第46話 俺のこと、ちゃんと紹介してよ
なみなみと淡い金色の液体が注がれた重たいジョッキを持ち上げて、幹事さんの「乾杯」のかけ声と共に、前後左右の人たちとジョッキをぶつけ合う。
飲み会には、「とりあえずビール」という風習があるらしい。最初の一杯は、有無を言わさずビールを飲む、というもの。
勢いに圧倒されそうになりながら、私もそれに倣ってその苦い液体を口に含む。広がる苦み。美味しくは、ない。
うぇ、と舌を出すと、目の前に座っていた律さんが、あはは、と声を出して笑った。
「かなたちゃん、ビール苦手?」
「何が美味しいんですか、これ。苦いだけじゃないですか……」
「かわいいねぇ。それ、飲んであげるから、別の頼みな」
そう言って、律さんは私のジョッキを取り上げて、代わりにドリンクの注文タブレットを差し出してくれた。
一方、私の隣にいる悠里は涼しそうな顔でビールを飲んでいる。ジョッキの中身はもう半分もなくなっていた。
私の舌と、みんなの舌、何が違うんだろうと首を傾げる。
「かなた、もうちょっと飲みやすいのにしたら? 甘いやつとかもあるから」
「そうだね、ちょっとビールは早すぎたかも……」
できれば苦くないやつがいい。結局、この一ヶ月の間で飲み慣れたレモンサワーを注文した。
居酒屋の一角を借り切ったこの「交流会」は、毎年定例で行われている催しだ。律さん曰く、「簡単に言えば、合コンみたいなもん」らしいけど。
「でも、誘っておいてなんなんだけどさ、よく結衣がOKしてくれたよね」
「え、何がですか?」
「結衣、かなたちゃんが飲み会に参加するの、絶対嫌がると思ってた」
さすが律さん。結衣さんのことよくわかってる。当たってます、めちゃくちゃ嫌がっていました。なんて言えないから、苦笑いして誤魔化す。
「……そんなこと、ないですよ」
「ふーん?」
この二人には、すでに私が結衣さんを好きだと知られてしまっている。幸いにも二人は同性愛に関して偏見がないから、知られてしまっても、別に問題ないと言えば、ないのだけど。
アルコールに弱い自覚があるから、あまりボロを出さないようにしないとと気を引き締める。
「レモンサワー頼んだ人ー!」
男性の声が聞こえて顔を上げる。私です、と言い出す前に、律さんがぱっと手を上げた。
「はーい、こっち! 持ってきて~」
律さんの呼び声に反応して、お酒で顔を赤らめたその男性が、私のレモンサワー片手に近づいてくる。突然、無遠慮に律さんの肩をがしっと組んだから、驚いて目を見開いた。
「律、この子たち、誰? 初めて見る顔じゃん。紹介してよ!」
律さんが、嫌そうにその手を振り払って、彼からレモンサワーを奪い取ったあと、私に手渡してくれた。
「だめ。ナンパ目的なら他あたって」
そう言って、しっしっと払いのけるような仕草をするも、懲りずにその男性は律さんの隣に腰を落ち着ける。
「俺、赤木昌也。律と同じ四年生。君たちは?」
その勢いにちょっとびっくりしてたじろいでしまった私と違って、悠里は大して気にもせず、お摘まみの枝豆を口に運びながら「阿澄悠里です」と軽く応えた。
え、悠里、すごい。なんでこんなに慣れてるの、と内心すこし驚きながら、私も「青澤かなたです」と自己紹介をする。
「二人とも、相手しなくていいよ。昌也、どっかいけ、本当に」
「そう言うなって。そういえば、今日は結衣こないの?」
「こないよ。用事があるんだって」
「そうなんだ、ラッキー! 結衣がいると、女の子たちみんなそっちに行っちゃうからさ」
ぴき、とこめかみに青筋が立ったのがわかる。へぇ、そうなんだ。やっぱり結衣さん、いつも飲み会では女の子に囲まれているんだ。
渡されたレモンサワーを、ぐいっと煽る。今日、結衣さんがこれなくてよかったかもしれない。もしそんな場面に出くわしたりしたら、また頭から水をぶっかけてしまいそうだ。
「ねえ、二人とも。連絡先教えてよ。仲良くしようよ」
連絡先? そういえば、結衣さんに連絡先を聞かれても交換しちゃいけない、と言われたことを思い出す。どうしよう、と隣の悠里に視線をそっと移して様子を伺う。
悠里は、スマホを取り出す素振りも見せずに、からあげにレモンをかけていた。
うわ、強いなぁ。なるほど、「押しに強い人」って、悠里みたいな人を言うんだ。
どうしよう、と視線を泳がすと、律さんがすっと目配せをした。スマホを出さなくて良い、と言われたような気がする。
「昌也」
赤木さんが差し出しだスマホを、律さんがぱっと掴んだ。
「二人とも、困ってるじゃん。それにこの子たち、恋人いるから無理よ。諦めてさっさと違うテーブル行きな」
「えっ、そうなの? なんだぁ、残念……」
そう言うと、赤木さんはあっさりと立ち上がった。なるほど、これが結衣さんの言う「悪い人」か。ちょっとびっくりしたけど、勉強になった。
「……律さん、私、恋人いませんけど……」
彼がいなくなったあとに、そう呟くように言うと、律さんがにかっと笑う。
「嘘も方便ってことで。それにぶっちゃけもう恋人みたいなもんじゃん?」
恋人みたいなもの。そういう風に見えるんだろうか。恥ずかしくなって視線を逸らすと、隣で悠里が「私なんて、候補すらいないけど」と、不満そうに呟いた。
初めての飲み会は、思っていた以上に楽しめた。確かに、結衣さんが言うように色んな男の人が寄ってきて、隣に座ってきたりもしたけれど、律さんと悠里がそのたびに上手いこと躱してくれたから、助かった。
正直、一人で参加するのはまだ無理かな、と思ったけど。これもひとつの社会勉強……になったと思う。居酒屋を出て、腕時計を見ると九時を回ったところだった。
「二次会あるって言ってるけど、どうする? 行く?」
律さんがそう聞いてくれたけど、私は左右に首を振る。
「そろそろ結衣さんも帰ってくる頃だと思うので、今日はもう帰ります」
「オッケー。悠里は?」
「まだ飲み足りないから、私は行きます」
悠里は私と違ってお酒に強いみたいで、顔色ひとつ変えずけろっとしてる。いいなぁ。なんだか私ばっかりアルコールでぽやぽやしてるみたい。
「じゃあ、かなたちゃん、駅まで送っていこうか?」
その提案には首を振る。大丈夫、そこまでは酔っていない。ちゃんと歩いて帰れる。
「大丈夫です。一人で帰れます」
「わかった。気をつけてね。じゃあ、お疲れ様~!」
二人に手を振って、きらきらとネオンが輝く飲み屋街を一人歩く。夜風が頬に当たると、涼しくて気持ちがよかった。
早く帰ろう。もう結衣さん、帰ってるかな。足取りは自然と軽くなる。飲み会、確かに楽しかった。でも、家で結衣さんと映画を飲みながら飲むお酒の方が――もっともっと美味しかった。
お酒を飲むと恋しくなる。早く会いたくなる。連絡しようかな、なんて、ポケットの中のスマホを取り出そうとしたとき。
目の前に、よく知る背中が見えた。
心臓が、ギュッと縮まるような錯覚を覚えた。既視感がある。この光景。蘇ってくる、あの日みた、悪夢。結衣さんの隣。背の高い男の人が並んで歩いている。
「……結衣さん……?」
自然と、唇からその名前がこぼれ落ちた。無意識だった。
さらりと、その艶のある長い髪が揺れて、振り返る。少しだけ驚いたように、見開かれた瞳。
「かなた……?」
立ち止まる、二人。そして、遅れて振り返った、スーツを着たその男性の顔を見る。端正な顔立ち。整えられた清潔感のある髪型。学生じゃない。如何にも、会社員、って感じのその人。初めて見る顔なのに、私は、この人が、誰か知っている。
お酒で火照っていたはずの頬が、冷たくなっていくのを感じる。どうして、男性と二人で歩いているんだろう。食事会が終わって、駅まで送って貰ってただけ?
「あ……偶然だね、かなた、今帰りだったの?」
結衣さんが、少しだけ焦ったようにぎこちなく笑った。
「この子、もしかして結衣と一緒に暮らしてるっていう、例の子?」
血の気が引くような感覚がした。「結衣」って。どうして、そんな馴れ馴れしく名前を呼ぶの。会社の人、なのに。どうしてそんな親しげに……。
「あ、うん、そう。ごめん、慎二、かなたと一緒に帰るから、今日はもう送ってくれなくて大丈夫」
慎二——やっぱり。この人が、北上慎二。結衣さんの顔を見つめることもせずに、じっと、背の高いその人を見つめた。
心臓が、ドクドクとうるさい。感情が濁流のように胸の中で暴れ回る。言葉に出来ない不快感が、どっと押し寄せてくる。
「結衣の友達だろ? 俺のこと、ちゃんと紹介してよ」
はっとして、結衣さんが、焦ったように北上さんを振り返った。
「初めまして。結衣の婚約者の——北上慎二です」
喧騒も、何もかも、遠ざかっていくような感覚を覚える。
時が、世界が、私だけを切り取ったように——止まったような、気がした。
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