第66話 アフタヌーンティーは如何ですか?

 難しい顔をしたまま予算管理課のデスクに戻ると、みんな一斉に椅子から立ち上がって私の元に駆け寄った。


 山里マネージャーが心配そうに私の顔を覗き込む。


「青澤さん、どうだった?」


「考え直すように言われました。好感触ではなかったです」


 肩を落として、素直にそう答える。落ち込まない、と言ったら嘘になる。結衣さんがどう思うのかは完全に博打だったけれどまさかあそこまで強くだめだと言われるとは、正直、全く想定していなかった。


「青澤ちゃん、落ち込むことないよ」


 慰めるように、三ツ矢さんはポンポンと私の背を元気づけるように叩いた。なんか懐かしいな。新人の頃、ミスをするたびにこうして三ツ矢さんは私の背を叩いて励ましてくれた。


「でも、それなら書類選考で落とせばいいだけなのに、どうしてわざわざ青澤さんのことだけ呼び出したのかしら」


 不思議ね、と山里マネージャーは首を傾げた。すると、さっきまで黙っていた瀬野さんが、薄く笑って言った。


「あと三日あるんでしょう? 諦めるのはまだ早いんじゃない。毎日社長室に押しかけちゃいなよ。だって、青澤さんだけなんでしょ、呼び出されたの。気になってるってことだと思うけど」


「押しかけるって……あんた何言ってんの。そんなこと出来るわけないじゃん」


 呆れたように、三ツ矢さんが鋭い目つきでじろりと瀬野さんを睨んだ。


 それでも瀬野さんは気にせずに笑う。


「そう? だって、行動しなければそのままそこで終わっちゃうし、こんなの恋の駆け引きと一緒でしょ。脈がなさそうだったらさっと引けばいいだけだもん」


 恋の駆け引きと一緒、か。なるほど、確かにそう言う考えも一理ある。でも……。


「……私、そういうのすごく苦手です。どうしたらいいでしょう」


 困ったようにそう言えば、瀬野さんはそのぽってりとした唇をしならせて薄く笑った。


「簡単だよ。青澤さん、好きな人いるって言ってたよね? 社長がその好きな人だと思って、残り三日間猛アタックしてみれば」


「あのさあ、あんまり青澤ちゃんをからかうのやめてよ。真面目な子なんだから」


「やだなぁ三ツ矢さん。別にからかってないよ? 堅苦しい三ツ矢さんにはできない具体性のあるアドバイスを、青澤さんにしてあげてるだけ」


 ガルガルといがみ合っている二人をよそに、腕を組んで考える。すると山里マネージャーが、ポンと私の肩を叩いた。


 優しくて暖かい温もりが、手のひらから伝わる。


「瀬野さんの言うことも、ありかもね。顔を売るチャンスかもしれないよ。肩の力抜いて、後悔しないようにできることを全力でやってごらん。失敗しても大丈夫。戻ってくる場所はあるんだから」


 そう言ってもらえて、私はこくりと頷いた。結衣さんに関してなら、困った時の相談窓口がまだ一人残ってる。私が知る中で、最も結衣さんの性格を熟知している、彼女の一番の親友が。





——相談したいことがあるんですけど、今日、会えませんか。


 チャットアプリでそう送れば、返事はすぐに返ってきた。






***






 十九時。待ち合わせた居酒屋に、律さんは颯爽と現れた。昔も今もフットワークが軽いところは変わっていないらしい。


 学生の頃と違って落ち着いたブラウンの髪色に変わった律さんは、グレーのパンツスーツがよく似合っていた。さすが銀行マン。シャキッとしてて、かっこいい。


 律さんは派手な見た目から不真面目そうに見えるけど根はものすごく勤勉で、それに加えていわゆる「コミュ力オバケ」のような人だ。


 個室に通されたあと真っ先にビールを頼んだ律さんは、一日の疲れを消し飛ばすかのように豪快にジョッキを呷ってビールを胃に流し込んだ。


「それで、相談したいことって? あいつ、またなんかやらかした?」


 私は鮭のおにぎりを頬張りつつ、ちびちびとレモンサワーを飲み始める。


「そうじゃないんです。実は……色々あって今、社内で結衣さんの秘書に立候補してるんですけど、すごく渋られちゃって。なんとか説得する方法ないかなと」


「あー、そう言えばなんかそんなこと言ってたね。秘書つけるとか。最近、結衣忙しいでしょ。たまに電話は来るけど、全然飲みに誘ってこないもん」


 塩茹でした枝豆を口の中に放り込みつつ、律さんが言う。やっぱり今も飲みに行ったりしてるんだ。相変わらず、二人は仲がいいみたい。


「だから私が秘書をやりたいって言ってるのに、結衣さん、嫌がるんです。それじゃ本末転倒だって」


「んー、まあ、大体あいつの考えてることは想像できるけどね……。結衣にとって仕事はあくまでも目的を果たすための手段でしかないから。かなたちゃんとは、仕事じゃなくてプライベートで会いたいのよ。でも、かなたちゃんはどうしても秘書になりたいんだ?」


「はい。だって、秘書になったらずっと一緒にいることになるんですよ。それで他の子が秘書になって、恋愛に発展しちゃったりしたら……」


 むくれてそう言うと、律さんは注文タブレットで唐揚げを注文しながら、笑って首を横に振った。


「あはは、ないない。それは絶対ない。だってあいつ、かなたちゃんにゾッコンだもん。それにね、もともと結衣は婚約破棄してから、かなたちゃんに会いに行くつもりだったのよ」


「えっ?」


 そんなの、初耳だった。じんわりと胸の奥が熱いのは、きっとアルコールのせいだけじゃない。本当なら……嬉しい。微笑みそうになる唇をきゅっと噛み締める。


「三年で結果を出すって焦ってたのもそうよ。結衣ってば、酔っ払う度に、“早くしないと、かなたが誰かと結婚しちゃう”って、煩かったんだから」


「そう、なんですか……」


 嬉しい。結衣さんは私のこと、そんなに想ってくれていたんだ。私は戦うことすらせずに、逃げ出した弱虫だったのに。


「それでも、どーしても、秘書になりたい?」


 でも、それを聞いたとしても、私は……。


 その質問にこくりと頷いた。やっぱり、結衣さんの隣にいるのは私がいい。私のために努力してきてくれたんなら、尚更だ。


「他の子には、譲りたくないです。だって、やきもち妬くのを我慢するのも、たぶん無理だし……」


「あは、なにそれ、かわいいわね〜」


「からかわないでくださいよ……。本気なんですから。律さん、結衣さんに弱点とか、ないですか?」


「弱点? そんなの分かりきってることじゃない。ほら、ここに」


 そう言って、律さんはぴっと私を指差した。弱点って……私?


「色仕掛けでもしてみたら? あの女好きが、四年も禁欲生活してたんだもん。かなたちゃんから誘ったら、さすがにもうイチコロでしょ、オーバーキルよ」


 律さんは、けらけらとからかうように笑う。


「な、何言ってるんですか、もー、律さんっ!」


 学生の頃、結衣さんは女の子とセックスするのが趣味みたいな人だった。だから、私と離れた後も、誰とも何もなかったなんてあり得るのかなって不安に思っていたけれど、あれ以降結衣さんがキッパリと女遊びをやめてくれていたのだと知って心の底から嬉しくなる。


 かーっと頬が熱くなるのがわかって、誤魔化すようにレモンサワーを流し込んだ。


 でも……色仕掛けなんて無理だ、私には。結衣さんとじゃ、経験に差がありすぎる。


 律さんはひとしきり笑ったあと、笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を人差し指で拭って言った。


「それが無理なら、そうねぇ……あと三日あるんでしょ? もしも期日までになんとかできなかったら……良い策があるわよ。ただし、これは奥の手ね」


 教えてください、と身を乗り出すと、律さんはイタズラを思いついた子供のようにニカッと笑った。





***





 勝負は、残すところあと三日で決まる。結衣さんに「仕方ないなあ」と言わせたら私の勝ち。NOを覆せなかったら、私の負け。


 締め切りまでに説得できなければ、山里マネージャーの推薦の力で書類選考を通過できたとしても、面談で落とされるだろう。


 他の候補者を選ばれる前に、勝負を決める必要がある。これは、短期決戦だ。


 翌日の、午後。ティーセットを片手にガタリとデスクから立ち上がる。


「山里マネージャー。小休憩いただいてもいいですか?」


 そう申し出ると、「うん、いいよ。行っておいで」と優しく送り出してくれた。


 私以外の二人はデスクにはいなかったけれど、時間的に三ツ矢さんもそろそろ煙草休憩から戻ってくる頃だし、瀬野さんはあまり小休憩を取らないから、離席してるだけだと思う。



 オフィスを抜け出して給湯室へ向かう道すがら、瀬野さんとばったりと鉢合わせた。やっぱり、休憩ではなかったみたい。お手洗いだったのかな?


 三ツ矢さんが前に、「瀬野さんはやる気がない」と言っていたけれど……それにしては、休憩をたくさん取るわけでもないし、なんだかんだで瀬野さんは一番デスクにいる時間が長いような気がする。


「青澤さん、休憩?」


 私が手にティーセットと小さなお盆を持っているのを見て、瀬野さんは首を傾げた。


「はい。……瀬野さんにアドバイスしてもらったこと、試してみようと思って」


 そう言えば、瀬野さんはにんまりと微笑んだ。


「そうなんだ。社長、お金持ちだし、綺麗だし……ライバルも多いと思うけど、青澤さんなら上手くいくと思うよ。私には脈なしそうだったから、諦めたけど」


「えっ」


 ギクリ、と思わず背を伸ばす。歓迎会の時の事を思い返す。瀬野さんはあの時、結衣さんの腕をギュッと抱き寄せていた。もしかしてあれ、やっぱりアプローチだった……?


「じゃ、頑張ってねぇ」


 そう言って、瀬野さんはあっさりと私の横を通り過ぎてオフィスへと戻って行ってしまった。

 その時、ふわりと今まで彼女から感じたことのないような、でもどこかで、誰かから嗅いだことのあるような匂いがして、首を傾げた。


 給湯室に向かおうと足を進めたところで、屋上から戻ってきたらしい三ツ矢さんが、廊下の向こう側からやってきた。


 このビルは喫煙室がなくて、喫煙者は今日みたいな夏のカンカン照りの日だろうが、土砂降りの雨の日だろうが、仕方なく屋上へといくらしい。

 喫煙者は肩身が狭いって、三ツ矢さんはいつも言っていたっけ。


「お、青澤ちゃんだ。今から休憩?」


 手には煙草の箱と、銀色の……なんだっけ、じっぽ? を持っている。三ツ矢さんはこれを集めるのが趣味だって言ってたような気がする。


「はい、ちょっとだけ休憩いただきます」


「了解。行ってらっしゃい」


 そう言ってひらひら手を振りながら立ち去った三ツ矢さんを見送って、あ、と気付いた。


 さっき瀬野さんからした匂いと、同じ匂いがした。そっか、あれは、煙草の匂いだ。


「……瀬野さんって、煙草吸うんだっけ……」


 ま、いいか。私が知らなかっただけかもしれないし。そんなことより今は給湯室に行かなくちゃ。ティーセットをギュッと抱き抱えて、私はもう一度歩き出した。








 ポーチから、小分けにして持ってきた茶葉と、一人用のポットを取り出す。それと朝にこっそり給湯室の冷蔵庫に入れておいたマカロンを、小皿にふたつ並べる。


 今日の茶葉は、アフタヌーンブレンド。午後の息抜きにぴったりだ。


 一つ分のティーカップに紅茶を注いで、それから、ティーポットを棚の中に仮置きさせてもらう。どうせ給湯室なんて、誰も使わないしね。


 お盆を持つと、オフィスまでまた歩き出す。目指すは、社長室。予算管理課のデスクの脇を抜けて、昨日初めて入ったばかりの分厚いドアをノックした。


 何人かに不思議そうに見られたけれど、今更どう思われたっていい。構わない。出来ることをやるしかないんだから。失敗した後のことなんて、考えたって無駄だもん。


 どうぞ、と結衣さんの声がして、私はドアノブに手をかけた。



 ドアを開けば、デスクチェアに座っていた結衣さんが私の顔を見るなり驚いたように目を見開いた。


 私だって本気だってこと、ちゃんと証明してみせる。なりふり構っていられない。やると決めたら、全力だ。


 だから私は、後ろ手でドアを閉めて、にっこりと微笑んでこう言った。



、アフタヌーンティーは如何ですか?」








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