第28話 そういうところが、かわいいんだけどね

 旅行代金を用立ててくれたのは雪哉さんで、この旅行は結衣さんの誕生日祝いだから、本当だったら私が段取りをしないといけないはずだったのに、結局、宿の予約から列車の予約まで全てを結衣さんがやってくれた。


 いつものことだけど、私は彼女に手を引かれるまま、ついていくだけ。

 気付いた時には、箱根湯本行きの特急列車に乗っていた。



 普通の列車と違って見晴らしがいいその電車はとても乗り心地が良くて、さすが「ロマンスカー」と言うだけある、と感心する。


 当たり前のように窓際を譲ってくれる彼女は、相変わらず今日も優しい。




 駅弁を広げると、いよいよ旅行気分が高まってくる。


「何から何までしてもらって、すみません。結衣さんの誕生日旅行なのに」


「いいよ、準備するのも楽しかったから。気にしないで」



 最近の結衣さんは、ちょっと私を甘やかしすぎだと思う。

 私はいつも、あれがいい、これがいいと選ぶだけで、いつだって結衣さんはその願いを叶えてくれる。

 現に今だって、何も言わなくても紙パックのお茶にストローを刺して、目の前に置いてくれた。


 びっくりするけど、結衣さんっていつもこんな感じなの。


 ちゅーっとストローに吸い付く。前に結衣さんが、自分はめちゃくちゃ尽くすタイプだと言っていたけど、正直私は最初、半信半疑だった。


 でも、今になって納得する。


 嘘じゃなかった。付き合ってなくてこれなら、付き合ったらどうなっちゃうんだろうと思うくらいに、結衣さんはとことん優しかった。

 


「……結衣さんって、女癖の悪さ以外は本当に欠点のない人ですよね」


「なにそれ、褒めてるんだか貶してるんだかわかんないよ」


 結衣さんはそうやって笑うけど、そのたった一つの欠点が、かなりの爆弾なんだよな、と思う。


 優しさに絆されてみんな忘れてしまうけど、その優しさが向けられるのは自分だけじゃないんだってことを、肝に銘じておかなきゃいけない。


 それでもいいって人が大勢いるから、きっと結衣さんの周りにはいつだって女性が寄ってくるんだろうけど。


 私はわがままだから、絶対に、その他大勢の中の一人でもいいなんて思えない。


 もし実際に目の前で、普段私にしてくれるようなことを他の女性にもしているところを見てしまったとしたら、絶対に嫌な気持ちになると思う。


 ふたりきりでいることが多いから、忘れてしまいがちだけど。



「あ……そういえば、律さんからお土産のリクエスト来てたんですけど」


「え? 私には連絡来てなかったよ」


「黒たまご、買えるだけ買ってきてって言ってました。全部自分で食べるって。でも、一個食べると七年寿命が伸びるはずだから……あんまり食べすぎてもよくないですよね」


「……長寿の世界記録でも狙ってんのかな?」


 目を見合わせて、吹き出すように笑う。



 窓から覗く空は、どこまでも青い。秋が終われば冬が来て、一年なんてあっという間に過ぎ去っていく。







 列車は、一時間半かけて目的地までたどり着いた。はやる気持ちを抑えきれずに結衣さんの手を引っぱって改札を出る。


 家から新宿駅につくまでは結衣さんに手を引かれてついていくだけだったけど、目的地についてしまえばなんてことはない。

 正直、いまだに電車の乗り換えは覚えられない。ロンドンの地下鉄は、東京に比べればまだ簡単だった。


「ねー、結衣さん、早く」


「そんなに慌てなくても、温泉は逃げないのに」


「だって……」


 せっかくこの日のために観光ブックを読み込んできたんだし、目いっぱい楽しみたい。


 十九歳にもなるのに、子供っぽいと思うだろうか。


 ちょっとめんどくさかったかなと結衣さんを見上げると、結衣さんは目を細めて、私の頭を優しく撫でた。


「そういうところが、かわいいんだけどね」


 照れ隠しをするように視線を逸らして彼女の手を引っ張る。

 そういうことをさらっと言うところが、結衣さんのすごくずるいところだ。


「で、どこに行きたいんだっけ?」


「まずはカフェです。お店は調べてますから、任せてください」


「了解。じゃあ、お言葉にお甘えて連れてってもらおうかな」


 そっと手を繋ぎ直されて、指が絡む。はからずもドキッと心臓が跳ねる。


 最近ずっと、こんな調子で困ってる。結衣さんの一挙手一投足が、私の心をかき乱して仕方がない。


 どうか繋いだ手から私の気持ちが伝わりませんようにと、ありもしないことを考えながら彼女の手を引いた。










 抹茶味のティラミスを食べている時も、こだわりの紅茶を楽しんでいる時も、結衣さんはテーブルの向かい側で、にこにこしながら私を見つめていた。


「おいしい?」


「おいしい、です」


 この優しい眼差しが大好きだけど、ちょっと苦手でもある。

 この深い黒に、私の心の中まで覗き見られてしまいそうで、たまに不安になる。


 本当は全部わかってるんじゃないか、とか。私が思い悩むあれこれも、全部わかっていて結衣さんは何も言わないのかも、なんて。


 本当の気持ちなんて本人に聞かないとわからないのに。


 恋人を作らない本当の理由を教えてくださいと、ただ一言聞けばいいだけなのに、確かめるだけの勇気がなくて、迷ってばかりいる弱虫の私が、全部悪いってわかってる。


 









 宿を予約する時に、ベッドがいいか布団がいいかと聞かれて、真っ先に布団がいいと答えた。


 だって旅館に来た時ぐらいしか布団で寝る機会なんてそうそうないし、結衣さんがどう思うかはわからないけど自分の意見を押し通した結果、部屋に案内された瞬間に改めて正解だったなと思った。


 和を前面に押し出した本格的な旅館なんて、生まれて初めてかもしれない。


「ひ、ひろいですね……」


「そうだね。あ、テラスもあるよ。露天風呂もついてる」


 雪哉さんから結衣さんがもらった旅行券入りの封筒は、かなりの厚みがあった。


 せっかくだから使っちゃおう、と結衣さんが選んだのは高級旅館で、こんなにおこぼればかりもらっていいのかなと少し気後れしてしまうくらいに、値段の張る宿だった。



 そろそろ日が暮れ始める。外に出て、椅子に腰掛けると、視界に飛び込んでくる色付いた木々の葉が本当に綺麗だった。


「あ、富士山が見えます」


「本当だ」


「大浴場からも見えますかね?」


「朝に行けばもしかしたら見れるかもよ。さっき夕食は六時半からだって言ってたから、今から行く時間はないけど」


 腕時計を見つつ結衣さんが言う。朝風呂もいいなあ。確かに、二人でお風呂に入れたら最高だろうな、と思った。








 部屋に戻って用意されていた浴衣を羽織る。モタモタしていると、結衣さんが笑って私の浴衣の帯を綺麗に締めてくれる。


「結衣さんって、もしかして旅慣れしてます?」


「全然。旅行なんて行ったことないよ。子供の時に社員旅行に連れてかれてた程度」


「へぇ。いいですね、そういうのも」


「そうでもないよ。旅行って言ってもお父さんにとっては仕事だし、こんなに楽しくなかったもん」


 結衣さんが、私の身体を引き寄せてギューっと抱きしめる。


「浴衣、かわいい。本当に来てよかった。雪にぃに感謝しないと」


 かわいいかわいいと言いながら頬やまぶたにキスされるから恥ずかしくなってくる。


「もー、結衣さんってば、そんなにぎゅってしたら苦しいですよ」


 照れ隠しで肩を押す。優しい目が私を見てる。


 結衣さんから見た私は、一体どんな顔をしてるんだろう。


 もしかしたら私もこんな風に、眼差しから愛おしさが溢れてしまっているかもしれない。







 それから夕食の時間になり、お部屋でゆっくりと食事を楽しんでいると、結衣さんは珍しく地ビールを頼んでいた。


「結衣さんってビールも飲むんですね。ハイボールだけかと思ってました」


「一番好きなのはハイボールだけど、基本家でしか飲まないね。バーでも違うの飲んでるし」


「へー、何飲むんですか?」


「ソルティドッグとか」


 え、犬? お酒の名前ってよくわかんない。何味なんだろう。


「……なんですかそれ」


「グレープフルーツとウォッカのカクテルだよ。グラスの縁に塩がついてるんだけど、それがまた美味しいんだよね」


「グレープフルーツ……」


 聞きながら、初めて酔った結衣さんにキスされた時のことを思い出していた。微かにグレープフルーツのフレーバーがした記憶がある。


「かなた? 顔赤いよ」


「……なんでもないです。結衣さんこそ、これからお風呂入るんですからあんまり飲みすぎないようにしてくださいね」


「はーい」


 お刺身も美味しかったし、ご機嫌な結衣さんを見ていると私も楽しくなってくる。


 あぁ、旅行っていいなぁと思う。もちろんわかってる。「誰と行くか」が一番大事なんだってこと。






「かなた、先にお風呂入ってきていいよ」


 食事を下げてもらったあと、結衣さんにそう言われてなんだか申し訳ない気持ちになってくる。


 入浴の時間をずらすならいいと条件を付けたのは確かに私だけど、今更になって一時間以上部屋で待たせるのは心苦しいと思い始めてきた。


「結衣さんが先に行ってください。結衣さんの誕生日祝いなんだから」


「気にしなくていいよ、部屋にお風呂もあるし」


 そう言って結衣さんが、部屋に備え付けの露天風呂の方を指さす。


「でも……」


 せっかくの温泉なんだし、と言いかけたところで、結衣さんがにっこり笑って私の顔を覗き込んできた。長い黒髪がさらりと揺れる。


「じゃあ、やっぱり一緒に入ろうよ」


「や、やです。だって大浴場の脱衣所とか明るいし」


「明るいのが嫌なの? それなら、部屋の露天風呂の照明消して入ればいいじゃん。着替えるのを見られるのが嫌なら、先に入って待ってるから」


 気持ちが揺れ動く。一緒に入れたら最高だろうなって思ったのは本当だ。今更だけど、時間差で入ることでせっかくの時間を無駄にするのも惜しいと思い始めている自分がいる。


「それでも、やだ?」


 そんなに優しく聞かないで。そうやって私に選ばせないで欲しいのに。

 結衣さんは絶対に無理強いしないのはわかっている。

 けど、でも……恥ずかしさよりも、もっと一緒にいたい気持ちの方が勝ってしまう。


「……わかりました。それなら、一緒に入ってもいいです」


 照れ隠しで、なんだか上から目線な言い方になってしまった。


「本当? そうと決まれば、早く入ろ」


「え、酔い醒ましてからじゃなくて大丈夫なんですか?」


「あれぐらいじゃ酔わないから平気」


 結衣さんが嬉しそうに笑うから、私は急に恥ずかしくなってしまって、ふいとそっぽを向いた。



 自分が見られることばかり気にしてたけど、よく考えてみれば今から結衣さんの裸を見ることにもなるわけで。


 さっきからずっと心臓が、ドキドキしている。


 やっぱり今のなし、と撤回しそうになってしまったけど、嬉しそうに微笑む彼女を見てしまったから。


 私はきゅっと唇を噛み締めて、その言葉を飲み込んだ。

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