだって、微かにコーヒーの香りがした。
スーパーマーケットの自動ドアを潜れば、ひんやりとした空気が頬を撫でる。
愛しい愛しい恋人が、振り返って早く早くと私を急かす。にこにこと微笑む姿が可愛くて、手を伸ばす。その手を掴んで、もうどこにもいかないようにと、ぎゅっと強く、握りしめた。
八月の終わり、出張から帰ってきてからは慌ただしい日々が続いていた。
せっかく恋人同士になれたと言うのに、満を持してオープンした新店舗のために時間を割かれて、あまり二人の時間が取れなかったことが本当に悔やまれる。
結局、仕事がようやく落ち着いて満足に休みが取れるようになったのは、オープンから二週間が経った時だった。
かなたのおかげで、以前と比べてかなり仕事は楽になった。
山里さんの推薦書の通り、かなたは本当に勤勉で、優秀だった。
可愛くて、愛おしくて、何よりも大切な私の恋人に、支えられているなぁと心から実感する。秘書にすることをあれだけ渋っておいてなんだけど、かなたに秘書になってもらって、正解だったと今更ながら思う。
自分でもびっくりするけれど、かなたのためなら私はなんでもできてしまう。
離れていた間、積み重ねてきた努力がやっと報われた気がした。
かなたに出会うまで、自分にこんな一面があったなんて、私は全然、知らなかった。
やっと二人揃って取れた週末の休日。金曜の夜、「映画を観よう」とかなたを誘って、大学時代に二人で住んだあの家に、連れ帰った。
仕事で毎日顔を合わせていたとはいえ、この二週間、恋人らしいことは何もできていなかった。
懐かしそうに部屋中をうろちょろと歩き回るかなたをぎゅっと抱きしめて捕まえて、有無を言わさずベッドルームに閉じ込めた。
かなたのことが好きで好きでたまらない私の四年分の想いを、とにかく今、受け止めて欲しかった。
そして今日、土曜の朝。「映画観るって言ったのに」と拗ねるかなたの機嫌を取るのに一苦労したけれど、それすらも愛おしくてたまらないと思うほどに、あの時からずっと、私はかなたに恋をしている。
大学三年の夏、かなたと一緒に花火を見た。あの日私は、「来年は観覧席を予約してあげる」と約束したのに、その翌年の夏、かなたはもう、私の隣に居なかった。
だから、今年こそは連れて行ってあげたかったのに——結局、仕事に追われて、約束を果たすことができなかった。
ごめんね、と謝る私を責めることもなく、それなら手持ち花火を買いに行こうと、かなたは私の手を引いて笑った。
夕立が止んで、湿気まじりの生ぬるい空気の中を、他愛もない話をしながら手を繋いでスーパーマーケットまでの道のりを歩いた。
こんな日常が、私のこの心臓が止まるまで、永遠に続いて行ってほしい。そう、心の底から祈らずには、いられない。
そう思うほどに幸せな、週末の午後だった。
「あ、結衣さん、花火、ありました! これにしましょう」
かなたが手に取った、お得用と書かれた一番大きな花火のパックを受け取って、買い物カゴに入れる。
二人でこんなにたくさんやりきれるものなのかな、と思わなかったわけではないけれど、足りないよりは、いいだろう。
「ライター持ってないから、買わないと」
陳列されていた一番小さなライターを手に取ると、続いてかなたがその脇にあった、ろうそくのパッケージを一つ取った。
「花火って、ろうそく使うんだ?」
何気なくそう聞けば、かなたはきょとんと目を丸める。
「……結衣さん、もしかして手持ち花火、初めてですか?」
「うん、やったことない」
「本当ですか? 一回も?」
「うん」
素直に頷く。すると何故かかなたは嬉しそうに微笑んだ。
「そうですか。じゃあ、きっと今日は私の勝ちですね」
かなたは笑ってそう言って、スーパーマーケットの細い通路を歩き出した。
「勝ちって、なに? 花火って勝負するものだったっけ」
私の少しだけ前を行くかなたの、ノースリーブから覗く白い二の腕に目を奪われながら問いかける。
「そうですよ。線香花火に同時に火をつけて、落ちずに最後まで残った人が勝ちなんです。で、負けた人は、勝った人の言うことを何でも聞かなきゃいけないっていう、決まりがあるんです」
「ふーん……?」
嘘だな、とすぐにわかった。かなたって、わかりやすくて、本当に可愛い。
そこまでして、私に聞いてほしいお願いがあるのかな。何かしてほしいことがあるとか? それならそう言ってくれれば、そんな回りくどいやり方しなくたって、かなたの願いなら、私はなんだって叶えてあげるのに。
そうは思ったけれど、もしかして、これは私にとってもチャンスかもしれない。
「……それって、私が勝ったらかなたが何でも言うこと聞いてくれるってことだよね?」
問えば、振り返って、かなたが笑う。
「そうですよ。でも、花火初心者の結衣さんが、私に勝てたらの話ですけどね。さ、アイス買って、帰りましょ」
自分が負けるなんてさらさら思っていないのであろうかなたは、鼻歌を歌いながら、嬉しそうにアイスクリームを物色していた。
お得用花火とろうそくにライター。ハーゲンダッツのストロベリー味を二つと、かなたがどうしても必要だと言った蚊取り線香をレジ袋に入れて、家へと帰る。
八月の下旬ともなれば、日の入りは早く、十九時前には既にあたりは薄暗くなっていて、夏の終わりを肌で感じる。
帰宅してすぐ、アイスが溶けてしまわないようにと冷凍庫にしまっていると、かなたがペタペタとスリッパの音を立てて歩み寄ってくる。
視線を上げればその胸に、いつか私がかなたから横取りしたアザラシのぬいぐるみを抱いていた。
棚の上に飾っていたアザラシに、どうやら今気付いたらしい。
「ねえ結衣さん、この子、連れて帰っていいですか?」
「え、なんで?」
「なんでって……みんなを並べたいからです」
みんな、って、あの夏かなたに買ってあげたシャチと、ジンベエザメのぬいぐるみのことか。
まだ一度も行ったことがない、かなたの部屋を想像する。買ってあげたのはそんなに大きなぬいぐるみってわけではないけれど、三つも並べたらさすがに水族館のようになりそうだなとぼんやりと思った。
そんなことを考えていて、すぐに返事をしなかった私に断られると思ったのか、かなたはムッとして、さらに強くアザラシを抱きしめた。
「この子、私の代わりにするって言ってましたよね。それならもう、いいじゃないですか。だって今ここに、私がいるんだし……」
そう言われて、思わず笑ってしまう。本当に、なんでこの子はこんなに可愛いことばかり言うんだろう。
たまらなくなって、ぎゅっと強く、その細い身体を抱き寄せる。
私と同じシャンプーの香りなのに、かなたからするってだけですごくいい匂いに感じる。
「……そうだね。じゃあ、いいよ、連れて帰って」
確かに、今ここにかなたがいる。だから、あの日借りたアザラシの役目は終わった。
それに、どうせまたすぐにこの家に戻ってくることになるだろう。
全てが終わって、もう何も気にすることなくまたこの家で、かなたと一緒に暮らせる日が来たら、その時に。
それから二人で作った夕飯を食べて、入浴を済ませた後。庭の灯りをつけて、外に出る。
滅多に使わない外の水道からバケツに水を汲んで、足元の照明を頼りに戻ると、すでにかなたはウッドデッキの端に花火を広げて、準備を始めていた。
再会して一緒に仕事をするようになって、かなたは大人になったな、と思うことが増えたけれど、こうして目の前ではしゃぐ彼女はあの頃と何も変わらない。
「結衣さんの家、お庭も広くて素敵ですよね。羨ましいです」
「そう? まあ、一人で住むにはちょっと広すぎるけどね」
コンクリートの地面の上にバケツを置くと、かなたはウッドデッキのふちに座って、緑色のぐるぐるした蚊取り線香を銀色の蓋の上にセットしていた。
ライターを取ろうとしたかなたの手を、掴んで止める。
「火、危ないから私がつけるよ」
そう言えば、過保護ですね、とかなたは笑う。なんとでも言ってくれて構わない。かなたが火傷するよりはいい。
「かなた、お酒持ってくるの忘れちゃった。私がやっておくから、冷蔵庫から持ってきて」
「わかりました」
頼めば、かなたは素直に立ち上がる。部屋着のショートパンツから覗く、白い内腿についた赤い印に目が奪われた。
昨日の夜、私がつけたものだけど、かなたはまだ気付いていないらしい。
見えないところならキスマークを付けてもいいと言うから、調子に乗ってやりすぎた。
これもかなたは気付いてないかもしれないけど、実は背中にも何個かあるってこと、後で教えてあげないと。そんなことを思いながら、私は蚊取り線香の端っこに火をつけた。
ウッドデッキの端に腰掛けて、私はハイボールを飲みながら、蚊取り線香と火薬の匂いに包まれて、はしゃぐかなたを見ていた。
初めて手持ち花火をやって思ったけど、お得用の一番大きな花火のパックを買ったのは、正解だったと思った。
消えてはつけ、消えてはつけを繰り返せば、バケツはすぐにいっぱいになって、花火はあっという間に減っていった。
「さ、結衣さん。勝負しましょう」
最後にそう言って、かなたはひょろひょろとした線香花火を一本取って私に手渡した。
「……負けた方が勝った方の言うこと聞くんだっけ?」
念を押すように聞けば、かなたは素直に頷く。
「そうです。火種が先に地面に落ちた方が負け。線香花火って、落とさないようにするの結構難しいんですよ」
「ふーん。かなた、自信満々だね。私に絶対勝てると思ってるんだ?」
そう問えば、かなたは勝利を確信しているかのように力強く頷いた。
かわいい。勝っても負けても、どのみちかなたのお願いは聞いてあげようと思っていたけれど、せっかくだから私のお願いも聞いてもらいたい。
ろうそくの前にしゃがんで、同時に線香花火の先に火をつける。少し間をおいて、それからパチパチと音を立てて小さな火花が散り出した。
真剣に火種を見つめている、暗がりで輝く花火に照らされた、かなたを見つめた。
結婚したい。慎二とじゃなくて、かなたと。
幸せすぎて、私はバカになってしまったかもしれない。唐突に、そんなことを思った。
わかってる。今の日本では、そんなことできないってことぐらい。
でも、かなたの気持ちが私に向いているうちに、この愛を誓い合いたかった。
抱きしめて、もうどこにも行かないように閉じ込めてしまいたいと強く思う。
「あっ」
そんなことを考えていたら、かなたが手に持つ線香花火の膨らんだ先がわずかに震えて、ジュッと音を立ててコンクリートの上に落ちた。
私の線香花火は、まだパチパチと火花を散らしている。
「……かなた」
名前を呼んで、じっと足元を見つめている、かなたに視線を向けた。
「これ、私の勝ちってことだよね?」
少し遅れて、私の花火の火花が落ち着いていく。そして最後まで地面に落ちることはなく、そのまま静かに消えた。
「一発勝負だなんて、誰が言ったんです? まだ、ありますから……線香花火」
唇を尖らせるかなたに笑う。
「もう一回やる? いいよ、何回でも」
もともと指先は器用な方だ。一回やって、コツは掴んだ。負ける気はしない。
かなたの挑戦に応えて、線香花火がなくなるまで勝負を続けたけれど、結局かなたは一度だって私に勝つことはできなかった。
冷凍庫で冷やしていたハーゲンダッツをかなたに手渡して、ウッドデッキに腰を下ろす。
拗ねて両足をブラブラしているかなたの肩にぴったりと肩をくっつけると、かなたはムッとしたままアイスのふたをべりっと剥がした。
「いい加減、機嫌直してよ」
「……結衣さん、大人気ないです」
「だって、真剣勝負でしょ?」
ハーゲンダッツはストロベリー味が好きだと言うから、私も同じものにした。確かに甘くて、かなたが好きそうな味だと思う。
ご機嫌斜めだったはずの私の彼女は、黙々とアイスを頬張っていて、次第に表情が柔らかくなってきたから、どうやら機嫌を取るためにアイスを持ってきたのは正解だったみたいだ。
そろそろ食べ終わるかなって時を見計らって、そっとその細い腰に腕を回した。驚いたように私を見るかなたのその首筋に唇を寄せると、花火と、お風呂上がりのかなたの匂いがした。
「あの、結衣さん?」
「……なんでも、言うこと聞いてくれるんだったよね?」
ずっと触れたくてたまらなかった、すべすべの白い太ももに手のひらを這わせる。
かなたと離れ離れになったあの日からずっと我慢していたからか、私のブレーキはいつの間にか壊れていて、気持ちが通じ合ったと知ってからは、もうまったく歯止めが効かなくなっていた。
慌てて私の手を握って止めるかなたの、淡いブラウンの瞳が揺れる。
可愛い。愛おしい。抱きしめたい。そんなことばかり、考えてしまう。
触れる手を阻まれてしまったから、仕方なくかなたの頬を手のひらで撫でて、それから唇を寄せた。
キスしても、かなたは、嫌がらない。もう私を拒否することもない。
何度か唇を触れ合わせて、キスを繰り返す。唇を軽く舐めて口を開けるように促せば、困ったようにかなたはギュッと私のTシャツを握りしめた。
かわいい。もっとしたい。何度しても、初心な反応に胸の奥が熱くなる。
口開けて、って小さく言えば、素直に従うかなたの身体をさらに強くぎゅうっと抱き寄せて、少し空いた唇の隙間から舌を差し込んだ。
冷たくなった小さな舌を追いかけて、絡めとる。あまいストロベリーの味がした。
かなたはあまりこう言うのは得意じゃないって知っているし、大事にしてあげないとと理性ではわかっているのに、求める手が止められない。
こんな私は、よくないってわかってる。
鼻から抜けるような甘い声が、私の理性をどろどろに溶かしていく。でも、もういいよね。だってこうして一緒に過ごせるのは久しぶりだし、恋人同士だし、私たちの間を邪魔するものなんて何もない。
苦しいって私の肩を押す手が、昨晩、かなたに噛み付かれた傷に触れて僅かに傷んだ。
仕方なく、そっと舌を引き抜いて唇を離す。濡れた唇を親指で拭ってあげれば、躊躇いがちにその瞳が私を見た。
「あの、結衣さん……」
「なに?」
「その、確かになんでも言うこと聞くとは言いましたけど……お願いって、そういうことじゃないですよね……?」
「禁止事項なんてあるの? なんでも聞いてくれるんでしょ? だって、そういうルールだったよね?」
「だ、だって……昨日もしたのに……」
「今日もしたい。だめ?」
そう言って誘えば、顔を赤くしてかなたは俯いた。
「……でも、花火、片付けないと」
本気で嫌がってるのかな。それとも照れてるだけなのかな。それが知りたくて、その瞳を覗き込む。
揺れる瞳は、少し戸惑っているようだけど、嫌がっているようには見えなかった。もうちょっと押せば、多分かなたは頷いてくれる。
そう思ってその手をギュッと握りしめた。
「……片付けは、明日の朝、私がやるから。ね? 言うこと、聞いてくれるんでしょ?」
だめ押しのようにそう言えば、私の目をおずおずと見つめ返して、それからかなたはこくりと一度、頷いた。
手を握りしめたまま、優しくベッドに押し倒して、何度も確かめるようにキスをする。
この子の何もかもが好きだ。薄い身体も、細い腰も、滑らかなこの肌も。
服を脱がせる瞬間は、いつだって高揚する。期待と不安が入り混じったような潤んだ瞳と目が合えば、よくない欲求がじわじわと湧き上がってくる。
初めてかなたを抱いた時も、本当は余裕なんてこれっぽっちもなかった。
女の子を抱くのなんて簡単なことだったのに。かなたを前にするとそれが途端にすごく難しいことのように思える。
心臓が壊れるんじゃないかってくらいずっと脈打って、頭がどうにかなりそうになる。
ちゃんと、我慢、しないと。決してかなたを泣かせたりしないように。欲望に負けて、めちゃくちゃにしてしまわないように。
かなたは、「自分は不感症だ」と言っていたけれど、実際触れてみたら全くそんなことはなかった。むしろちょっと敏感な方かも、なんて思ったけれど、それはかなたには言わないでおく。
左手の、中指と薬指から伝わる熱に夢中になっていると、たどたどしく名前を呼ばれて、涙が滲んだその瞳を見つめた。
その表情に、ばかみたいに煽られる。たまらない。ずっと見ていられる。もっとしたい。もっともっとしたい。
もうむり、って私に限界を教えてくれるかなたがあまりにもかわいくて、まだ終わらせたくない、と思ってしまう。
でも、あんまり長引かせるとかなたは泣いてしまうから、もう終わらせてあげないと。
私はいつも、自分の欲望と戦ってばかりいる。
ギュッと私の身体に縋り付くかなたの耳朶に唇を寄せて軽く噛むと、かなたはふいと顔を逸らした。
抱きついてきてくれて嬉しかったのに、何かに気づいたようにかなたは私の身体に回していた腕を解いて、自分の口を腕で塞いだ。
すぐに、昨日私を噛んだことを気にしているらしいと気付いて、その腕を右手で掴んで取り上げて、ベッドにぐっと縫い付ける。
小さく、甘い声が漏れた。その透き通る淡いブラウンの瞳が歪んで、涙が流れては、止めどなく落ちていく。
あぁ、また泣かせちゃった。もう泣かせないって決めたのに。ごめんね、かなた。
懺悔の意味を込めて、その耳元に唇を寄せて、「噛んでも、いいよ」って、とびきり優しくささやいた。
躊躇いがちだった腕が、私の身体をギュッと抱きしめる。そう思ったら、左の肩に昨日と同じ鋭い痛みが走って——私は思わずその痛みに呻いたけれど、その痛みすら、愛おしく思った。
***
「それで、かなたは私に何をして欲しかったの?」
シーツに包まって体育座りして、すっかり臍を曲げてしまったかなたを後ろから抱きしめながらそう聞くと、かなたは不満そうにじろりと視線だけで私を振り返った。
目尻が少し赤くなっている。ちょっとやりすぎたかも、なんて反省して、何度もその頬や肩に口付けた。
「別に、もういいです……。どうせ、負けちゃったし」
「そんなこと言わないで、教えてよ」
勝負に勝っても負けても、私はどのみちかなたのお願いを聞くつもりでいた。
「何か欲しいものがあるの? それならなんでも買ってあげる。だから拗ねないで。明日買いに行こうよ。ね?」
問えば、ふるふると首を振る。違うなら、なんだろう。一生懸命考えても、全然わからなかった。
痺れを切らして、もう一度「かなた」と呼んでその身体を揺らす。
するとかなたは私が引くことはないと観念したのか、唇を尖らせて言った。
「……べつに、ただ、来年は絶対に花火大会に連れてってくださいねって、お願いしようとしただけです……」
「え? そんなこと?」
世界で一番可愛い私の恋人は、ギュッと膝を抱えてさらに小さくなる。
「……それなのに、結衣さんってば、全然負けてくれないし……やらしいことばっかりする」
そんなに可愛いお願いなら、やっぱり負けてあげればよかった。
愛おしくてたまらなくて、堪えきれずに笑ってしまうと、かなたは私をばっと振り向いて、まるで不本意だと言うようにむっと眉を寄せた。
「なんで笑うんですか? もういい、結衣さんなんて知らない!」
「ごめんごめん、だって、かなたが可愛くて。大人気なくてごめんね。来年は絶対に連れて行ってあげるから、機嫌直してよ」
シーツごと、かなたをぎゅうぎゅうに抱きしめる。
腕の中でまだ怒っている愛しくてたまらない私の彼女のご機嫌を、これからどう取ればいいだろう。
そんなことを考えながら、あぁ、幸せだな、なんて思った、二十五歳の——夏だった。
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