第27話 比べられたら、やだ
ソファに座る結衣さんの足の間を陣取って、タブレットを操作しながら、旅行サイトと睨めっこする。
肝心の結衣さんは、私の肩に顎を乗せてそれをただ後ろからじーっと眺めているばかりで、さっきから全然意見を言ってくれない。
サイトを行ったり来たりしながら、秋の旅行スポットを探していたけどさっぱり見当もつかなくて、痺れを切らして彼女を振り返る。
「ねぇ結衣さん、どこか行きたいところ、ないですか?」
「かなたが行きたいところ」
「結衣さんがもらった旅行券なんだから、結衣さんが行きたいところにしましょうよ」
「んーでも、せっかく二人で旅行に行くなら、かなたが喜んでくれるところがいい」
そう言われて、困ってしまう。旅行券は、雪哉さんから結衣さんへのプレゼントなのに。
結衣さんが、喜んでくれそうなところってどこだろうと考える。
せっかく遠出するなら、季節感がある方がいいような気がする。初めての旅行だから、ゆっくりできるところで、思い出に残るところ。
「……じゃあ、秋だし、紅葉が綺麗なとこ、とか」
「あ、それなら箱根は?」
結衣さんが、私のお腹に回していた手を伸ばしてすいすいとタブレットを操作する。
「紅葉、十一月下旬が見頃だって。ちょうどいいじゃん」
箱根かぁ……そもそも温泉なんて、何年ぶりだろう。最近ちょっとずつ肌寒くなりつつあるし、露天風呂なんてきっと最高だろうな。
「……いいですね、温泉」
「じゃあ、決まり。そうと決まれば早速宿探そう。温泉、一緒に入ろうね」
特に深く考えずに頷いてしまった後に、ハッとして思わず結衣さんを振り返る。
なんで思い至らなかったんだろう。温泉なんて一緒に行ったら、絶対に「一緒に入ろう」って言われるに決まっているじゃないか。
慌てて、ぶんぶんと首を横に振った。
「だ、だめ。一緒には入りません」
「え、なんで?」
不満そうな声で言われて、じっと見つめられるから、居た堪れなくて視線を逸らす。
「だって……恥ずかしいじゃないですか」
少しだけ唇を尖らせて呟いた。なんでとか、そういうの聞かなくたって理由なんて想像つくくせに。
「女同士なのに、だめなの?」
女同士だってことは理由にならない。私だって、悠里とか律さんなら別に一緒に入ったって構わないけど、結衣さんは、別。
何回もキスしてるし、押し倒されたことだってあるのに、意識するなと言う方が無理がある。
答えるのを渋っていると、「かなた」と理由を急かす声と同時にぎゅっと抱きしめ直されて、観念して口を開いた。
「……結衣さん、いっぱい色んな女の人の裸見たことあるでしょ。比べられたら、やだ」
結衣さんが、今までどんな女の子と夜を共にしてきたのかは知らない。
でも、私の特に大きくもない、至って普通サイズの胸とか、大してメリハリがあるわけでもない身体を見られるのは、恥ずかしい。
もうどうにでもなれと、拗ねるように言えば、結衣さんがくすくすと笑うのがわかった。
「……なんで、笑うんですか」
「比べたりなんかしないのに。そんなこと気にするの? かわいいね、かなたは」
「……やっぱり、温泉はなし」
言えば、結衣さんが声を出して笑った。「ごめんごめん、拗ねないで」と抱きしめられた身体を揺すられるけど、無視してそっぽを向いた。明らかに揶揄われているのがわかって面白くない。
「じゃあ、時間ずらして入ろう? 部屋風呂もあるところ予約するから。それでどう?」
「ん、それなら……」
「一緒に入れないのは残念だけど、お楽しみはここぞと言う時までとっておくことにする」
ここぞと言う時って……裸を見せたくないって言ってるのに、結衣さんが「その機会」があるって確信してるみたいな言い方をするから、恥ずかしさで顔が熱くなってくる。
お腹に回った手を抗議するようにつねる。
「……結衣さんの、すけべ」
「今更じゃん」
今更、か。それもそうだ、いつも優しいから忘れがちだけど、結衣さんはこんなきれいな顔して、頭の中は女の子とやらしいことすることしか考えてないんだってことすっかり忘れてた。
とにかく要望は通ったことだし、箱根について調べようとタブレットに指を滑らせたところで、ポケットからポン、と通知音がした。
こんな時間に誰だろう。
不思議に思ってスマホを取り出すと、チャットアプリに「今何してる?」とメッセージが入っていた。
見覚えのあるアイコン。
「……なんだ、早川くんか」
特に何も、と返してしまうと、電話していい? と続くことを学習していた私は、結衣さんと旅行の計画立ててました、と返す。
さ、じゃあ改めて箱根について調べようかなとスマホを閉じようとすると、後ろから伸びてきた手にぱっと掴まれてしまった。
「電話、頻繁にしてるの?」
「え?」
「三十分も話してる」
突然なんのことだろうと思ったら、チャットアプリの画面には前回の通話記録が残っていたから、結衣さんはそれに気付いたらしい。
「いや、これはほとんど早川くんが喋ってるだけで……」
「ふーん……」
悪いことをしているわけじゃないのに、指摘されるとなんだか気まずい。
「……だめですか?」
「だめじゃないけど……その気がないなら、わざわざ電話の相手しなくてもいいんじゃないの?」
それはごもっともだ、と思う。
早川くんから電話がかかってくるようになったのは割と最近の話で、最近、あまりシフトが被ってなかったせいもあると思う。
結衣さんのことを散々「不誠実だ」と言っておきながら、自分だって不誠実なことをしていることに後ろめたい気持ちがないわけではない。
「……結衣さんだって、色んな女の子からしょっちゅう電話かかって来るくせに」
自覚があるから居た堪れなくて責めるように言えば、結衣さんが笑った。
「長電話はしないよ?」
「じゃあ、なんで電話かけてくるんですか?」
「飲みのお誘いがほとんど」
嘘つき。飲みじゃなくてお家に誘われているくせに、とは言わないでおく。
最近結衣さんが家を空ける頻度が減ったのは、私が「行って欲しくない」と言ったからだとわかってる。
もちろん、夜遊びがなくなったわけじゃないし、女の子とそういうことしてきたのかな、と勘繰りそうになる夜だってある。
できるだけ、考えないようにしていた。もしそれが事実だと知ってしまったら、傷付かない自信なんて、なかった。
「……私が家に来る前は、女の子を家に呼んでたんですか?」
「まさか。この家に入ったことあるのは、かなたと律だけだよ」
それを知って、今更だけど不思議に思う。
「……そもそもですけど、結衣さんって、なんでルームシェアの話受け入れてくれたんですか?」
素朴な疑問だった。家に人をあまり寄せ付けない彼女がなぜ、会ったこともない私とのルームシェアを了承してくれたのか。
「お父さんがお世話になった人の娘だって言うから。断る理由なんてないでしょ」
なるほど。私のお父さんの過去の行いのおかげで今があるわけか。お父さんには感謝しないと。
「でも正直、最初はどうしようって思ったよ。遅かれ早かれ私が同性愛者だって気付かれるとは思ってたけど、思ったよりバレるの早かったから」
それは結衣さんが派手に遊んでいたせいだと思うけど。
「……最初は私に、誰にでも手を出すわけじゃないって言ってたのに、嘘でしたしね」
そう指摘すると、結衣さんが誤魔化すように笑った。いつのまにか、結衣さんには色々と奪われてしまってる。
そしてそれを許してしまっていることに対して、正直自分でも驚いている。
同居したての頃は、こんなに距離感が縮まるなんて想像もしていなかったのに。
「それは、かなたが可愛いのがいけないんだよ」
「私のせいですか?」
「そう、かなたのせい」
私は絶対結衣さんのせいだと思ってる。お互いがお互いのせいにしてたって埒があかないのはわかっているけど、私だって彼女を責めずにはいられない。
あなたがこんなに魅力的なのが悪い、なんて口が裂けても言えないけど。
「もう、かなたがいない生活には戻れない」
優しく頬に口付けられて、それを受け入れる。私だって、あなたの腕の中で過ごす毎日に慣れすぎてしまって、とてももう一人で暮らせる気がしなかった。
「だったら、年末イギリスに一緒に帰りますか? ロンドン市内、案内しますよ」
背中に体重をぐーっとかけてそういえば、結衣さんが笑った。
「それ、絶対一人で帰省したくないだけでしょ。飛行機、退屈でつらいって言ってたじゃん」
バレたか、と舌を出す。
「帰省のことはひとまず忘れて、箱根の予定立てましょ? 私、黒たまご食べたいです」
「美味しいの? それ」
「美味しいかどうかはわかんないですけど、寿命が伸びるらしいですよ」
「あはは、なにそれ。本当に?」
知らなかったなぁ。旅行の計画を立てるのってこんなに楽しいんだ。
結衣さんと知り合ってから、本当に新しいことの連続だ。
結衣さんが学生のうちに一緒に色んなところに行けたらいいな。結衣さんが育った街とか、好きなところとか、見てみたいし、私が育った街も見て欲しい。
タブレットに指を走らせながら、旅先に思いを馳せた。
あーでもないこーでもないと二人で宿を調べていたら気付けば日付が変わっていて、すっかりメッセージが来ていたことも忘れていた。
結局、早川くんからのメッセージに返信できたのは、次の日の朝になってからだった。
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