大学一年生、秋。
第21話 高校生の結衣さんが見たい
真夏の暑さもすっかり鳴りを潜め、風が心地よく吹き抜ける秋の日。
ホットコーヒーを片手に、雑多に人が行き交うキャンパスの食堂を、きょろきょろと見回しながら歩く。
私を呼び出した張本人が見つからない。この辺にいるとチャットアプリで連絡が入っていたはずなのに。
「かなたちゃーん! こっちこっち!」
遠くから、手を振る影を見つけて手を振り返す。春から夏の間はピンクアッシュに染め抜いていたはずのそのふわふわの長い髪が、ミルクティーブラウンに変わっていた。
「律さん、髪の色変わってたから気付きませんでしたよ……」
彼女に駆け寄ると、その隣によく見知った金髪が座っていることに気付く。
「えっ……なんで
カップラーメンを啜りながら、彼女がよっ、と片手をあげた。
悠里、またシーフードヌードル食べてる。
間違いなく、私の友人である
でもこの二人がどうして一緒にいるのか、まったく関連性が見えなくて首を傾げる。
不思議そうにしている私に気付いてか、律さんがにっと笑った。
「あれから仲良くなったのよ、ねー」
あれから——というのは、その家出事件のことか。交友関係がめちゃくちゃ広い律さんが、あの手この手で私の潜伏先を割り出し、悠里の連絡先を入手した。
それが二人が交流するきっかけとなったようだった。
「悠里、そんなこと私に一言も……」
「だって、聞かれなかったもん」
がくっと肩の力が抜ける。聞けば悠里のチャットアプリのアイコンだか背景が、律さんも好きなロックバンドのロゴだったらしく、そこから意気投合して一緒にライブに行ったりする仲になったそうだ。
「……それで、なんで私のこと呼び出したんですか、今日は」
「来月、結衣の誕生日でしょ?」
「そうですね」
「結衣ってモテるじゃん。プレゼントめちゃくちゃ貰うのよ、あいつ」
「そう……でしょうね」
両手いっぱいにプレゼントを抱えている結衣さんが安易に想像できる。
「毎年のことなんだけど、結衣のことを好きな女の子たちから何をあげたら喜ぶか教えて欲しいって、この時期から色々聞かれるのよ」
律さんが心底うっとおしそうにため息をつきながら言う。
「それが私とどう関係が……?」
「事前にかなたちゃんが結衣に何をあげるか聞いて、被らないように誘導してあげようかなと思って」
そう言われて、ぽかんとする。なんでそこまでしてくれるんだろう。確かに、プレゼントは被らない方がありがたいとは思うけど。
「でも私、何をあげるかまだ決めてないんですけど」
「じゃあ、決まったら教えてよ。それまで他の子には結衣がいらなそうなもん適当に教えておくから」
「えっと……何でそんなことしてくれるんですか?」
「ん? だってそのほうが、あいつも喜ぶでしょ」
確かに、同じものを何個ももらっても嬉しくないというのはわかる。でも、どうして律さんは私にだけ配慮してくれるんだろう。首を傾げると、律さんが意味深に笑った。
「……それで、悠里はなんで律さんと一緒にいるの?」
「私は律さんと次の遠征の予定組んでただけ。かなたに用事はないよ〜」
食堂の机には、北海道の観光ブックが置いてある。「遠征って何?」と聞くと、好きなロックバンドのライブを見るためにはるばる北海道まで追いかけて行くらしい。そのついでに二人で観光するそうだ。
「……なんか、律さんに悠里を取られたみたいで、複雑」
悠里は私が大学で一番仲のいい友達だったのに、律さんと旅行の予定まで立てているとは。まだ私は一緒に旅行なんて行ったことなかったのに。
そう呟くと、律さんが声を出して笑った。
「その台詞、そっくりそのままかなたちゃんに返すよ。最近、結衣の付き合いが悪いのって、かなたちゃんが原因でしょ」
言われて、ぎくりとする。
「……なんのことですか?」
「別に〜?」
はぐらかしたけど、痛いところを突かれた、と思った。律さんは、よく人を見ている。
事実、そうだ。行かないで、とねだったあの日から、結衣さんが夜遊びに出掛ける頻度は目に見えて減った。
あれから彼女が外泊することはなくなって、例え夜遅くなったとしても家に帰ってきてくれるようになった。
だからと言って、夜遊びをやめたわけではなく、もしかして女性と会ってきたのかな、と勘ぐる夜も確かにあったけど。
そこまで行動を制限することはできない。私たちは恋人同士ではないんだから。
ひとつ気になることがあるとすれば。あれから、一度もキスされていない。
舌を入れられたことに驚いて、勢いあまって噛み付いてしまったせいなのか、それとも彼女に気持ちの変化があったのかはわからない。
結衣さんは何も言ってくれない。でも、明らかに私を優先してくれているということだけはわかる。
それで今は、十分だった。
もう少しだけ時間をかければ、彼女の心の奥底を覗けるような気がしている。
彼女が「恋人を作らない」理由が、きっとその向こうにある。
自分が彼女とどうなりたいのかも、きちんと時間をかけて整理したいと思っていた。
二人と別れて、帰路に着く。久しぶりにアフタヌーンティーでも楽しもうかと思って駅前のケーキ屋さんでロールケーキをひとつ買った。結衣さんは今日、食事会があるから遅くなると言っていたし。
来月の十月十日は、結衣さんの、二十一歳の誕生日だ。
何をあげたらいいだろう。欲しいものはなんでも手に入れることができる彼女が喜びそうなものなんて、そう簡単には思い浮かばない。
結衣さんがいつもしてるあの、高そうな一粒ダイヤのネックレス。あれってやっぱり、誰かからのプレゼントなんだろうか。
白い胸元によく映えるし、素敵だと思う。
でも、ネイルも、アクセサリーも、コロコロ変えるくせに、なんでそれだけ……ずっと同じものをしているんだろう。
家について、リビングに置いてある彼女のアクセサリートレーを覗き込む。
わかってはいたけど、あのネックレスはない。
私だってバイトしているし、アクセサリーをプレゼントしようと思えば出来るけど、あれ以上のものを用意できるかと言われたら正直自信がなかった。
「……やっぱり、本人に直接聞こうかな……」
きっと彼女のことだから、何をあげても嬉しいよと笑って言ってくれるだろうけど。
「ただいまー」
結衣さんが帰ってきたのは、九時過ぎだった。疲れたぁ、とため息をつきながら、ソファにぼすんと腰掛ける。
「おかえりなさい」
待ってましたと言うように、その隣に腰を落ち着ける。薄手のニットから覗く胸元には、やはりあのネックレスが輝いていた。
「結衣さん」
「ん?」
黒髪から覗く銀色のピアスを外しながら、彼女が私を振り向いた。
「来月、お誕生日ですよね。何か欲しいものありますか?」
いらないものをあげるよりは、必要なものをあげたい。結衣さんみたいに気の利いたことなんてできないから、私の出した結論は「直接聞く」という至ってシンプルな方法だった。
「え? いいよ。だって私、かなたの誕生日何もしてあげられなかったし」
あっさりそう言われてムッとする。私の誕生日は四月で、その時結衣さんはそれを知らなかった。
でも、私は今彼女の誕生日を知っていて、それを祝ってあげたいと思っている。
それを否定されるのは面白くない。
「……そんなの関係ないです。誕生日くらい祝わせてくれたって、いいじゃないですか」
言えば、結衣さんが笑って私の頭を優しく撫でた。優しい瞳が私を見ている。
「その気持ちだけでじゅうぶんなのに」
「ないですか、欲しいもの。なんでもいいですよ」
「んー、そうだなぁ……」
少しだけ結衣さんは考え込むようにする。そして、思いついたように、あ、と声を上げた。
「香水、新しいやつ。かなたが選んでよ」
選ぶだけでいいから、と続く。なんだそれ、と肩の力が抜ける。
「……選ぶだけなんて、プレゼントって言わなくないですか?」
「バイト代は、自分のために使った方がいいよ」
トレーの脇に鎮座している結衣さん愛用の香水のボトルに視線を向ける。
確かにもうなくなりそうだ。いつもその、ピンクのボトルについたリボンが可愛いなあと思ってた。
でも、だ。
「……香水は、嫌です。変えちゃだめ」
「え、なんで?」
「今の結衣さんの匂い、好きだから」
その香水と、長い髪からする優しい香りが混ざった、甘やかな匂いが私は好き。だからこれは変えてほしくない。割と本気で。
「この匂い好き? じゃあ、かなたもお揃いでつける?」
「それはいいです。結衣さんの匂いがわからなくなるのは、嫌」
自分がその香りを纏ってしまったら、彼女の匂いがわからなくなる。
私が好きなのは結衣さんの匂いで、決してその香水だけを好いているわけじゃない。
かたくなに嫌だと言えば、結衣さんが「じゃあ変えない」とうれしそうに笑った。
「とすると、何がいいか思い浮かばないなぁ……」
悩む彼女の胸元で、照明を反射して輝くダイヤ。気になって、自然と指先が伸びて行く。
石には触れないように、そっとそのチェーンを指先で引いた。
「……このネックレス。いつもしてますよね。誰かからのプレゼントですか?」
突然の質問に、結衣さんが目を丸める。
「これ? 大学入学した時に自分で買ったんだよ」
「自分で……?」
本当に? と疑うように見ると、結衣さんが意地悪く笑った。私を揶揄う時の微笑み。
「一体、何を想像してたの? もしかして、嫉妬してた?」
顔を覗き込んで距離を詰める彼女の肩を押し返す。
「嫉妬なんてしてません。元カノ由来の思い出の品かと思ったんですよ。ペアネックレス、なのかなとか……」
「あはは、高校生には買えないよ、さすがに」
と言うことは、やっぱり相当高いんだ、それ。だって明らかに輝きが違うもん。
「……そう、ですよね。すごく素敵だから、気になっただけです」
正直、ほっとした。嫉妬と安堵を諭られないように、慌てて彼女から視線を逸らす。
「そう? じゃあ、かなたにも同じやつ買ってあげる」
「へ? そ、そんな高いものもらえません。それに今は結衣さんのプレゼントの話をしてるんですよ。私にあげてどうするんですか」
「お揃いでするのがプレゼント、みたいな?」
「言い出したのは私ですけど、一旦ネックレスから離れてください。元カノとペアだから大事にしてるのかなって思って聞いただけで……」
「ねえ、さっきからなんで元カノの話が出てくるの? 私、そんなに引きずってるように見える?」
さらりとそう聞かれて、見える、と素直に頷きそうになった。
だって、自称、「一途だった」はずのこの人が、恋人を作らないと決心するなんて余程のことだ。
そしてそれを大学一年生からずっと変わらず続けていると言うことは相当衝撃的な何かがあったに違いないと睨んでいる。
そんなに可愛かったのか、その子は。私よりも? 本当に、考えるだけで腹が立ってくる。
返事に困って黙っていると、結衣さんが吹き出すように笑った。
「本当に引きずってないから、そんな顔しないでよ」
そんな顔、って。そんなに不満そうな顔をしていただろうか。その言葉が誤魔化してるだけのか、本音なのか、全然わからない。
「……ねえ、結衣さん」
「ん?」
「卒業アルバム、見せてください。高校生の結衣さんが見たい」
そう言うと、彼女が目を丸めた。突拍子もないことを言い出されたからか、驚いて固まっている。
「え、いま?」
「いま」
じっとその瞳を見つめる。同級生と付き合っていたんだとしたら、元カノがそこにいるはずだ。
ぱちぱちと長いまつ毛が瞬きを繰り返す。早く、と彼女を急かすと、困ったように結衣さんが頬を掻いた。
どれぐらい可愛い子なのか、この目で確かめてやる。
結衣さんがどれだけ彼女を愛していたのかは知らない。
でも今は結衣さんに、私の方が可愛いと言わせなければ、このままでは気が済まない、と思った。
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