第45話 あの時も、本当は嫉妬してたんですか?
翌朝。リビングへ向かうと記憶の通りちゃんと空き缶はテーブルの上に転がっていたし、結衣さんが放り投げた照明のリモコンは、しっかりとソファの下に横たわっていた。
あの出来事が、確かに夢ではないのだと思い知らされる。たった数本の缶チューハイでは、恥ずかしい記憶を消し飛ばすには弱すぎたらしい。
レースのカーテン越しに朝の柔らかい日差しが差し込むリビング。
ソファの至る所に放り投げられた私の服たちが何とも生々しくて、しばらく結衣さんの顔を見ることができなかった。
あの、忘れられない誕生日から、早一ヶ月。
やっと定着してきたピアスホールに、誕生日に結衣さんから貰ったピアスを初めて通す。あれから、まずは真っ先に病院にピアスを開けに行った。
ファッションピアスを付けられるようになるまで時間がかかるなんて知らなくて、それならもっと前に開けておけばよかったと本当に後悔した。
鏡越しに写る自分の姿を見て、なんだか少し大人になったような気持ちになる。
ゴールドで縁取られた、白いクローバーを模したデザインの可愛らしいピアス。
誕生日の夜、ホテルでディナーを楽しんだあと、当然のように連れていかれたスイートルームで、渡されたその箱の中身。
ひと目見て、それがとても高価なものだと気付いた。でも、それ以上に、そのデザインに目を惹かれた。すごくかわいい。心臓を撃ち抜かれたかのよう。一目惚れに近かった。
だから、誕生日からの一ヶ月は、すごくすごく長かった。
毎日、結衣さんから貰ったピアスの箱をあけて眺めるのが習慣になっていた。これを付けることができる日を、私は今か今かと待っていたから。
私の手を握って、優しく微笑んでくれた結衣さんを思い出す。
この恋は、泥沼だと思ってた。
確かに、事実だけ並べてみれば、以前にして状況は何も変わっていない。相変わらず私たちは恋人同士ではないし、この関係に名前はまだない。
それでも、あの夜から確かに何かが変わった気がしていた。
へんなの。身体を重ねただけで、心まで通じ合ったような気がするのは、私が浮かれているから、なんだろうか。
身なりを整えた後にリビングへ向かうと、結衣さんはソファの上で読書をしていた。
「ね、結衣さん、見て見て」
背もたれ越しに、結衣さんをのぞき込む。声をかければ、結衣さんはすぐに本に栞を挟んで顔をあげてくれた。そのピアスが見えるように耳に髪をかけて、顔を傾ける。
「どうですか? 似合ってます?」
「あ、今日から付けられるようになったの? かわいい。思った通り、すごく似合ってる」
そう言って、結衣さんは嬉しそうに微笑んだ。その笑顔に釣られて私も笑顔になる。そっとその手が伸びてきて、私の耳をふにふにと遊ぶように触るからくすぐったい。
「もう、痛くない?」
うん、と頷くと、結衣さんは笑ってこっちにおいでと私を手招いた。ソファに回り込んで、その隣に腰を落ち着ける。
身体の関係を持った後も、結衣さんは相変わらずだった。
いつだって変わらずに優しいし、本当に何も変わらない。
今までの彼は、身体の関係を持った途端急に横柄になったりしたものだけど……。遊ばれなかったということに関しては、ちょっとだけ安心してる。
「こんなに可愛いと、もう家から出したくなくなっちゃうな~……」
ピアスを付けた私を正面からじーっと見つめて、結衣さんは深くため息をつく。
今夜、私は律さんと悠里と一緒に、同じ学部の交流会に誘われている。お酒が飲めるようになって、初めての「飲み会」だ。緊張半分、わくわく半分。
結衣さんはと言うと、恒例の食事会がぶつかってしまったから、参加できなかった。
「……あんまり、飲み過ぎないようにね? かなた、押しに弱いから本当に心配」
飲み会に参加すると決まったときから、結衣さんはずっとこんな感じだ。心配してくれるのはもちろん嬉しい。
でも、誕生日を迎えてからこの一ヶ月、結衣さんと一緒に夜にちまちまお酒を飲んでアルコールに慣れる練習を重ねた。だから大丈夫、失態はおかさない、と思う。
「大丈夫ですよ。律さんも、悠里もいるし……」
「でも、他の人も大勢いるでしょ。口説かれても、絶対について行っちゃだめだよ? 連絡先も絶対に交換しちゃだめ。世の中、悪い人だらけだからね」
結衣さんが眉根をきゅっと寄せて思い切り不満そうにそう言うから、思わず笑ってしまう。
「最近まで、その“悪い人”だったくせに、一体どの口が言うんですか」
飲み会で散々女の子をお持ち帰りしまくってきたプレイガールの結衣さんが言う台詞じゃない。私がそう指摘すると、結衣さんはむっとして、突然私の腰に片手を回して身体を引き寄せた。
「わ、っ!」
突然のことにバランスを崩す。すると鎖骨に軽く噛み付かれて、びっくりして身体をのけぞらせた。逃がさない、そんな強い意志を、腰に回った腕から強く感じる。
唇を押し当てたところを強く吸われて、何度か経験したことがあるちくりとした軽い痛みを感じる。
「ちょ、っと、結衣さん……!」
肩に手を置いてぐっと力を込めて抵抗すると、呆気なく身体が離れた。顔を上げた結衣さんは、目的を果たしたからか満足そうに微笑んだ。
「もう、なんでこんな見えそうなところに……!」
別に、キスマークを付けられるのが嫌なわけじゃない。服で隠れるところなら、別に誰に見せるわけでもないし好きにしてくれていいと思う。
でも、こんな人の目につきそうなところに付けられるのは抵抗がある。服でギリギリ隠れるか隠れないかのラインにつけるから、タチが悪いのだ。
見つかって指摘されるのも恥ずかしいし、そもそも、こんなの、説明のしようがない。
「変な虫がつかないように、虫除け」
そう言って、結衣さんがそっとその手首を私の首筋に押し当てた。甘い、結衣さんの香水の香りがする。
あぁ、そういえば前にもこんなことあったなぁ、と思い出す。確か、早川くんと動物園にパンダを見に行ったとき。こんな風に、出かける前に結衣さんに香水を付けられたっけ。
あの時は、結衣さんが何を考えているのか全然わからなかった。でも、今なら少しだけわかる気がする。そうか、あの時も、結衣さんは――。
「もしかして……あの時も、本当は嫉妬してたんですか?」
「え?」
結衣さんが、きょとんと目を丸める。何のことを言っているのかわからないって顔をしているから、おかしくて思わず笑ってしまう。
「ふふ、覚えてないなら、いいです」
「かなた、いつの話してるの?」
「なんでもないですよー。結衣さんって、口に出さないだけで、今思えば結構態度に出てたんだなーって。それだけ」
「えぇ……?」
思い当たる節がないらしく、首を傾げている結衣さんを横目に、そろそろ時間だからと立ち上がる。なんだか前と立場が逆転したみたい。
今までは、結衣さんが飲みに行くのをただ黙って見送るだけだったけど、今は違う。やっぱり二十歳ってすごいな、急に大人になったみたいに感じる。
「……本当に、気をつけてね」
「はい。結衣さんも、気をつけて行ってきてください。それじゃあ、行ってきます」
玄関先まで見送ってくれた結衣さんが、いってらっしゃいとキスをしてくれたから、どこかふわふわした気持ちのまま家を出た。
夕方の少し肌寒い風を感じながら、そっと耳元のピアスを撫でる。ネックレスに始まり、こうしてひとつずつ、私の身体に彼女の証が増えていく。それがとても嬉しく、愛おしく思う。
大学生活は長い。今はまだ結衣さんの恋人になれなくても、いつかきっと、恋人になりたいと言わせてみせる。着実に距離は縮まっているはずだから。
こうして一つ一つ年を重ねていくたびに、できることが一つずつ増えていく。私も大人になって、いつか、与えてもらうだけの自分から卒業できたら。
甘え下手なあなたの、支えになれるかもしれないと思った。
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