第54話 私たちこれからどうなっちゃうんでしょう

 早いもので、あの奇跡的な再会から、早三週間が経った。でも、結衣さんからの連絡は一度もない。


 最初の一週間は、片時もスマホを手放すことなくずっとそわそわしていた。二週間が過ぎ、待てども暮らせども鳴らないスマホに、徐々にため息が増えていった。


 そして、三週間目。あの日のことは、もはや私の夢だったんじゃないかとすら思えてくる。


 結衣さんの、バカ。また会ってくれる? って、聞いたのは結衣さんなのに、どうして連絡のひとつもくれないんだろう。


 気になるなら、自分からメッセージを送ればいいのはわかっている。いくら忙しくても、結衣さんはそんなことで怒ったりしない。


 でも——結衣さんって、めんどくさい子、嫌いだからなぁ……。


 大学時代は一緒に暮らしていたから毎日顔を合わせていたし、こうやって連絡を待つなんてことはほぼなかった。あっても、私が帰省していた三週間ぐらい。


 世の中の恋する人たちは、こんなにももどかしい思いを抱えて生きているのかとしみじみ思う。今までこんな経験をせずに済んでいた私は、本当に恵まれていたらしい。


 結衣さんが連絡不精な人だってことは、一緒に暮らしていた時から知っていた。あの頃から、いろんな女の子たちから頻繁に電話がかかってきていたけれど、気が乗らなければ決して出ないし、メッセージなんて多分、ろくに返していなかったと記憶してる。

 だって、結衣さんは家にいるときはほとんどスマホなんて触っていなくて、いつもコーヒーテーブルの上に置きっぱなしだった。


 それを知っている手前、余計に連絡しづらい。結衣さんのことだから、どんなに忙しくても無視はしないと思うけど……今の結衣さんが、あの頃と同じ気持ちでいてくれているかは、正直一度会って話しただけではわからなかった。


 あの日、私のこと、かわいいって言ってくれたけど……結衣さんって、その気が無くても平然と女の子を口説く人だから。

 結衣さんの真意を知るためには、言葉だけを追ってはいけないということは、一緒に過ごした一年で、痛いくらい身に染みてわかっている。


 相変わらずメッセージを受信しない真っ暗なスマホの画面から、視線をPCモニターに戻す。


 だめだ、考えてもキリがない。仕事に集中しないと。はぁ、と何度目かもわからないため息をつくと、突然、隣に座っていた三ツ矢さんが椅子に座ったまま私の方に距離を詰めた。


 ぽん、と肩を叩かれて振り返る。切れ長のその瞳が、にんまりと面白そうに細められていた。


「……青澤ちゃんさぁ、ここ最近ずっとスマホ気にしてんね」


「えっ?」


「ずっとため息ついてるし、もしかして恋でもした? お姉さんが話聞いてあげようか」


 揶揄うようにそう言われて、かぁっと頬が熱くなるのがわかる。慌てて左右に首を振ると、三ツ矢さんはおかしそうに笑った。


「ち、違います、そうじゃなくて……」


「話は後で聞くから。あとはもう午後から会議だけだし、定時に上がって飲みに行こー!」


 違うととっさに否定したけれど、完全に恋煩いだとバレてしまっているようで、思わずがくりと肩を落とした。

 そういえば、大学生の時も、言わなくても律さんや悠里に、私が結衣さんのことを好きだということがバレていたことを思い出す。


 私って、そんなにわかりやすいのかな。もういい加減大人なんだから、顔に出さないようにしないと。

 気を引き締めるように、両手で頬を叩いてPCに向き直った。





 少し遅めの昼休憩を取った後、三ツ矢さんと一緒に手帳を持って会議室へ向かう。つい一週間前、WEB制作事業部所属の全社員に向けて、会議案内が届いていた。


 うちの事業部は、基本的にミーティングはチームごとで、重要な会議にはマネージャー以上しか参加しない。制作チームなども併せて総勢三十人ほどしかいないけれど、それでも全員が集まる会議なんて初めてのことだった。


「今日の会議さあ、何話すのかな。うちの事業部が大会議室使うのなんて、初めてだよね」


「そうですね。怒られたりしないといいですけど……」


 経営管理チームに一年いたから、いかにこの事業部が苦戦を強いられているかはよくわかる。営業チームも制作チームも、決して怠慢しているわけではないと思う。それでも、利益が出ないものは出ないのだ。

 大規模な組織改革や運用の見直しなんかは何度もやったみたいだけれど効果は薄くて、ほかの事業部からこの事業がお荷物扱いされているのは、何となくだけどわかっていた。



 大会議室のドアを開けると、そこにいたそうそうたる顔ぶれに思わずぎょっとする。三ツ矢さんが、私の脇腹を肘でそっと突いて小声で囁いた。


「……ちょっと、なんで社長までいんのぉ……」


「わ、わかりませんよ……。もしかして本当に怒られるんですかね……?」


 事業部の会議のはずなのに、なぜか社長がいる。開始時間よりだいぶ早く来たつもりなのに、まさか偉い人たちが既に来ているなんて思っていなかった。そそくさと、一番目立たない奥の席に、三ツ矢さんと二人並んで座る。



 定刻に近づくにつれて、徐々に人は集まり、WEB制作事業部の全社員が会議室に集まった時には、社長、副社長、事業部長が、神妙な面持ちで社員に向かい合うように勢ぞろいしていた。


 これは、ただごとではない。ここにいる全員が雰囲気を察して黙りこくっていて、会議室はしんと静まり返って重苦しい空気で充満していた。


 時計の針が定刻を指したとき、社長がすくっと立ち上がって、私たちに真っすぐ向き直った。


「お疲れ様です。本日は重要なご報告があり、皆さんにお集まりいただきました。ご存知の通り、WEB制作事業は、ここ数年間ずっと赤字が続いている状況でした。これを改善しようと、方針の見直しを重ねて参りましたが……我々経営陣の力不足により、もはや事業を継続することは困難であるとの結論に至りました。……そして、その結果、先日開催された臨時株主総会において、この事業を売却することが、正式に決議されました」


 会議室が、とたんに、ざわざわととどよめいた。


 え、事業……売却……? そういえば、三ツ矢さんが、前に噂になっていると言っていたことを思い出す。うちの事業部、やばいって。


 まさか、本当だったなんて。


 どよめきの中、社長が、ごほん、と咳ばらいをする。


「売却先の会社は……。一ノ瀬グループ傘下の子会社です。現在、WEBサイトの構築や運用をすべて外部の会社に委託しているとのことで、今後の既存事業拡大に伴い、自社化したいというニーズと合致した形となります。当事業が持つノウハウを生かすことができると双方に判断し、合意に至りました」


 ちょ……っと、待って。どくどくと、鼓動が早まっていく。今、なんて言った? 一ノ瀬グランドホテル株式会社って……結衣さんの……。


 ざわざわと騒がしくなっていく会議室の中で、私は結衣さんと再会した日のことを思い出していた。


 そっか、だから、結衣さんはうちの会社に来てたんだ。あの日、帰りの車の中で私の名刺を見て嬉しそうに笑ったのも、もしかして、私がこの事業部にいるってわかったから……?


 だから、「運命なのかな」って……そういうこと?


 混乱した思考を整理できなくて、頭を抱えたくなる。事業売却ってことは、つまり、社員も一斉に動くってこと……だよね。つまり、私はこれから結衣さんの会社の社員になるってこと?


 


 突然のことに頭が真っ白になって、それからの社長の話は、よく覚えていない。

 午後の会議は、騒然としたまま終わりを告げた。明日以降、事業部の全従業員に人事面談があって、給与条件などの話もそこで行われる、ということらしい。


 運用保守を任されている既存の顧客へのサービスだけは、別事業部に吸収される形で残るらしいけど、管理部門である私たちも含めて売却の対象であるらしい。


 具体的な話を聞けば聞くほど、なんだか現実味を帯びてくる。


 会議室から出ると、三ツ矢さんはがっくりと肩を落としてため息をついた。


「……噂にはなってたけど、まさかこんなに早く決まるなんてね。くそー、異動願だそうと思ってたのに、一足遅かったかぁ……」


「三ツ矢さん、私たちこれからどうなっちゃうんでしょう」


「うーん……。私はとりあえず、給与条件見てから、決めようかな……。一ノ瀬グループって言ったら、うちなんかよりもずっと大きい会社だし、もしかしたら今より条件いいかもしれないし」


 確かに、それはあるかもしれないけど……正直、私は給料なんてどうでもよかった。


 だって、まさか結衣さんの会社で働くことになるなんて。再会したときは、そんなこと想像もしていなかった。





 デスクに戻ってから、仕事する気も起きなかったのか三ツ矢さんはタバコ吸いに行ってくると言ったきり、しばらく戻ってこなかった。


 結衣さんは、三年で結果を出す、と言っていた。この事業買収も、その一環ってことなんだろうか。

 どういう意図があって決断したんだろう。経営情報が知りたかったけど、結衣さんの会社は上場していないからホームページに情報が載っていない。


 でも、細かい数字は見れなくても、親会社のサイトからなら事業別のセグメント情報が見れるはず。一ノ瀬グループは、、宿泊事業は結衣さんの会社しかやってないはずだから。推測ぐらいはできるかもしれない。


 そう思い至ってサイトを検索すると、予想は、あたりだった。


 結衣さんが社長に就任した一年目。営業収益も営業利益も前年に比較して大きく落ちている。

 二年目。収益は横ばいだけど、利益が目に見えて改善して、それと同時に設備投資がぐんと増えてる。

 でも、セグメント情報じゃざっくりしすぎていて……これだけじゃ、結衣さんがどんな意図で経営しているのかわからない。


 もっと知りたい。結衣さんが考えていること。同じ会社で働いたとしたら……もしかして私でも、力になれること、あるのかな……。


 気が付けば必死に経営情報とにらめっこしていて、三ツ矢さんにぽんと肩を叩かれるまで、彼女がたばこ休憩から帰ってきていたことに気づかなった。


「わぁ! び、びっくりした……」


「青澤ちゃん、真面目だねぇ。もう向こうの会社調べてたの? やる気満々じゃん」


 そう言って、三ツ矢さんがにかっと笑う。


「ち、違います。これは……」


「でもさ、私も考えたんだけど……ちょうどいいかもね。万年赤字の損益計算書 PLを眺め続けるより、成長途中の企業の数字追いかけたほうが、ずっと楽しいかもよ」


 そう言われて、確かに、と思った。経理から毎月送られてくるデータを見ても、ここまで熱心に分析しようなんて、思ったことなかったから。


「ま、考えたって仕方ないよ。さっさと仕事終わらせて、飲みに行こうぜ~」


「そう、ですね……」


 それから私たちは仕事を早々に切り上げて、三ツ矢さん行きつけの韓国料理屋さんで、会社の愚痴を言い合いながらたらふく食べて飲んで、解散した。


 あまりにもインパクトが大きい話を聞いたせいで、当初の目的であった私の恋愛話に飛び火しなかったことが不幸中の幸いだったけど。


 ぽわぽわした足取りのまま、まだ夢の中にいるような気持ちで、電車に揺られて帰路についた。

 アパートが見えてきたところで、ポケットの中でスマホが震える。あれ、三ツ矢さんかな。そう思って、画面を確認する。


「あ……」


 そこには、私がこの三週間、ずっと、ずーっと連絡を待ち続けていた、連絡不精な彼女の名前が、表示されていた。

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