第33話 かなたに、あげる
「かなた、準備できた?」
「もうちょっとです。すみません」
リビングから聞こえる結衣さんの声に返事をして、コテの電源を切る。
緩く巻いた毛先を軽く整えたら、鏡に映る自分の顔をチェックする。あとはリップに色を乗せたら完璧だ。
今日はクリスマス・イヴ。天気予報では夕方から雪が降ると言っていた。ホワイトクリスマスに心を躍らせて、いつもより気合いが入ってしまった。
久しぶりの結衣さんとのデートだから、少しでも可愛いって思って欲しくて。
思ったより準備に時間が掛かってしまった言い訳はいくらでもある。それを結衣さんに伝える勇気はないけれど。
慌ててリビングに向かうと、結衣さんが私を振り返ってにっこりと笑った。
「いつもかわいいけど今日は一段とかわいいね」
ギュッと私を抱きしめて、可愛い可愛いと言ってくれる結衣さんこそ、相変わらず綺麗でドキドキする。長身でスタイルがいいから、どんな服装でも似合って羨ましい。
髪を切った日も、髪色を変えた日も、新しく買った服にだって、いつだって可愛いと言ってくれる。
いつも私の小さな変化に気付いてくれることがすごく嬉しいって、まだ伝えたことはないけど。
「もー、結衣さん、離してください。リップ塗ったら、終わりですから」
「じゃあ、塗る前にキスさせて」
良いとか悪いとか言う隙も与えずに、そっと顎を持ち上げられて、触れるだけのキスをされる。もう、こんな不意打ちのキスにはすっかり慣れてしまった自分がいる。
「……結衣さんのリップ、ついちゃうじゃないですか」
「ごめんごめん、だってかわいいんだもん」
優しく唇を拭われると、胸の奥がむずむずする。
深い黒の瞳が私を愛おしそうに見つめる。その瞳に見つめられるだけで、心の奥底までのぞき込まれてしまうような錯覚を覚える。
そんなに優しくなくていい。もっと息が出来なくなるくらい強く抱きしめて、私を好きだと言ってほしい。「かわいい」じゃもう足りない。
そんなわがままが唇からこぼれ落ちて行きそうになるのを、必死に押しとどめる。
恋を認めてしまったあの日からずっと、好きの気持ちが溢れて仕方がない。恋をすると周りが見えなくなるって本当だな、と思う。
今日、私は柄にもなく浮かれてる。だって結衣さんは、今日の日を他の誰でもなく私と過ごすことを選んでくれた。
今はそれでじゅうぶん。結衣さんがよそ見をしないでいてくれるなら、彼女の言う、「いつか」の日が来るまで、私はいくらでも待っていられる。
***
クリスマスに浮かれる町並みの雰囲気は結構好きだ。幸せそうな人々が手を繋いで笑い合って歩いている。
どこもかしこも赤と緑で装飾されたこの日は、道行く誰かにとっても特別な日に違いない。
もちろん、私にとっても特別な日。
「今日はどこに行くんですか?」
「まずはここ」
結衣さんが、コートのポケットから取り出した二枚のチケット。濃紺の背景に星座のデザイン。
「プラネタリウム? 私、小学生以来です」
「せっかくだから、ベタなデートコースもいいかなと思って。どう?」
こくこくと頷くと、結衣さんが笑う。じゃあ行こっか、と手を取られて、ぎゅっと握りしめたその手はポケットの中に吸いこまれて行った。
手袋は、敢えてしてこなかった。吐く息が白むほど寒いのはわかっていたけれど、こうして結衣さんが私の手を取ってくれること、知っていたから。
薄暗いプラネタリウムの中を、目的の席を探して歩く。クリスマスだからか満席みたい。結衣さんが予約してくれたのは、ペアシートのソファ席。始まる前のざわざわした空気感の中、ぴったりと肩をくっつけて、耳元に唇を寄せて小声で尋ねる。
「結衣さんって、星座詳しいですか?」
「全然。オリオン座ぐらいしかわかんないなぁ。東京からじゃそんなに星見えないよね」
「東京以外、住んだことあるんですか?」
「ないよ。かなたは?」
「私はあります。転勤族ですから。東京が一番長いですけど、日本の主要都市はだいたい行きましたね」
父親がだいたい二、三年周期で転勤を繰り返していたから、それに合わせて住むところはころころと変わった。そのたびに転校を繰り返すのは結構大変だったから、大学生になってようやく、地に足がついたような気がしている。
とはいえ、結衣さんの家に居候するのは、私が卒業するまでの間、という約束だけど。
「でも、あまり夜に空を見上げたことなかったので、星がどうだったかなんて覚えてないですね」
「じゃあ、いつか星が綺麗に見えるところに一緒に行こうよ」
「例えば、どこですか?」
星が綺麗なところ。田舎とか、離島とかかな。あんまりぱっと思い浮かばない。
「んー、そうだな。モルディブとか?」
予想外の国の名前が飛び出して来て、面食らう。国内じゃないんだ。想像していた以上にスケールが大きくて驚いてしまった。
「モルディブ? 確かに海に囲まれてるから、星、綺麗そうですけど……」
バカンスとかハネムーンで行くようなところで、気軽に旅行できるほど旅費は安くない。学生には、とてもじゃないけど行けるような国じゃないような。
「いつか、一緒に行こう。その為にまずは今から星座の勉強しないと」
そう言って笑って、結衣さんは天井に向き直る。徐々に、照明が落とされて薄暗くなる室内。ぎゅっと手を握られて、私もその手を握り返した。
映し出された満点の星空に、息を飲む。現実に、こんなに星空が綺麗なところがあるんだろうか。もし、あるんだとしたら、行ってみたいと思った。
いつか、結衣さんと一緒に。
プラネタリウムを見終わったあと、星空の余韻を残したままカフェでランチして、プレゼントを買いに行こうと電車に乗ってまた数駅。
銀座なんて滅多に来ないからどこにどんな店があるのかなんて私はわからないけど、結衣さんは頭の中に地図が入っているみたいにすいすいと進んでいく。
「どこのお店に行くんですか?」
「行けばわかるよ。もうちょっと先」
ネックレスを買ってくれるって言ってたけど、行きつけのお店なのかな。
繋いだ手をぎゅっと握りしめると、結衣さんが私を見て優しく微笑む。
あぁ、今、私が結衣さんを独り占めしてるんだなとようやく実感が湧いてくる。
「ついたよ」
そう言って結衣さんが足を止めた先の、高級ジュエリーショップの荘厳な建物を見上げて、思わず呼吸すら忘れそうになった。
「どしたの、入ろ」
繋いだ手を引っ張られたことで我に返った。慌ててその手を引いて結衣さんを止める。
「ストップストップ! 結衣さん、お店のチョイスがおかしいです! ここ、桁が違う!」
ここでネックレスを買ったら、それこそ数万円では済まない。
「遠慮しなくていいのに」
「本気で言ってます……? そんな高いものもらっても、私、結衣さんに返せないですよ」
「気にしなくていいよ。ただ、お揃いがいいかなって思ったんだけど」
「……そのネックレス、ここで買ったやつなんですか」
「そうだよ」
あっさりとそう言うけど、私にとってこういうジュエリーショップのアクセサリーなんて無縁の代物で、多分一生に一度買えるか買えないかというレベルだ。
確かに、そのネックレスを素敵だと言った。ダイヤがきらきら輝いてて、結衣さんにすごく似合ってる。でも……。
「……もう少し、心臓に優しい価格帯でお願いできませんか」
繋いだ手をキュッと握ってそう言うと、結衣さんが私の顔を覗き込んだ。
「なんで? お揃いがいい。どうしても、だめ?」
どうして買ってあげようとしている方がお願いしているんだか。普通逆だ。
ぶんぶんと左右に首を振る。さすがこれは看過できない。とてもじゃないけど高過ぎる。
「んー、じゃあ……お下がりなら受け取ってくれる?」
「お下がり?」
どういう意味だろう、と思ったら、結衣さんが自身の首の後ろに手を回してネックレスを外した。
呆然とする私の首にそっと手を回して、留め具をはめる。
「かなたに、あげる」
そっと、私の胸元に手を当てて結衣さんが笑った。
「う……受け取れないですよ。結衣さんの大事なものじゃないですか」
結衣さんが、このネックレス以外のものをしているところなんて私は見たことがない。
自分で買ったと言ってたけれど、多分それなりに思い入れがあるものに違いないのに。
「受け取ってよ。そのかわり、いつもしてて」
そんなにあっさり手放して、いいんだろうか。不安になって見上げても結衣さんは満足そうににこにこ笑うだけで、何を考えてるのかさっぱりだ。
「本気ですか?」
「うん、本気」
ここまで言い切られてしまったら、断る方が失礼かもしれない。
それに……結衣さんが大事にしているものをくれるなんて、素直に嬉しいという気持ちを抑えられなかった。
「わかりました……。ありがとうございます。大事に、します」
胸元に手を当てる。結衣さんの白い胸元にいつもある輝きが今、私の胸にある。不思議な感じだ。
「うん。じゃあ、別のプレゼントも買いに行こうか。次は心臓に優しい価格帯で、かなたの好きなもの、何でも買ってあげる」
にっこり笑って結衣さんは私の手を取って、再び歩き出す。
え、これ以外にも買ってくれるの? 嬉しいんだけど、でも、ちょっと心配になる。
「……結衣さんって、もしかして貢ぎ癖あったりします?」
疑うように尋ねると、結衣さんが笑った。
「今頃気付いたの? かなた限定だけどね」
「……他の子にもそうだって言われたらどうしようかと思いました……」
「それはないよ〜。私のバイト代だって無限にあるわけじゃないもん」
「え、バイト代? 結衣さんってバイトしてるんですか?」
「家業の手伝いだけどね。データ集計したり、資料作ったりとかの雑務。時間の制約もないから楽だよ。その対価でお小遣いもらってる感じ」
なるほど、それでたまに結衣さんはお父さんに呼ばれて会社に行っていたのか。
たまにパソコンを触っていたのは、勉強してるんだとばかり思ってた。
「……バイト代は、自分のために使った方がいいって私には言ってたのに」
「かなたのためにお金を使うことは、私のために使うことと同じだから」
「なんですか、それ」
「かなたが喜ぶ顔が見たいの。それだけだよ」
ネックレスをつけた胸が熱い。私だって結衣さんが喜ぶ顔をみたいと思うから、その気持ちはわからないでもないけど。
照れ隠しに繋いだ手を強く握りしめる。来年も一緒にクリスマスを過ごせるかな。過ごせたらいいな。
「……あ、雪だ」
予報通り、空から降り始めた真っ白の雪に、街中が騒がしくなる。
私は、空を見上げる結衣さんの横顔に見惚れていた。
結衣さんは誰のものにもならないと、わかっていて恋をした。それなのに胸が締め付けられるように苦しくなる。
こんなにも、近くて遠い。
結衣さんは、私が喜ぶ顔が見たいと言うけどそんなの簡単なことだ。
結衣さんが私を思ってしてくれる全てのことが、いつだって私を笑顔にしてくれる。
あなたが私だけを見てくれたら、他にはもう何もいらないのに。
「心臓に優しい価格帯のクリスマスプレゼント」として結衣さんにねだったのは、まん丸のアザラシのぬいぐるみで、なんだか家が水族館になりそうだねと結衣さんは笑った。
電車に揺られて帰路に着く。ときどき結衣さんが優しい目で私の胸元を見つめるから、その度に胸の奥が熱くなった。
どんな気持ちで、贈ってくれたんだろう。
知りたい。でも、きっと結衣さんのことだから、聞いたところできっと教えてはくれない。
その気持ちのひとかけらでも、この繋いだ手から伝わる熱のように、いとも簡単に伝わればいいのにと、思わずにはいられなかった。
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