第36話 私だって、妬いたりするよ
「やっぱり、付き合ってんじゃん」
あけましておめでとうを言う前に、甘酒片手に開口一番そう言い放った律さんに、私は慌てて結衣さんのポケットの中で繋いでいた手を引っこ抜いた。
「な、何言ってるんですか」
いつもは優しい焦茶色の垂れ目が、意地悪く細められる。
しくじった。律さんと会うとわかっていたのに、普段から外出しているときに結衣さんと手を繋ぐことが当たり前になりすぎていて、律さんと会う前に手を離す、ということに考えが至らなかったことを深く深く反省する。
「だって今、手、繋いでたよね」
「……結衣さんって、誰とでもこうじゃないですか」
苦し紛れにそう言う。誰とでも手を繋いでいるかどうかなんて知らないし、本当にそうなのだとしてもすごく嫌だけど……今は、そう言うしかない。
「そう? 私、結衣と手繋いだことなんかないけど」
面白そうに笑って律さんが言うから、居たたまれなくなって視線をそらした。
もうお手上げ。律さんは結衣さんに負けず劣らず口がうまいから、これ以上何を言っても墓穴を掘るだけだ、絶対。
「律、あんまりかなたのこと虐めないでよ」
困っていると、結衣さんが助け舟を出してくれてホッと胸を撫で下ろす。
「かなた、律の言うことなんて気にしなくて良いから、もう一回手繋ご?」
そう言って、結衣さんは私の前に手を差し出して笑った。
こんな状況下で、繋ぎ直せるわけがない。何を考えているんだろうとその黒い瞳をのぞき込めば、結衣さんのその黒い瞳も、うっすらと笑っていることに気付く。
結衣さん、絶対律さんにからかわれるとわかっていたくせに、繋いだ手をそのままにしてたんだ。
言ってくれたらよかったのに。律さんと会うから手、離そうって。
ひどい。二人で私をからかって遊んでるに違いない。
「……やだ。もう一生繋がない」
左右に首を振ってそう答えれば、律さんが吹き出すように笑った。
「ごめんごめん、冗談だから拗ねないで。友達同士で手繋ぐのなんて普通だもんね。だから今度は私と手繋ご。屋台、見て回った? お詫びに何でも奢ってあげるからさ」
ばちんとウインクして、律さんが私の手を取って引っ張った。
ちょっとだけ機嫌を持ち直した瞬間、反対の手をぎゅっと掴まれて、歩き出そうと踏み出した足を止める。
「……律」
不機嫌そうな結衣さんの声がして振り返る。何を言いたいのか、視線だけでわかった。律さんが、結衣さんの視線の先——私と繋いだ手をぷらぷらと振りながら、意地悪く笑う。
「何よ。付き合ってないんでしょ? あんたの彼女じゃないんなら、いいじゃん。ねー?」
そう言って私の目をのぞき込んでくる律さんは、まるで悪戯っ子のように微笑んでいた。同意を求められて思わず勢いのまま頷くと、結衣さんがむっと眉をひそめる。
「……かなた」
え、今度は、私? どうしろと? 律さんは手を離すつもりはないみたいだし、結衣さんに握られた手も一向に離れる気配が見えない。
じーっと私を見つめてくるから、どうしたらいいのかわからなくておろおろと二人を交互に見つめていると。
「結衣。かなたちゃんを独り占めしたいなら、付き合ってからにしな」
そう言って律さんが私の手を引いた。今度は呆気ないほど簡単に結衣さんの手がほどける。
はぁ、とため息をついて、結衣さんが諦めて私たちの後ろを歩き出す。
結衣さんにしては珍しく、わかりやすいくらい不満だって顔に書いてあるから、私も思わずちょっと笑った。
「律さんの地元って、どこなんですか?」
律さんと手を繋ぎながら、屋台がたくさんある通りを歩く。
「私は秋田。めちゃくちゃ豪雪地帯だよ。結衣のこと実家に連れてったとき、本当びっくりしてたよね」
実家に連れて行った? 思いがけないワードを聞いて、思わず結衣さんを見る。
「結衣さん、律さんのご実家に行ったことあるんですか?」
「あるよ。大学一年の冬だったっけ?」
「そうそう。結衣さぁ、雪だるま作ってめっちゃはしゃいでたよね」
秋田か……なんとなく律さんっぽいな、と思った。色白だし、美人だし。
二人は親友だし、お互いの家に行ったことがあってもおかしくないのかもしれないけれど。いいなぁ、二人の関係。正直ちょっと、嫉妬しちゃいそう。
雪だるまを作ってはしゃぐ結衣さん、私だって見てみたい。
律さんと繋いだ左手は温かい。でも、結衣さんのポケットの中の熱が恋しいな、と少しだけ思った。
屋台を回って一番私の興味を引いたのは、お正月なんて全く関係のない、たこ焼きだった。湯気と共に美味しい匂いが立ち上るそれを、ベンチに座って、ひとつ頬張る。
「んー、美味しいです」
たこ焼きなんて食べたの、何年ぶりだろう。日本に帰ってきてよかった、と思うのは、日本ならではの食に触れた瞬間だったりする。
六個入りのたこ焼きが、どんどん私の胃の中に消えていく。
「かなたちゃんって、本当に美味しそうに食べるね」
「え、そうですか?」
食べるのは確かに好きだけど、そう言われたのは初めてかもしれない。
「うん、すっごく美味しそうに見える」
「じゃあ、最後の一個、律さんにあげます」
もともとは律さんが買ってくれたやつだし。最後のひとつを爪楊枝に刺して、持ち上げる。そのまま律さんに食べさせてあげようとしたけれど、突然その手をぱっと掴まれてしまった。驚きで、一瞬固まる。
引き寄せられた手は、左隣の律さんではなく右隣の結衣さんの方へ。
呆気に取られている間に、ぱくり、と結衣さんがそのたこ焼きを頬張ってしまった。
もぐもぐしている結衣さんに、呆然とする。爪楊枝の先にあったはずのたこ焼きが、ない。なくなってる。
「結衣さん! それ、律さんにあげようと思ったのに……」
「ごちそうさま」
にっこり笑っていう結衣さんに、律さんが声を出して笑った。
「結衣、あんた、大人げなさ過ぎ!」
べー、と結衣さんが律さんに舌を出す。二人に挟まれながら、なんだか今まで見たことがない結衣さんを見れた気がして、たまにはこうしてみんなで遊ぶのもいいかも、なんて思ったのだった。
「もう十分でしょ。そろそろかなたのこと、返してよ」
そう言って私の手を取った結衣さんに、律さんは、「はーい」とあっさり私の手を離した。
多分律さんは、結衣さんをからかうために私の手を繋いだに違いなくて、別れ際にこっそり耳元で「ネックレス、似合ってるよ」と言ってくれた。
頬を染めた私に気付いた結衣さんが、何を言ったのかと詰め寄っていたけど、律さんは笑って流していた。
私の気持ち、もしかして律さんは気付いているのかな。結衣さんに想いを寄せる女性なんてそれこそ星の数ほど見ているだろうし、気付かれていても不思議ではないとは思うけど。
繋いだ手がポケットに引き込まれる。早く帰ろ、と結衣さんが言うから、私はこくりと頷いた。
家に着いてソファに腰を落ち着けたら、急に腕を引かれて抱きしめられて、結衣さんが私の首筋にぐりぐりと擦り寄ってくる。
「あの、結衣さん……?」
抱き寄せてくる腕がいつもよりも強くて、不思議に思って伺い見れば、結衣さんがにっこり微笑んだ。
ぎゅっと、強く繋がれる手。笑っているけど、私の身体を抱きしめるその腕の強さがどうにも、その笑顔に不釣り合いな気がする。
「……かなたって、いつも友達とも手繋いでるの?」
「え……」
友達と? 手? 悠里とかと? ふるふると左右に首を振る。
「繋がないです……」
「じゃあ、なんで、今日は律と手繋いだの。断ればよかったのに」
私をじっと見つめる黒い瞳が笑ってない。あれ、もしかして、結衣さん怒ってる……?
「な、なんでって、だって律さんが……」
ごにょごにょと、言い訳の声が小さくなる。視線を俯かせてしまうと、ちゃんとこっち向いて、と結衣さんの指が私の顎を持ち上げた。ぶつかる視線。逃げることは、許されないらしい。
「だって、あの状況で断るのって、おかしくないですか……? それにいつも、結衣さんとだって手繋いでますし……」
「私と律は、かなたにとって、一緒なの?」
ぎくり、とする。そんなわけない。一緒じゃない。なんて言えばいいかわからなくて推し黙ると、結衣さんがその綺麗な眉をきゅっと寄せた。
「……じゃあ、かなたは求められれば律ともこういうこと、するんだ?」
「え……っ」
んむ、とキスで言葉を奪われて、肩を押されて呆気なくソファに背中が沈んだ。
熱の籠った口付けに、頭の奥がびりびりとしびれてくる。
柔らかな舌が私の唇を舐めるから、条件反射のように少しだけ唇を開けば、簡単に舌を絡め取られてしまって、その感触にぞくぞくと背が震える。
律さんとも、こういうことするかなんて。そんなわけないって、わかってるくせに。
行き場のない嫉妬心をぶつけるような強い腕に、たまらなくなってその首に腕を回して引き寄せた。
呼吸が苦しくなって、息が上がったころを見計らって、引き抜かれる舌。ぺろりと濡れた唇を舐めて私を見下ろすその黒い瞳を、私も負けじとじっと見つめ返した。
「……こういうこと……律さんは、しないと……思うんですけど」
胸を上下させながら、息も絶え絶えにそう言う。律さんは同性愛者じゃないし、結衣さんみたいに軽くもない。
「……してきたら、受け入れるのかどうかを聞いてるの」
そっと、首筋からすうっと胸元のダイヤにかけて、結衣さんの指が這う。
「……私、かなたにキスを許してもらえるようになるまで、すごく頑張ったのに。律と一緒みたいなこと言うから」
むすっと子供みたいに眉を寄せてそう言うから、笑わずにはいられなかった。
普段はスマートな結衣さんだけど、こう見えて、結構可愛いところもあると思う。
「……なんで笑うの? 真剣に言ってるんだけど」
笑われたことに対して不本意だって顔をするから、首に回した腕をぎゅっと引き寄せて、その不機嫌な黒を見つめた。
「こういうこと、誰とでもするわけじゃないです。結衣さんは、特別。だから許してください……今日のことは」
不機嫌だった結衣さんの瞳が、やっと柔らかくなる。
ぎゅーっと苦しくなるほど抱きしめてくるから、よかった、許してもらえたんだなとホッとした。
今日のことは、私がよくなかったと思う。
私だって、もしも結衣さんが目の前で私の友達と手を繋いだりしたら、絶対に嫌だし不機嫌になる。
まぁ、私の場合は多分結衣さんほど気が長くないから、家まで不満をぶつけるのを我慢できないと思うけど。
「……結衣さんも、かわいいところあるんですね」
くすくす笑ってそう言えば、結衣さんが顔を上げてじっと私を見つめてくる。
落ちてくる艶のある黒髪をそっと撫でて、耳にかけてあげると、指先がピアスにぶつかったから、そのままピアスを撫でるようにする。
「……私だって、妬いたりするよ」
「そんなに私のこと、好きなんですか?」
好きって言って欲しくて、わざと聞いた。答えを聞かせて。耳朶を撫でていた指をそっと滑らせて、柔らかな唇に触れる。
「……好きだよ。何回もそう言ってるでしょ」
唇に触れていた手を取られて、もう一度重なる唇。
じんわりと、胸の奥が熱くなる。好きと言われただけで、こんなにも幸せな気持ちになる。
首筋にキスされて、ぴくりと身体が震えた。そのまま優しく舐められたと思ったら、強めに吸われてちくりと痛む。
この感覚は、覚えがある。温泉で結衣さんに、キスマークをつけられたときと同じ。
「結衣さん、そんなに強く吸ったら、痕ついちゃいます」
「……付けたくて、付けてるの」
「キ、キスマークって、恋人同士とか、セックスするような間柄の人に付けるものじゃないんですか……?」
「そうだよ。かなたは、私のものだって意味」
付き合ってもくれないくせに、よくもこの人はそんなことが言えたものだ。そう思うのに、向けられた独占欲に思いがけずキュンとしてしまって、拒否することなんて、できなかった。
結局、その日は一日中結衣さんは機嫌を直してくれなくて、私の身体を抱きしめて離してくれなかった。
あのあと、キスマークはさらに二つ増えることになり、翌日私は鏡の前で、コンシーラー片手に深いため息をつくはめになったのだった。
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