二人の恋の応援団

 人から秘密を打ち明けられたのは、あの時が人生で初めてだった。


 確か、あれは大学一年の春。結衣と遊びに行った帰りで、私たちは駅のホームで電車を待っていた。

 たまたま別の友人から合コンのお誘いがあったから、そういえば結衣も彼氏がいなかったな、と思い出したのだ。


 どうせなら声をかけてやろうかと、「合コン誘われてんだけど、あんたも行く?」って、何気なく聞いた。

 そしたら結衣は、私を振り返ってさらりとこう言った。


「可愛い女の子が来るなら行く」


 たぶん、私は、何それ、と思わず口に出したと思う。合コンだって言ってるのに、なんで女の子? 言葉の意図が読み取れなくてぽかんとした私に結衣は笑って、私の目をしっかり見据えて言った。


 私、女の子が好きなんだよね、って。


 は? と、思わず素っ頓狂な声をあげたのを覚えてる。だって仕方ないでしょ、東京はどうか知らないけど、雪深い東北のど田舎から上京してきたばかりだった私は、そんな話、テレビの中でしか見聞きしたことがなかったんだから。


 気の利いたことなんて何も言えなくて、私はただ、「うっそぉ……」と唖然とすることしかできなかった。





 それから、すぐに電車が来て、私たちは何事もなかったように電車に乗り込んだ。結衣と私はそれから他愛のない会話を続けて、私のアパートの最寄り駅で別れた。


 その後、すぐに私は慌てて近所の古本屋に駆け込んで、買い物袋を握る手のひらがちぎれそうになるほど大量に「同性愛」についての本を買い込んだ。


 レジに本を持っていったとき、男性の店員に値踏みするようにじろじろと見られて、ちょっとだけ気まずい思いをしたのを覚えている。

 それと同時に、結衣が私に自身のセクシャリティを伝えてくれたとき、この店員と同じような反応をして結衣を傷付けてしまっていなかったかどうかが、少し気がかりだった。


 無知でいては、いけない気がした。一度価値観をフラットにして、正しく知識を付けなければいけない。そのためには、とにかく偏りがないように多角的な方面から知識を得ることが必要だった。専門書だったり、エッセイだったり、小説だったり、とにかくなんでもいいから情報が欲しかった。一冊本を読んだくらいじゃだめだ。そう思った。


 もともと勉強は得意な方だ。勤勉な秋田県民をなめるんじゃないわよ。受験勉強に比べたら大したことではない。

 夕飯を食べることも忘れて、買い込んだ本を、その日朝日が昇るまで読み込んだ。







 その整った見た目のせいなのか、結衣は、一年の時からそれはそれは恐ろしくモテた。あの日読んだ本の中に記されていた、「人口の約8%は性的少数者である」、という一文は間違いではないのだと、結衣を見ていたら思い知ることになった。

 それどころか、体感的にはもっと多い気さえした。


 だって、十人女の子がいれば、そのうちの一人は確実に結衣に落ちる。


 これは多分結衣の容姿に起因しているところが多いと思う。

 こいつは、そういう魅力を持った女だったし、加えて、面食いではあるけれども、特に相手の女の子の系統にはこだわらなかった。連れ歩く女の子は年上だったり、同い年だったり、年下だったりした。

 簡単に言えば、顔が可愛ければよかったのだ。結衣が同性愛者だと知って寄ってくる女の子たちに、それ以上のことを求めているようには、見えなかった。




 私には、女性を好きになる気持ちはわからない。8%が性的少数者なら、私は92%のうちの一人だったということだ。結衣は、ものすごく洞察力に長けていたから、私にその気がないことなんて最初からお見通しだったらしく、一度だってそういう目で見られたことはない。


 単純に私の見た目が好みじゃなかった可能性も否めないけど……。まあ、そんなことはどうでもいい。


 私と結衣は、初めて会った時から気が合った。一瞬で親友になれると確信したし、そしてその勘はあたりだった。二年になっても、三年になっても、私は変わらず結衣の隣にいた。




 夜な夜な女遊びを繰り返す、結衣の姿は空虚に見えた。見えない何かを埋めようとしているような、そんな気がした。素行を窘めたこと自体は何度もある。いつか刺されても知らないわよって。そのたびに結衣は笑って誤魔化した。


 なんだか触れてはいけないものがそこにあるような気がして、それ以上、強くは言わなかった。



 そんな結衣が変わりだしたのは、大学三年の夏を目前に控えたころだった。思い返せば、ちょうど、春から結衣とルームシェアし出したあの子が家出した時期と重なる。


 ただの面食いなんだろうな、と思っていた結衣の好みが、がらりと変わった。


 今まで、顔が整っているという共通項を除けば、結衣が遊ぶ女の子の系統はばらばらだったのに、それが目に見えて変わったのだ。


 栗色の長い髪。丸くてぱっちりした目。ふわふわした感じの服装に、甘めの顔。そして極めつけは年下であること。どの子も、やんわりと既視感がある。


 結衣が好んで遊ぶようになったその子たちの共通点を洗い出せば、その特徴はたった一人の女の子にたどり着いた。


——わかりやすいやつ。


 どの子をとっても、どこかしらがあの子に似ている。バカね、どんなに似てる子を抱いたとしても、結局のところ本人じゃなければ虚しいだけでしょうに。


 たぶん、きっとこのときには結衣はあの子に恋をしていた。決して口には出さなかったけれど、今までずっと隣で結衣を見てきたから、私は態度でわかる。どこからどうみても、結衣はあの子が好きだった。


 どうでもいい女と遊ぶのなんかやめて、付き合えば良いのに。そんなに脈なしなのかしら。


 そう思ってあの子が働く喫茶店に足を運んで聞いてみたら、確かに恋愛対象は男性だとは言っていたけれど、結衣に完全に望みがないわけじゃなさそうに思えた。


 というか、もっとぐいぐい押せばいけそうに見える。赤子の手を捻るようにいとも簡単に女を口説けるはずのあの結衣が、なぜそんなに二の足を踏んでいるのかわからなかった。


 早く付き合っちゃいなさいよ。女遊びなんかやめて、まっとうな恋愛をすれば良いのに。

 何を思い悩んでいるのか知らないけれど、真人間になるチャンスじゃない。


 こうなったら、二人の恋を徹底的にサポートしてやる。そう決めた。






 それから夏、秋、と来て、目に見えてどんどん頻度が減っていった結衣の女遊びは、冬になって、いよいよ途絶えた。


 あの女好きの結衣が、他の女の子を抱けなくなるほどに、あの子に本気の恋をしてしまったらしいと知る。


 もはや、違う子では代わりにすらならないと言うことか。


 今まで結衣の胸元に必ずあったあの一粒ダイヤのネックレスがなくなって、代わりにあの子の胸にその輝きが移ったのを見たとき、心底嬉しかったのを覚えている。


 ここまで明確に好きを伝えているくせに、頑なに付き合おうとしない結衣は本当に頑固なやつだ。自分で自分の首を絞めてるだけじゃない、と、傍目から見ていた私は思っていた。


 私は二人の恋の応援団として、この一年かなり活躍してきたと思う。なかなか思うように進まない二人の関係にやきもきして、初詣の日、ちょっとだけ結衣に意地悪をしてやった。


 わざとらしくあの子の手を取って、横取りして見せたら、案の定子供みたいな顔で嫉妬していたから、本当に面白かった。

 ほらね。この子を独占したいなら、やっぱりちゃんと言わなきゃだめよ。結衣にそう伝えたかった。



 あの子から貰ったらしいマフラーを、冬の間中、結衣は毎日巻いていた。こんな結衣は見たことがなかった。誰も好きにならない、ただの女好きだと思っていたのに、恋をすると人はこんなにも変わるらしい。


 ほほえましかった。だからこそ、早く付き合っちゃえば良いのに、と私はずっと、ずーっと思っていた。







 いつも飄々としているくせに、この子のことになるとどうもそうはいかないらしい。二回目の春が来て、二人の関係は大きく動いた。


 二人の恋の分岐点となったあの日。


 慌てて電話してきて、何事かと思った。開口一番、結衣は、「律、助けて。お願い」と、震える声で言った。

 何かが起こったのだということがすぐにわかった。二次会の最中、テーブルに一人分の飲み代を叩きつけて、悠里に謝罪した後慌てて私は飲み屋を出た。


 そこで、結衣から聞かされた事実は、まるで現実とは思えない言葉のオンパレードだった。


 結衣に婚約者がいたことも、私はずっと知らなかった。簡単に言えば、隠していたその事実があの子にバレた、ということだった。

 そして傷付いたあの子は逃げ出して、結衣は、追うことができなかった。


 バカじゃないの、と、私は結衣を罵った。呆れてものも言えなかった。あんたが、あの子を心から好いていることは知ってる。男を愛せないことも。


 今までの結衣の行動の全てが、私の中でここでようやく繋がった。なるほどね、だから、恋人は作らないって、そういうことだったのか。


 結衣らしくない。あんたなら、もっと上手くやれたはずでしょ、と、喉の奥まで出かけた言葉を、飲み込んだ。


 恋をしているのだ、こいつは。それこそ自分が自分じゃなくなるくらい、本気の恋を。だから私も、そんな結衣を応援してあげたいと思っていた。


 確かに、いつもの結衣ならもっと上手くやれただろう。相手が、あの子じゃなかったら。



 結衣がしたことは、許されることじゃない。でも、私は三年間こいつを見てきた。どれだけこいつが本気かを、私は知ってる。だから私は結局、結衣の肩を持ってしまう。友達だから。




 あの時私はあの子に、「自分で決めた方が良い」と言ったけど、本当は、どうか結衣の側にいることを選んでくれないかなと期待した。

 でも、翌日、憑きものが落ちたような顔をしたあの子を見たとき、私は結衣の失恋を確信した。


 あんた、恋した相手が悪かったね。


 この子はあまりにも誠実すぎた。そしてお互いが、お互いを傷付けないために、お互いを思った結果、二人で茨の道を歩むことを良しとしなかった。それがこの恋の結末のすべて。


 側に居てあげようと思った。あの子がいなくなった後も、結衣の人生は続いていく。どんなに苦しくても、前を向いて歩いて行かなきゃいけない。

 いつまでも立ち止まってはいられないから、友人としてできることの最大限を、私は結衣にしてあげたいと思った。



 そうして、あの子が去ってから何度目かの夜。「いつものバーにいるから来て」と、結衣らしい簡素なメッセージが届いた。言われた通りに顔を出すと、カウンターに突っ伏して、飲んだくれているらしい後ろ姿を見つけてため息をつく。


 あーあ、ぼろぼろじゃない。だから、追いかけろと言ったのに。


 背中を叩いて、「大丈夫?」と声をかけたら、カウンターに頬を押しつけたままの結衣が、「大丈夫そうに見える?」と、涙を滲ませながら言った。


「ぜんぜん見えない」


 そう笑って言うと、結衣がむっと眉を寄せた。一体どれだけ飲んだのやら、アルコールに強いはずの結衣の顔が、赤くなっていた。


「……そう思うなら、もっと優しくしてよ」


「十分優しいと思うけど? それなら、かわいい子たち紹介してあげようか。今から何人か呼ぶ?」


 聞くだけ聞いてみたけれど、案の定結衣は左右に首を振った。だよね、今はそんな気にもなれない、か。


「元気出しなよ、今日は朝まで付き合ってあげるからさ」


 そう言って、結衣の肩を撫でる。もうすでにできあがっているらしい結衣は、項垂れたまま、小さく頷いた。


 二人の恋を応援してきた身としても、苦々しい結果になってしまったこと、残念に思っている。でもたぶん、あの子もきっと今頃一人で泣いてるよ。それに比べたら、あんたはまだ、ましじゃない。今ここに私がいるんだから。


 立ち直るまでは、優しくしてあげる。


 もちろん、あんたが立ち直ってから、この貸しは返してもらうけど。

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