第23話 いつから私、結衣さんのものになったんですか?

「……と言うわけで、律さんにはせっかくご配慮いただいたんですが、結衣さんへの誕生日プレゼントは何も用意しないことになったんですよね」


 夕方の喫茶店。


 カウンター越しに不満げに呟くと、大学帰りに寄ってくれた律さんが、ケーキにフォークを突き刺しながら怪訝そうな顔をした。


 結衣さんの誕生日は、もう目と鼻の先に迫っている。

 誕生日プレゼントに何が欲しいか直接尋ねたら、何も用意しなくていいと言われたのはつい先日のことだ。

 何か形の残るものを私からもあげたかったのに、率直に言えば不本意であることは否めない。


「……あいつ本当、何企んでるんだろうね?」


 カウンターに片肘をついて、律さんが不思議そうに首を傾げる。


「他の女の子たちには、なんてアドバイスしたんですか? 結衣さんへのプレゼント」


 律さんは前に、「他の女の子たちに意見を求められたら、結衣がいらなそうなものを適当に伝えておく」と言っていた。


 私の手から結衣さんへプレゼントを渡せない以上、他の誰かからのプレゼントが形として残ることに対して、はっきり言ってあまりいい気はしなかった。


 だからちょっと気になる。他の子が何をあげるのか。


「んーとね、大河ドラマのブルーレイセット。聞いてきた子全員に、全部違うシリーズ伝えておいた」


「え、大河……?」


 なんで、大河なんだろう。


 確かに結衣さんは映画好きだ。でも、一緒に暮らしてしばらく経つけれど、結衣さんが大河ドラマを見ている所なんて一度だって見たことがない。


「律さん、結衣さんって洋画派だと思いますよ。この前だって、すごいの観てましたし。バイクとかトラックがいっぱい出てきて、変なマスクの人とか白塗りの人が出てくる……」


「あー、わかる。それ私も観たことあるよ。タイトルなんだっけ……忘れたけど」


 律さんは、ぜんぜん驚かない。この様子だと、結衣さんが洋画派だって最初から知っているような気がした。

 じゃあ、なんで大河? 私が首を傾げたのに気付いたのか、律さんがにっと笑った。


「大河はね、私がハマってんの」


 驚きを隠せなかった。さすが律さん……としか言いようがない。結衣さんへのプレゼントをそのまま横流ししてもらおうという魂胆らしい。抜かりない人だと思わず笑ってしまう。


「……律さんは、結衣さんに何をあげる予定なんですか?」


 律さんは結衣さんの親友だから、きっと何か用意するに違いない。

 素敵な関係性だと理解しているから、私は律さんに対しては不思議と対抗心が沸かない。


「鮭とば」


 ケーキの最後の一口を口に放り込んで、律さんが真顔でそう私に告げる。一瞬、その単語があまりにも誕生日とはかけ離れていて理解できなかった。


「鮭とば……? それ、プレゼントじゃなくて、北海道のお土産ですよね……?」


 律さんは先日、悠里と一緒に北海道に「遠征」に行ってきたばかりだ。

 悠里からは、私もお土産にとヒグマのキーホルダーを貰った。使いどころに困って、自室の引き出しの中に眠っているけど。


「私はいいのよ、別に大したもんあげなくても」


 そういうもの、なのかな。よくわからない。でも、確かに……律さんと結衣さんにとっては三回目の誕生日だし、よく考えてみればそれもそうか、と思う。


 ただ私が、初めて祝う結衣さんの誕生日に特別感を感じているだけなのかもしれない。


「……結衣さん、その日は食事会なんですよね。だから、帰ってくるのも遅くなるみたいなんですよ」


「あー、お父さんとでしょ? 誕生日だしね」


「美味しいご飯食べてくるでしょうし、私は結衣さんに、誕生日のお祝いらしいこと何もできないですよね……」


 家族を優先するのは仕方がないことだ。父親にとっても年に一度しかない娘の誕生日を祝いたくない訳がない。


 でも、食事どころかプレゼントすら用意できなかったら、本当に私に出来ることなんて限られてしまう。


「あ、そうだ。それなら、シャンパン買ってきてあげようか? かなたちゃん、十九歳だからまだお酒買えないでしょ」


「え、いいんですか?」


「もちろん。帰ってきたら、飲み直してお祝いしてあげなよ。結衣、絶対喜ぶから」


 律さんは、何だかんだやっぱり結衣さんのことを友人として大切にしている気がする。

 結衣さんはたぶん、律さんのこともまた違った意味で特別だと思っているに違いないと思った。









 バイトを終えて帰宅すると、ちょうど結衣さんも帰ってきたばかりだったらしく、ばったりと玄関前で鉢合わせた。


「あ、かなた、お帰り」


「結衣さんも、お帰りなさい。今日、遅かったんですね」


 当たり前のように結衣さんがドアを開けて中に入るように促してくれるから、私も当たり前のように先に中に入った。


「今日、お父さんに呼び出されて、会社に寄ってきたから遅くなっちゃったんだよね」


 靴を脱ぐために少し屈んだことで、ふわりと香る結衣さんの匂い。家にいるときとは違う香りがするから、相変わらずどきどきする。


 なくなりかけていたはずのピンクの香水のボトルは気付けば新品に変わっていて、「変えないで欲しい」という要望が通ったことを知って、本当に嬉しかった。


 帰るなり真っ先にリビングのソファに腰を下ろすと、結衣さんがキッチンから「何か飲む?」と聞いてくれる。その言葉に甘えて、今日はホットミルクをお願いした。


 結衣さんって本当に腰が軽くて何でも文句も言わずにやってくれるから、どんどん自分がだめになってしまいそうになる。


 でも――私を甘やかしてくれるのが、嬉しい。そう思ってしまうんだから、もうどうしようもない。




 コーヒーテーブルに並べられる、ハイボールとホットミルク。


 彼女と私を区別する年齢の壁。たった二年、されど二年の歳の差がこんなところにも現れる。


 結衣さんが隣に腰を落ち着けたあと、グラスを傾けて一気に喉の奥へとアルコールを流し込んだ。白い喉が動いて、視線が釘付けになる。こんなにがぶがぶ飲んで、大丈夫なんだろうか。いつも顔色ひとつ変えないから、本当に、お酒には強いんだろうけど……たまに、飲み過ぎるときもあるみたいだし。


「そういえば、結衣さんの誕生日の食事会って、お兄さんも来るんですか?」


 ちょっとだけ、疑問に思っていたから聞いてみる。


 結衣さんにはお兄さんがいる。前に、お父さんと仲が悪いとは言っていたけど、さすがに誕生日は家族で過ごすのだろうと思った。


 でも、私の考えをよそに、結衣さんが笑って首を横に振った。


「雪にぃとお父さんって本当に仲悪いから、一緒に食事したら誕生日祝いどころかお通夜になっちゃうよ」


 え、そこまで仲が悪いの? と正直ちょっと驚いた。帰省したときに、私のお父さんが言っていたことを思い返す。

 確か、まだ和解していないのかって言ってた。

 私のお父さんがそれを認識しているということは、ずっと昔から根深い問題なんだろうか。


「……そう、なんですか」


「そう。間に入るのも、大変なんだよね」


 結衣さんが深いため息をつく。余程苦労しているのだろう。家族間の不和は、あまり望ましいものではない。ましてや、たった三人しか居ない家族だ。

 バラバラになるのは、かなしい。


 

 そこまで考えてふと、結衣さんのお兄さんってどんな人なんだろうと興味が湧いた。


 会って、話がしてみたい。結衣さんのことをもっと知りたいと思う気持ちはどんどん膨らんでいくばかりだ。


「……会ってみたいです、結衣さんのお兄さん」


 そう呟くと、グラスに口を付けようとしていた結衣さんの手がぴたりと止まった。なんか変なこと言ったかな、と結衣さんを見つめる。


「あの、結衣さん?」


 不思議に思って、どうかしましたか、と続けると、結衣さんがその形の良い眉を寄せた。グラスは口元まで辿り着くこともなく宙を彷徨ったままだ。


「会いたいの? 雪にぃに?」


「えっ……はい、会ってみたいなって思いますけど……」


「……かなたって、私の顔、好き?」


「へ?」


 何を、突然。突拍子もないことを聞かれて、まっすぐに見つめてくる顔を改めてじっと見つめ返した。


「……逆に、結衣さんの顔、嫌いな人なんているんですか?」


 本音がぽろっとこぼれ落ちる。初めて会ったとき、本当にびっくりした。こんな綺麗な人、芸能人以外に存在するんだ、って。今でこそ見つめ返すことができるけど、最初は綺麗すぎて直視すらできなかった。


 でも、褒めたはずなのに、結衣さんの眉間にさらにしわが寄ったから、おかしいな、と思う。

 前に容姿を褒めた時は、言われ慣れてるのか特に嫌そうな素振りなんてしなかったのに。


「じゃあ、私が男だったら、付き合いたいと思う?」


 急に聞かれて、ぎくりと背筋が伸びる。男性だったら? そんなの考えたことなかった。だって結衣さんは見た目も中身もれっきとした女性だし、男性っぽいところを感じたことすらない。


「……性別関係なく、浮気性の人はいやです」


 質問から逃れるように、苦し紛れにそう言うと、結衣さんがさらに続けた。


「一途だったら、どう?」


 逃げ道が、断たれた。断崖絶壁に追い詰められた気分。その条件を提示されてしまったら、私の答えはひとつしかない。


 そもそも、結衣さんは女性でもモテてるんだから、今更性別なんて関係ないと思うのは私だけだろうか。

 結衣さんは、男性だったとしても女性だったとしても、今とさほど変わらないと思うけど。


「えっと……大企業の御曹司で、美形で、優しくて、一途なんですよね? そんな人が現実に居たら、好きにならない方が無理がありません?」


 そんな優良物件を嫌がる人なんてこの日本には存在しない。もし、そんな完璧な人が実在したらの話だけど。

 そこまで言うと、結衣さんが苦虫をかみつぶしたような顔をして、深くため息をついた。


「じゃあ、だめ」


 え、だめって、何が? 話が読めなくて、思わず首を傾げる。


「雪にぃには、絶対に会わせない」


 そこまで言われて、これが「結衣さんが男性だったら」じゃなくて、「雪哉ユキヤさん」の話だったのかと、合点がいく。


 あれ、そうだとしたら私、今とんでもないこと言ったかも。雪哉さんのこと、「好きにならない方が無理がある」、って……。


 結衣さんが、ぐいっと一気にハイボールのグラスをあおる。


「……そうだよね、かなたは、異性愛者ストレートだもんね。私と同じ顔の男がいたら、そっちの方がいいよね」


 むっとした顔で、いじけたようにそう言うから、思わず焦って結衣さんの手を掴んだ。


「結衣さん、誤解です。結衣さんのお兄さんに会いたいって言ったのは、紹介して欲しいって意味じゃなくて……」


 コーヒーテーブルに、ドン、とハイボールのグラスを置いて、結衣さんがじとりと恨みがましく私を見た。


 私、もしかしなくても、結衣さんの地雷踏んだかも。つーっと、背中に汗が伝うのがわかった。


「かなた」


「は、はい……」


 結衣さんの白い腕が伸びて、私の身体を抱き寄せる。抵抗することなく、私はその腕の中にすっぽりと収まった。結衣さんの香水の甘い匂いがして、私もおずおずとその背に腕を回して抱きしめ返す。


 そんなつもりじゃなかったって、ちゃんと伝えないと。ぎゅうっと抱きしめてくる腕の強さに胸の奥が締め付けられるようだった。


「……もしも結衣さんが男性だったらって話かと思ったんですよ。結衣さんのお兄さんのことを、想像してたわけじゃなくて」


 ああ、違う。そうじゃない、そんなことを言いたいわけじゃない。男だったら付き合いたかったなんてそんなこと、一度だって思ったことはない。

 何を言ってもこれじゃ、墓穴を掘るような気しかしない。


「ふーん……」


 不満げな声が耳元でする。結衣さんでも拗ねることあるんだな、と何だかくすぐったい気持ちになる。まるでいつもと逆だ。

 そういえば、初めてキスされたときも確か、結衣さんはこんな感じだった。


「……お兄さんのこと、好きになったりしないです」


「本当に?」


 なんだか拗ねる結衣さんがたまらなく愛おしく感じて、頬が緩む。結衣さんって、嫉妬するようなタイプに見えなかったのにな。


「……まあでも、会ってみないと、わかんないかもしれないですけど」


 いつも意地悪されているから、たまには仕返ししちゃえ。そう言えば、さらに強く強く抱きしめられる。

 優しい結衣さんも好きだけど、たまにこんなふうに強く抱き寄せてくるこの腕が、好きだったりするのは、まだ秘密。


「雪にぃには絶対にあげない」


「……いつから私、結衣さんのものになったんですか?」


「最初からだよ、かなたがこの家にきた時から」


 理不尽な、と笑う。でも、そんな強引な結衣さんも嫌いじゃないなあ、と思ってしまう私も相当、結衣さんには甘いのかもしれない。

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