大学一年生、冬。

第32話 いい子だった? 私

 十二月に入ってから、秋はあっという間に過ぎ去って朝晩すっかり冷え込むようになった。


 リビングのカウンターの上に、雑貨屋さんで買ってきた小さなクリスマスツリーを飾る。


 結衣さんの家は整頓されていてシンプルでモノが少ないから、ちょこんと乗せたそのツリーは小さくても季節感を演出してくれる。


 本当はもっと大きなツリーが欲しかったけど、居候している身だし、贅沢は言えない。


「可愛いね、それ。どこで買ってきたの?」


 結衣さんがダイニングデーブルに今日のメインディッシュを並べながら尋ねてくる。


「バイト先の近くにある雑貨屋さんです」


「へえ、そんなお店あったんだ」


「結衣さん、クリスマスツリーとか、リースとか、あんまり飾らないんですか?」


「飾ったことないなぁ。普通は飾るの?」


 普通、がどうかはわからないけど、青澤家では母親がそういうのが好きだから飾っていた。

 だから世の中の一般家庭もそういうものだと思っていた。


「どうでしょう。うちは飾ってましたけど」


 結衣さんがスープを取り分けている間に、私もキッチンに行って、お茶碗にご飯をよそう。


 さっきからずっといい匂いがしていて、ぐーぐーとお腹が鳴りっぱなしだ。


「……うちもね、一応小学生までは来てたんだよ、サンタさん」


 結衣さんがくすくす笑いながら言う。


「へえ、結衣さんは、いつまで信じてたんですか?」


 幼い結衣さんを想像する。さぞかし可愛かっただろうなあ。


「最初から正体はお父さんだってわかってたけどね、ずっと黙ってたんだ。でも、四年生ぐらいの時かな。夜中にお手洗いに起きたら、サンタの格好したお父さんと鉢合わせたの、廊下で」


「えっ」


「形から入るタイプだったんだろうね。髭までつけてて。それで思わず私、笑っちゃったんだよね」


 思わず私も想像して笑ってしまう。あのドーベルマンみたいな結衣さんのお父さんが、そんなことをするなんて。


「それ以来、サンタさん来なくなっちゃった」


 結衣さんのお父さんって、不器用だけど愛情深い人なんだろうなと思う。


 でもそう考えると、ますますわからない。雪哉さんとお父さんは、なぜ仲違いしてしまったんだろう。








 いただきます、と両手を合わせれば召し上がれ、と返ってくる。


 最近、家にいることが多くなったせいか、結衣さんは、夕飯を作ってくれることが増えた。


 結衣さんが作ってくれるものは全部おいしい。二人で食卓を囲んで、今日あったことを話すこの時間が私にとって大切なものになっていた。


 飾った小さなツリーに視線を向ける。そろそろクリスマスがやってくる。


 結衣さんは、どうするんだろう。家族と過ごすのかな。それとも、飲みに行ったりするのかな。


 結衣さんと出会ってから初めて迎えるクリスマス。今まで、結衣さんはこの日をどう過ごしてきたんだろう。


「……結衣さん。クリスマスっていつもどうしてたんですか?」


「え? 家にいるよ、毎年」


「本当に? 色んな女の子に誘われそうなのに……」


「だって、一人に絞らないといけないでしょ? 変に期待させちゃっても仕方ないしね」


 確かに。クリスマスを一緒に過ごすというのはかなり特別感があるし、気持ちに応える気がないなら結衣さんのその選択は正解だと思う。


 だけど——そう言われてしまうと、ちょっと言いづらいな。クリスマスを一緒に過ごしたい、なんて。


「ふーん……そうなんですね」


「かなたは? 早川くんとデートするとか、言わないよね」


 テーブルの向こうで、じっと私を見つめる黒い瞳。


 早川くんの告白をちゃんと断った、ということをまだ結衣さんには言っていなかった。理由を聞かれたら上手に誤魔化せる自信がなかったというのが一番の理由だ。


「まさか。予定なんてないですよ」


 左右に首を振ってそう言えば、結衣さんがぱっと笑顔になった。


「ね、それなら、せっかくだからデートしようよ」


「デート、ですか?」


 今、クリスマスは女の子と過ごさないって、変に期待させちゃっても仕方ないって、言ってませんでしたか。それなら私は、期待してもいいってこと? と喉の奥まで出かけた言葉をぐっと飲み込む。


「クリスマスプレゼント、買いに行こ。可愛いネックレス買ってあげる」


 結衣さんはそう言ってにっこり笑う。いつもしているそのネックレスが素敵だって言ったこと、覚えていてくれたらしい。


「じゃあ、結衣さんは何が欲しいですか?」


 それなら私だって結衣さんにプレゼントをあげたい。誕生日は結局あげられなかったから、クリスマスこそは。


「私はいいよ」


 さらりとそう言われてムッとする。結衣さんっていつもこうだ。


 何でもしてくれて優しい彼女は、私から何かが返ってくることは、全くと言っていいほど期待してない。


「……私だってバイトしてるので、プレゼントぐらいあげられますよ」


 私がバイトしてる喫茶店は時給だって悪くない。結構シフトにも入っているし、それなりに貯金もできている。


「バイト代は自分のために使いなよ。かなたは今年一年いい子にしてたから、プレゼントを貰う権利があるんだよ」


「そんなこと言うなら結衣さんだって……」


「いい子だった? 私」


「それは…………微妙」


 素直に言えば、結衣さんがケラケラと笑った。結衣さんは、いい子、ではないと思う。どちらかと言えば悪い子だった。色んな意味で。


「買い物終わったら、どこかでご飯食べて帰ろうか?」


 結衣さんのことだからめちゃくちゃ高いホテルのディナーとかを用意してくるに違いない。


 そう思ったから、その提案には首を横に振った。


「お家でケーキ食べたいです。それで……夕飯は一緒に作りませんか?」


 料理なんてしたことないし、いつも結衣さんに作ってもらってばかりだけど、たまには私も一緒に作ってみたい。


 せっかくのクリスマスだし、お家でパーティも楽しいと思う。


 そう言ってみれば、結衣さんが優しく微笑んだ。


「いいよ。じゃあ、美味しいケーキ予約しておくね。何食べたいか、考えておいて」


 クリスマス、約束できてよかった。


 結衣さんはプレゼントはいらないって言うけど、もう勝手に用意しちゃおう。


 そんなに高級なものは用意できなくても、きっと結衣さんなら何をあげても、喜んでくれるはずだ。


 アクセサリートレーの隣に鎮座している淡いブルーの袋は、いまだに取手にリボンが掛けられたままそこにある。


 結衣さんが誕生日に貰ってきたそれ。多分、アクセサリーなんだろうけど、つける気どころか箱を開ける気もなさそうだ。


 プレゼントを送った人——「北上さん」の心情を思えば気の毒だなとは思うけれど、それを送った人が男性でよかった、と心から思う。


 相手が女性だったら、もしかして勝ち目はなかったかもしれない。


「……あのプレゼントくれた人、北上さん、でしたっけ」


 手付かずの紙袋を見つめながら呟く。


 確か、雪哉さんの幼馴染で、お父さんの会社の、専務の息子さんだって言ってた。


 雪哉さんの幼馴染ってことは、結衣さんも幼い頃から知っている人なんだろうか。


 結衣さんのこと、好きなのかな。結衣さんって綺麗だし、優しいし、女性だけじゃなくて男性にだってモテるに違いない。


「クリスマスも、毎年プレゼントくれるんですか?」


 何気なくそう聞くと、結衣さんの箸がぴたりと止まった。


「……なんで?」


「なんとなく、そうなのかなって」


 女の勘と言った方が正しいかもしれないけど。誕生日に高級ジュエリーブランドのプレゼントを渡すなんて誰にでもすることじゃないと思う。


 とすれば、クリスマスだってそうすると考える方が自然だ。


「んー、どうだったかな、忘れちゃった」


 あっさりそう言ってのける結衣さんは本当に彼に対して興味がなさそうだったから、何となく安心して胸を撫で下ろす。


 別に誰が結衣さんを好きだったとしても、結衣さんがそれに応える気がなければ構わないはずだ。


 ましてや男性で、結衣さんからしてみれば「恋愛対象外」の人。ライバルにすらなり得ない。


 会社の人だから、結衣さんが同性愛者だって知らないのかな?


 だからアプローチしてくるとか? それを煩わしく思ってるけど、会社の人だから断れない、とか?


 考えれば考えるほど謎が増えていく。


 心配する要素なんて何一つない。それなのに私は、「北上さん」が気になって仕方がなかった。


「クリスマス、楽しみだね」


 テーブルの向こう側で結衣さんが嬉しそうに微笑む。


 特別な日に私を選んでくれるということは、少なくとも今彼女の一番は私だと思ってもいいはずだ。


 にこにこしてる結衣さんをじっと見る。


 あーあ。結衣さんがこんなに綺麗じゃなかったらよかったのに。そしたら少しは私の気苦労も減ったに違いない。


「どしたの、じっと見て」


「……何でもないです」


 モテる人に恋しちゃったんだから仕方ないんだけど。


 いつか絶対に私だけを好きだと言わせてやると心に決めて、夕飯の最後の一口を飲み込んだ。

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