第40話 首にネギを巻くのも忘れないで
目の前にはケーキスタンド。それから琥珀色のロイヤルミルクティー。
やっぱりホテルのアフタヌーンティーは違うなぁ、と感嘆しながら、サンドイッチに手を伸ばす。
通されたのはガラス張りの窓際の席で、悠里の銀色の髪がキラキラと日差しを反射してまぶしい。
早くも食べ始めようとした私と違って、悠里は迷うようにその手を泳がせている。
「えっと、何から食べればいいの?」
「下から順に……なんだけど、食べたい順でいいと思うよ? ここ、日本だし、二人だけだし」
そう言って、一口サイズのサンドイッチを頬張ると、悠里もそれに習ってサンドイッチに手を伸ばした。
前に結衣さんに、ホテルのディナーに連れて行かれた時、そんなことを言われたなぁと思い返す。
友達同士なんだから、美味しければいいし、楽しければそれでいい。実際、ここにアフタヌーンティーを楽しみに来ている女の子たちは、そんなことを気にしている人の方が少ないと思うから。
今日は、悠里とショッピングに来ていて、午後にアフタヌーンティーに行こうと私が誘った。
家で紅茶を淹れて楽しむのもいいけど、たまにはホテルで楽しむのもありかなぁ、なんて。
今日は結衣さん、毎月恒例の食事会だって言っていたし、帰りは遅くなるだろう。
だから私は今日悠里に遊んでもらって、なんとか気を紛らわしていた。
安心したようにサンドイッチを頬張っていた悠里が、突然何かを思い出したように私の目を見る。
「そういえば……かなたはさぁ、大学卒業したらイギリスに帰るの?」
あまりに突然の質問だったから、少しだけびっくりする。
「え? ううん、帰らないよ。日本で就職するつもり。家族だっていつ日本に帰ってくるか、わからないし。どうして?」
今私の家族がイギリスに住んでいるのは、お父さんが仕事で駐在しているからだ。お父さんの仕事の都合によっては、家族もいつかは日本に帰ってくる。
「律さんがそろそろ就活の準備しなきゃって言ってたから、なんとなく」
就活……そうか。もうそんな時期なのか。私たちは来月、大学二年生になる。という事は、つまり結衣さんと律さんは、四年生と言うわけだ。
結衣さんの、大学生活最後の年になる、のか。
「そうだよね。今年で最後だもんね。私もこの一年で……家事とか、できるようにならないとなぁ」
結衣さんは最初から就職先が決まっているから、就活はしなくていいにしたって、社会人になってからは今みたいに、時間に余裕のある生活ではなくなるだろう。
そうなったときに、家事もろくにできないお荷物のままではさすがに良くない。
ため息と同時にそう言えば、悠里が目を細めて笑った。
「もしかして、家事とか全然やってないわけ?」
「だ、だって……ほとんど結衣さんがやってくれるから……」
事実なんだけど、指摘されてなんだか居心地が悪い。
「へー。そのうち家から追い出されても知らないよ?」
「結衣さんはそんなことしないよ! たぶん……」
「先輩は、かなたのことちょっと甘やかしすぎだよね〜」
確かに、それは自覚があるから、言い返す言葉もない。
「でもちょっと意外だったなぁ。先輩って彼女には尽くすタイプなんだね」
「彼女?」
何のことを言ってるんだろうと、首をかしげると、悠里が目を細めて意地悪く笑った。
「付き合ってるんでしょ?」
「な、何言ってるの!?」
びっくりして、紅茶を吹き出しそうになる。
「隠さなくていいのに。見てればわかるよ。先輩のこと大好きなんだって」
人から客観的にそう言われたのは初めてだった。私、そんなふうに見えるんだろうか。恥ずかしくて顔が熱くなってくる。
「バレンタインだってさ、すごい真剣に悩んでたじゃん? 何か、恋っていいなーって思った」
悠里は偏見とかは無さそうだけど、少しだけ心配になった。
女性に恋をしている私って、そうじゃない人から見たら、どんなふうに見えるんだろう?
「……女同士なのに、変だと、思う?」
女の人が女の人に恋するなんて、今の日本では、あまり大きな声では言えない。今更それを恥ずかしいとは思わないけど、身内からの評価は、気になったりもする。
「なんでよ。何もおかしくないでしょ? 人を好きになるのって、とっても素敵なことだと思うよ。性別は関係ない」
悠里が屈託なく笑った。あぁ私は友人に恵まれたなぁと心から思う。少しだけ心が軽くなったような気がした。
「……でも、ほんとに付き合ってないからね」
「そうなの? でも、律さんが、あの二人はもう時間の問題だって言ってたよ」
思わず苦笑いする。やっぱりそうか、律さんも私の気持ちに気づいていたらしい。
恥ずかしくて思わず両手で顔を隠すと、悠里のからかうような笑い声が聞こえた。
ショッピングとアフタヌーンティーを楽しんだあと、悠里と別れて、帰路につく。
今日は食事会だって言ってたし、結衣さんはもう出かけているだろう。夜まで待っているのは退屈だけど、これは仕方がないことだと、自分に言い聞かせる。
鍵を開けて、家の中に入ると、リビングの明かりがついていることに気付いた。
もう七時を過ぎているけれど、もしかして結衣さんまだ出かけてないのかな。
廊下を進んでリビングのドアに手をかけたとき、話し声が聞こえた。結衣さんの声。誰かと喋ってる?
こっそりドアを開けると、キッチンで結衣さんが誰かと電話してるようだった。なんだか声がいつもより少し掠れている気がする。
「……今日はごめんなさい。うん、うん、ありがとう。それじゃあ」
通話を切ったと同時に、結衣さんが私が帰ってきたことに気がついたようだった。
「あ、おかえり、かなた」
けほ、と軽く咳払いした結衣さんは、なんだか少し体調が悪そうだ。
「結衣さん、今日食事会じゃなかったんですか?」
「んー、うん。そのはずだったんだけど、なんだか熱っぽくて。お父さんに電話して、今日はキャンセルさせてもらった」
言われてみたら、確かにいつもよりも頬が赤い気がする。バックをソファに放り投げて、慌てて結衣さんに駆け寄った。
「熱、測りましたか?」
「ううん、測ってない。測ったらもっと体調悪くなりそうだもん」
気持ちはわかるけど、前に私が風邪をひいた時は、真っ先に熱を測らせたくせに。
「ご飯は食べました?」
結衣さんはてっきり食事会に行ってるもんだと思ってたから、私はご飯を食べて帰ってきてしまった。
結衣さんが前に看病してくれたみたいにできたらよかったけど、私は料理ができないから、必然的に何か買ってこないといけない。
「食欲ないから、食べなくていいや。かなたにうつすと悪いから、部屋で寝てる」
そう言って、フラフラとおぼつかない足取りで自室にこもろうとする結衣さんの手を慌てて掴んで止める。
「今更何言ってるんですか、もう。ご飯食べないと、お薬も飲めないじゃないですか。作ってあげることはできないですけど、買ってくることぐらいはできますから」
「いいよ、ほんとに。寝てれば治るから。かなたに移す方が、やだ」
今更だけど、気付いてしまったかもしれない。結衣さんって、もしかしてめちゃくちゃ甘え下手なんじゃないだろうか。
世間一般では妹って甘え上手って言われてるはずなんだけど、結衣さんの場合は、その限りではないらしい。
「じゃあ、とりあえず結衣さんは寝てていいですよ」
そう言って、その背を彼女の部屋に押し込める。フラフラと吸い寄せられるようにベッドに横になった結衣さんを見届けた後、私はもう一回ソファに放り投げたバッグをひっつかんだ。
近くにスーパーがある。ここから歩いて行ける距離だ。
こんな時、今まで家事をやってこなかった自分を本当に心から呪う。
お粥のひとつぐらい簡単に作れる女だったらよかった。なんて今更悔やんだところで、一朝一夕でできるようになるわけでもない。
とにかく今の私にできることをしないと。
コートのポケットに突っ込んでいたスマホを取り出して、連絡帳をタップする。
何を買っていってあげたらいいのかも、正直全く見当もつかない。でもそんな私にも強力な助っ人がいる。
電話は、数コールでつながった。
『はーいもしもーし。律でーす』
底抜けに明るい声が電話越しに聞こえる。
「かなたです、すみません。助けて欲しいんですけど」
『えっ、なになに、どうしたの?』
「結衣さんが風邪をひいちゃって、熱があるみたいなんですけど、何を買って行ってあげればいいか、わからなくて」
恥を忍んで、助けを求めるしかない。こればっかりはもう本当にしょうがない。
本当に私は何もできないんだなぁと思い知らされる。風邪をひいた好きな人の看病すらろくにできないなんて。
『あー、今どこに向かってるの?』
「近くのスーパーです……」
『ん、それなら何でも揃うね。かなたちゃんって料理できないんだっけ?』
「はい……」
『大丈夫よ。レトルトのお粥とかあるからさ、鍋で温めればいいだけだし何個か買って帰りな。あと、熱がひどそうだったら経口補水液とか……まぁ、スポーツドリンクでもいいと思うけど。あとは、りんごとか、フルーツとか、アイスとか? 食べやすそうなやつかな。首にネギを巻くのも忘れないで』
最後の一言に思わず吹き出す。少しだけ緊張していた心がほぐれたような気がした。
「ふふ、ネギですか? そんなの、本当に効果あるんですか?」
『何よぉ、田舎のばーちゃんが言ってたから、間違いないわよ。騙されたと思って試してみなって』
また出た、「田舎のばーちゃん」。前に律さん、黒たまごをお土産で渡した時も同じようなこと言ってたような気がする。
「……ありがとうございます。本当に助かりました。結衣さんが嫌がらなければ、試してみますね」
『どういたしまして。困ったらいつでも電話してね』
頼りになるなぁ、ほんとに。律さんと仲良くなれて、本当によかった。本当、結衣さんが心を許すだけある。
電話を終えた頃、ちょうどよくスーパーに着いた。
律さんから聞いた「買うべきもの」をひとつだって忘れないように、何度も心の中で繰り返しながら、私は買い物かごを手に取った。
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